情熱不足?(35)

「燃えるような情熱」って憧れます。
でも、情熱って燃え上がるばかりじゃないと思うんです。

情熱、という言葉との出会い

日々、情熱って言葉に出会います。
「情熱が不可能を可能にする、、、」
「偉大な人物は燃えるような情熱を持ち、、、」
「成功するためには熱い情熱が不可欠で、、、」
というように、情熱は素晴らしい人生を過ごすために必要な要素として語られています。私もそのような情熱に憧れを感じます。そして、それと同時に、寝食を忘れてすべてを投げ捨てて一心不乱に打ち込めるようなものを持っていないことに気づきます。素晴らしい人生に必要な要素、自分に何か大切なものが欠けているような気がして、気恥ずかく感じて、どうしたら情熱を持てるようになるんだろう、と思い悩む、、、なんてこともありました。

情熱のかたち

情熱にはいろいろな現れ方があります。寝食を忘れてすべてを投げ捨てて一心不乱に打ち込む、まさに燃え上がる炎のよう情熱もありますが、それほど燃え上がりはしないものの火鉢の中にある炭のように長い時間、ずっと一定で持続するような情熱もあります。燃え上がったり、落ち着いたりを繰り返すような情熱もあれば、一瞬だけ現れてすぐに消えていくような情熱もあります。
自分を振り返ると、私は炭のような情熱を蓄えていて、ほんの時々だけ燃え上がります。寝食を忘れて打ち込んだ経験もありますが、思い出されるのは、危機対応やトラブル対応ばかりです。「やりたい」という情熱的な思いよりも「ここでやらないと誰かを裏切ることになって絶対後悔する」という責任感のような思いでした。
実際のところ、10年間、20年間、寝食を忘れて打ち込むというのは極々稀なことではないでしょうか?20年という時間の中では、心身の健康を保つことだって容易ではありませんし、身近な方の人生も移り変わります。もし、20年間、寝食を忘れて打ち込んだ人がいらっしゃるとしたら、それはおそらく結果論なんじゃないかと思います。(20年間、寝食を忘れて打ち込む経験を持っていらっ人がいたらごめんなさい。是非お話聞かせてください)
私自身は、20年、情熱がなくならなかったこと、火が消えなかったことは経験できましたが、それは、私の人生をとても素敵なものにしてくれました。もし、燃えるような情熱を持てていなかったとしても何かが足りなんてことはありません。燃え上がるほどではなくても、長く情熱を持続できるものを持つことでも十分に豊かな人生が送れると思います。

消さないこと

私は炭のように情熱を蓄えることができたのですが、その理由を振り返って見ると偶然の要素の強いことに驚きます。
もちろん、仕事の内容が面白くてのめりこんだこともありますし、仕事の意義に共感して頑張れたこともあります。一方で、仕事のできない自分から何とか抜け出したいということが情熱になったこともありますし、共感できない上司への反発、見返してやりたいという気持ちが情熱になったこともあります。離婚の心痛を忘れるために仕事に打ち込んだこともありますし、信じてくれた方を裏切れないと思って頑張ったこともあります。子供や家族の将来への思いが情熱になることもありますし、頑張る後輩たちを見てなんとかしないといけないという想いが支えてくれたこともあります。
情熱の熱源はたくさんあると思うんです。理由もなく何かが好きで、その気持ちが止められなくて行動に移る、ということも1つの熱源ですが、それ以外の熱源だってたくさんあります。
そして、その熱源探しことが貴くて価値があることなんだと思うのです。世界には人の目には見えなくて、隠されている宝物がたくさんあります。それを1つ1つ見つける宝探しのような一日を過ごせることはとても幸せなことだと思います。

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