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旅の記:2023年9月のツアー㉝佐太神社(島根県松江市)

【旅の記:2023年9月のツアー㉝佐太神社】

佐太神社は出雲国二宮で、現在は「神社」ですが、かつては佐陀大社ともよばれていて、杵築(出雲)大社、熊野大社と共に出雲三大社の一つに数えられ、社領も出雲大社に匹敵するほどだったそうです。神社は正殿・北殿・南殿からなり、正殿には猿田彦と同一とされる佐太御子大神の他、イザナミ、イザナギ、イザナギが吐いた唾から誕生したという速玉男命(はやたまのおのみこと)、それを拭ったときに生まれた事解男命(ことさかおのみこと)ー夫婦げんかして吐いた唾なんですがー、北殿には天照大神と瓊瓊杵尊、南殿にはスサノオと秘密の4柱が祀られています。佐太御子大神が猿田彦であるとされたのは明治に入ってから国に指示されたそうで、神社は一旦拒んだそうです。出雲風土記では違う神とされていて、議論を呼ぶところです。また南殿の秘密の4柱も気になりますね!
神在月には当社にも神々が集まるとされ、これは中世にイザナミの陵墓とされる比婆山に神領を遷し祀ったことから、イザナミを偲んで八百万の神が集まるともいわれるそうです。
もちろん歴史は古く垂仁54年(西暦25年)の創建とされ、養老元年(717年)に再建されたとされます。広大な神領は太閤検地により大幅に減らされたが、堀尾吉晴の時代に200石まで回復した。
社殿は文化4年(1807年)のもので重要文化財となっています。

神門
正殿
北殿
北殿側境内社
南殿。それぞれ神紋が違いますね。
南殿だけ構造が逆になっているとのことです。
南殿側境内社
裏手にはイザナミを祀るという母儀人基社
磐座がございます
佐陀大社と呼ばれていた頃、神在祭の神送りの日にお供えされていた餅と小豆を煮て再びお供えする「神在(じんざい)餅」が「ぜんざい」の発祥と伝わる、とのことです。参道にあるお店で、あまり甘くない、という昔の作り方でいただきました。塩昆布を食べてから口に入れると、甘さがまします。
田中神社

少し離れたところに北殿の摂社である田中神社があります。こちらは二つのお社が背を向けて建っていて、佐太神社本殿に向いているのがコノハナサクヤヒメを祀る西社、背を向けているのがイワナガヒメを祀る東社です。
この2柱は姉妹で、山の神オオヤマツミの娘です。山陰に来る前にお参りした大山祇神社の回でも書きましたが、天孫降臨でニニギが地上に降りてきたときに、オオヤマツミは姉妹をお嫁さんにと差し出します。しかし長命を司る姉のイワナガヒメはタイプではなかったとして、送り返されたのでした。。そんなこともあってか、東社は縁切り・長寿の御利益、西社は縁結び・安産の御利益があるとされています。

東社
西社
縁切りも縁結びも幸運へのワンステップ。背中合わせだけど、姉妹は仲がいい、はず!




 


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