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着物の流行を創っていた街ってどこか知ってますか?

こんばんは。
ハイブリッド職人の木村あつしです。

この記事で服飾コワーキングスペース、ふぁっしょんしろこがなんなのか?を書きました。
でも、なんで白子でするのか?っていうのを書いていなかったので、そこをちょっと書きます。

白子が着物の流行を決めていた!?

着物、浴衣が日常着だった時代、どこの誰が流行を決めていたか知ってますか?

実は…それ三重県鈴鹿市白子なんです。
そう伊勢型紙の産地が決めていたんです!!

白子には伊勢型紙職人の他に図案師、今でいう生地のデザイナーさんがいました。
その生地のデザイナーさんがデザインを書き、その見本帳を持って型商(伊勢型紙の卸)が日本全国の染め屋さんを周ってどのデザインで染めるかを決め、そのデザインのもと、伊勢型紙の職人が彫っていたという仕組みです。

なので、白子の型商、図案師、伊勢型紙職人が着物、浴衣の流行を決めていました。

ちなみに型紙の生産は江戸時代、白子でしか許可をされていなかったので、白子で生産したものが日本全国の染め屋さんに流通していたんです。
(そのあたりの詳しい話はまたします!)

白子をもう1度ファッションの街にしたい!

昔は着物、浴衣が日常着だったので、型紙は日常に必要不可欠なものでした。
しかし、今は着物も浴衣も日常着ではありません。
そして、図案師はおらず、型紙の職人も20人ほど…
もうファッションの発信地だった面影はほとんどありません。

でもそんな歴史の流れがこの白子という土地にあるなら…
もう1度ファッションの町として復活させることができるんじゃないか?
ファッションの発信地だったところを今度はファッションで挑戦する町にできるんじゃないか?

そんな想いから始めたのが
『まち全体で商品を作って売るというサイクル』
を創ることです。

まち全体で商品を作って売るというサイクル

これはテラコヤ伊勢型紙を作る前から考えていたサイクルです。
今から作ろうとしているふぁっしょんしろこはこのサイクルの一部になります。

このサイクルについては…
また明日!
では!!


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