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横瀬町に移住して半年の振り返り その1

2019年の5月に埼玉県の朝霞市から秩父郡横瀬町に移住してから半年が経ちました。

半年だけど感覚的には3年くらい住んでいるような感じで、まだ半年しか経ってないんだ・・・というのが正直な気持ちです。それだけ濃厚な時間を過ごしているという事でしょう。

さて、その半年はどんな時間だったのか?改めて振り返っていく話は、長くなりそうなのでシリーズ化してnoteにまとめていきます。

振り返り第1段は、そもそもなんで都内勤務なのに横瀬町に移住したのか?です。

先に答えを言うとズバリ『社会課題解決の当事者になる為』です。

表向きは、アウトドアが好きで山の近くに住んでみたかったという風に言っています。それは勿論間違いじゃなくて十分に享受できているのですが、一番の理由ではありません。

前職の本田技術研究所で新規事業に繋がる研究テーマを立ち上げていました。新規事業は、ザックリ言うと解決すべき課題があって、それを解決する事の対価としてお金を貰うというビジネスを生み出すというのがセオリーです。

僕が研究テーマに選んだ解決したい課題は、『人口減少に備える社会づくり』でした。詳しい内容は言えませんが、その課題解決手段の仮説検証をやらせて頂く事になったのが、今住んでる横瀬町です。ここ横瀬町は『日本一官民連携しやすい町』を目指して、『よこらぼ』という施策を展開しています。

この『よこらぼ』に提案したのが2018年の8月で、そこから仮説検証の為に横瀬町民を交えたワークショップを何回か実施させて頂きました。

そこで感じたのは、地域住民と外から提案している自分たちとの距離感でした。

その距離感もワークショップを3日間続けてやって、毎晩町民との飲み会を設定しコミュニケーションをとるようにし、3日目には何とか打ち解け本音ベースで話ができるようになりました。結果としてこの3日間で、プロジェクトの方向性を示唆する決定的なヒントを得る事ができたのは大きな成果でした

その時に思ったのは、自分がそこの住民になって距離感を縮めていき、第三者目線と当事者目線が一本に繋がったときに本質的なインサイトが見えてくるのでは?という事でした。

まだまだ、答えを導き出すには至ってませんが、2060年までの消滅可能都市の住民の当事者としての目線で少しずつ何かを捉えつつある状況です。

ひとつ気づいた点を挙げるなら、都心部で便利な暮らしをして、周囲になんでもあり何ひとつ不自由ない環境で生活して働いている立場の価値観でやってきて、こんな田舎で不便はありませんか?こんな事に困っていませんか?と勝手に決めつけて押し売りしているような事を自分はやっていたのかもしれない、という事です。

実際に住んでみて、確かに都会に比べての不便さはありますが、日常生活に困った事は殆どありません。それこそ、町中の皆が困るような事があれば、その解決がビジネスになっていると思いますが、そうなっていないと言う事は、本当にお金を払ってまでその課題を解決して欲しいと思っていないのでしょう。むしろ都会に無いモノやコトが田舎にあるのも事実です。その良さを伸ばすアプローチも今後のヒントになるかもしれないと思っています。

日本の大企業が、やれイノベーションだとかやれ新規事業だとかブームに沸く中で、自治体でPoCをやってもクリティカルなアウトプットに繋がっていない理由は、当事者目線を考慮せず第三者目線で押し付けしているような所にあるのかもしれません。

後半ちょっと話がズレましたが、上記が横瀬町に移住した数ある理由のなかで一番大きい理由でした。

思った以上に長くなってしまい焦ってますが、次回は『横瀬町での暮らし 平日編』をまとめたいと思います。



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