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カメラ遊びと、その洗練された魅力について
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一眼ミラーレスのカメラを買って四年ぐらい経ち、一番と言っていいほど美しく撮れた写真。
月明かりに照らされる乗鞍岳。空には星が広がり、池はリフレクションする。一瞬だけ池が霧に包まれて、違う世界のような空間が広がる。
最近はよくカメラを使って遊ぶ。
良い写真が撮れたときは、それだけで一日に満足して、他に何もいらないと思えるぐらい、カメラ遊びには引き込まれる魅力がある。
これまで、自分のいろいろな関心事を文章にしてきたが、カメラに焦点を当てて書いたことはない。このnoteで、自分のカメラとの向き合い方と、カメラ遊びのどういうところがおもしろいのかなど、雑多に書いてみる。
カメラを買ったのは、登山が趣味になり、美しい自然や山の絶景を撮りたいと思ったから。いまでは、カメラが自分を表現するひとつになり、自分を癒すひとつになっている。
良い写真が撮れたとき、すごく洗練された気分で、いい写真が撮れて嬉しいという気持ち以外が抜けていく。
何かに没頭しているときはいつもそうで、行為自体の喜びで内面が埋め尽くされる。普段ささいなことで意識が行ったり来たり、感情が浮き沈みするのがヒトであるのに、その分散する気持ちを整えてくれるのが、私の場合カメラということになる。
カメラを持って出かけるとき、自分の視覚はカメラの構図を考えることに集中する。何を主題にして、どこまでを切り取ってシャッターを切れば、自分の納得いく写真が撮れるのか。常にそんなことを考えながら歩く。
カメラを持ち始めて一年ぐらいは、納得いく写真を撮れることは稀だった。同じ道を歩いているのに、友達の撮る写真のほうがきれいで、何が違うんだと思っていた。
少しずつ、何度も見返したくなるような写真が増えてくる。
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肉眼で見て何も感じなくても、現像してみたらすごくきれいだった、ということはよくある。瞬間を切り取って保存するからこそ、注目していなかった景色の端まで鑑賞することができる。
人を撮るときは、その人の思い出になる写真が撮れる喜びが加わる。自分がそこまでだと思った写真を、一番良いと言ってもらえたりするのもおもしろい。カメラを持っている人同士で遊びに行くのも、全く異なる視点で世界をみていることがわかっておもしろい。
カメラのおもしろさをいろいろと書いてみたが、一番言いたいのは、撮るという行為には何にも変えられない豊かさがあるということである。シャッターを切り、良いのが撮れた、次はどんな景色を撮ろうと、終わりにない欲求であり喜びかもしれない。
これからもずっとカメラを持って旅に出て、山に行って、写真と共に思い出を残していきたい。
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