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能登半島の災害支援、一週間の記録

能登半島地震の災害支援に1週間ほど行ってきた。1月1日の地震発生から長期で支援活動をしている友人の誘いがあり、これは行ったほうがいいなという直感に従い、出発前日に行くことが決まった。6,7時間の車移動を経て、能登半島に着いた。

今回、現地の写真や詳しい情報などはとくに載せないので、参加した以下の災害支援団体のSNSを見てみてください。現地の様子がたくさん載っています。

災害NGO 結
https://www.instagram.com/ngoyui/
災害NGOタビイク
https://www.instagram.com/tabiiku_ngo/


活動拠点に毎日ボランティアが30人ぐらい集まり、4,5チームに分かれて支援場所に向かう。自分が担当したのは、崩れたブロック塀の解体や、津波の被害にあった家の泥だし、仮設住宅に訪問して、住民の方と棚づくりのワークショップなど。

今日出会ったかたに対して、7,8人が目一杯身体を使って荷物を運んだり、安全を確保する手伝いをする。どこか不思議だと思いつつも、自然とよしやろうという気がわいてくる。

立派に建っていたであろう家が崩れているのを見て、住まいは完全な存在ではないと知る。そして、無限のように感じるほど、当たり前に享受できる水と電気、ガスなどのライフラインは有限であり、一瞬で止まりうると知る。

山をやる人間として、それらは有限であるとわかっていたはずだったが、かなり解像度が低かったようだ。ライフラインが止まるとはどういうことなのか、肌で感じる機会になった。

七尾湾の夜明け

1日の活動を終えると拠点に戻る。長期で支援活動をしているメンバーが半年間かけて過ごしやすいように整えてくれている。薪風呂で疲れを癒やし、夜風にあたりながらゆっくりとした時間を過ごす。拠点にはたくさんの人が出入りするが、はじめましてであっても、同じ目的で集まっているという共通項があり、話しやすい雰囲気があった。

苦労を共にすることで人と人の関係性は深まっていくと自分は考えている。そこには「楽しい」だけを共有する集団にはない信頼が生まれる。大変ではあるけれど、短期間でも苦労をともにしながら支援活動することで、ボランティアの方々とは、どこか「同志」みたいな感覚が生まれていたように思う。

夜食事を取りながらみんなと談笑する時間は楽しく、日に日に寝る時間が遅くなっていった。

活動拠点には、全国から人が集まる

おわりに、能登のことを記録として残そうと思っていたが、全然どう表現していいか分からず、手が進まなかった。自分で感じたことをどこまでそのまま伝えるか難しい。それでも、参加したからには伝える役割を担わなければと思っていたので、ここに残せてよかった。

緑と海が見られる、のと鉄道
また訪れたい

支援のための人手はとにかく必要です。ボランティアに向かいたい人は自分か、冒頭にあげた活動団体に直接に連絡してもらえると、すぐに参加できますのでよろしくお願いします。


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