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偏食と「自分のせい」について
自分は幼少期から10代までかなりの偏食だった。野菜はほぼすべて食べられないので、小学校6年間の給食は完食したことがない。毎日片付けの時間にしれっと残すか、何でも食べてくれるクラスメートがいるととてもありがたかった。
今朝、発達障害のある子どもは偏食であることが多いという記事を見て、自分も食生活で苦労した経験がいろいろあるので、文章を書いてみようと思った。
「食べたくない」のではなく「食べられない」
偏食の人は必ず言われたことがある、「何で食べないの?」「好き嫌いせず食べなさい」という言葉。これは当事者にとってあまりにも強烈な言葉である。
まず「食べたくない」のではなく「食べられない」のだ。なんの抵抗もなく喉を通るなら、美味しく食べれるなら喜んで食べる。ただ、食べられないものはとにかく苦かったり、全く喉を通らないし、嘔吐感を持つ場合もある。
自分は「食べなさい」の圧力を受けたとき、心の中で「食べれるなら食べてるよ、自分に入れ替わってこの味覚で口にしてから言え」といつも思っていた。
この圧力は直接の言葉でなくても、常に食事の場に存在していた。給食は典型的な例だが、バランスの良いメニューだと、食べられないものが必ずある。おかわりはすべて食べた人だけできるルールで、自分はおかわりをしたことがない。
残った白米をおにぎりにしてくれる先生がいて、クラスメートは早く完食しておにぎりを取りに行くけど、自分はそのおにぎりが食べられなかった。
活発で委員長などもこなしていたので、クラスの居場所に困ったことはなかったが、給食の時間だけは居心地がとても悪い、きつい時間だったことは鮮明に覚えている。
本当に「自分のせい」なのか
今回は偏食を例に挙げたが、多数派が難なくできることに対して、それができない特性を持っている場合、必ず「自分のせいではないか」という圧力がかかる。
なぜか遅刻をしてしまうとか、細かいミスをしやすいとか、コミュニケーションがうまく取れないとか。
自分はそういったマイノリティ特性に対して「自分のせいだ」という空気感が耐えられない。生まれてきて知らないうちに食べられないものが多かっただけで、なぜ責められないといけないのか理解できなかった。
また子供のときはその圧力がなくても、大人になって社会人になると「自分のせい」が強まることもある。子供と大人に境目はなくグラデーションであるはずなのに、大人というだけで特性に対して生きづらさを持つ。常にアンテナを張って、攻撃的な言葉や圧力から自分を守るようにコミュニケーションを取るのは大変である。
自分は幼少期の偏食の経験から、あらゆるマイノリティな特性に対して、圧力がかからないコミュニケーションをしようと固く決意している。どうすれば安心して会話できるのかを考えている。うまくいかずに、今の言葉は違ったなと反省する日々ではあるけれど。
自分自身や周囲に対して、「それは自分のせいだ」と感じたことがある人は一度考えてみてほしいと思って、今回の記事を書いた。
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