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「身長高いね!」は褒め言葉、という無意識のバイアス

自分は身長が185cmある。はじめましての挨拶の際には、「身長高い!何センチですか?」「185cmぐらいです〜」というやり取りを、かなりの確率でやる。たぶん1000回以上している。

ここでおもしろいなと思うのは、必ず肯定的な言葉をもらうということだ。「身長高くて良いね〜」「スタイルいいね〜」など。「モテるでしょ〜」とあっさり言われることもある。

こういうシーンで、身長が高い=良いこと、褒めていい、という概念が浸透していることを実感する。

ではここで、自分が身長が高いことに長年悩んでいたらどうだろう。自己紹介のたびに身長にフォーカスされて、悩みの種を褒められる。何の疑いもなく。それが嫌になり、はじめましての場をできるだけ避けるようになるかもしれない。

幸い、身長で悩んだことはほとんどなく(実家で頭をぶつけるぐらい)、音楽ライブは見やすいし、人に覚えてもらいやすいしラッキー、ぐらいしか思っていない。

ただ安易に、良いとされているものに当てはまっているから褒める、というのは慎重になるべきなのかもしれない、という例え話。

本人にとって特徴的なことは、対人関係において、何度も何度も同じことを言われることになる。別に気にしていなくても何度も言われるなかで嫌になってくることもある。

じゃあ、できるだけ深掘りせずに当たり障りのないように会話をする、というのも違う。「身長高いね!」から、あなたに興味を持っているよ、という気持ちが相手から伝わって、親しさが増すのも事実である。

相手の嫌なラインに触れないようにコミュニケーションを取るのはどうすればいいのだろう、とよく考える。

ジェンダーや過去のトラウマ的経験、趣味嗜好あらゆる可能性があるなかで、どうやって相手のパーソナリティに触れていけばいいのか、難しいと感じる。

どうしても無意識のバイアスからは逃れらないので、自分もとっさに「身長高いね!」と同じ形のコミュニケーションを取ってしまうかもしれない。今の言葉は違ったかもなぁ、と後から反省することになる。

それでも、配慮が伝わる言葉をかけて、敬意を持つということ。もし嫌な思いにさせてしまったとしても、誠意を持って言葉を選んでいくのが大事かなと思う。コミュニケーションが上手いと感じる友人は、しっかり考えて言葉を発していて、安心感がある。

この例え話が、無意識のバイアスについて考えるきっかけになればいいなと思って書きました。

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