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#内側を書く、ってなんぞや?

「#内側を書く」ということについて、少し説明しておいたほうがいいな、と思って、この記事を書いています。

#内側を書く  とは

それを通じて、自分は何を思ったのか、感じたのか、考えたのか、気付いたのかを、できるだけ深くまで見て、自分の言葉で書くこと。

私のプロフではこのように表記しています。

ここで言う「それを通じて」の「それ」とは、今体験している現実や事象、状況のことです。
私たちは日々、色んな体験をしますね。
大好きな彼とデートの予定が決まった!とワクワクしている状況も「それ」。
デート決まった!と思ったのに、いざ当日待ち合わせ場所に向かったのにドタキャンされた…という現実も「それ」。
毎日当たり前のようにこなしている掃除や買い物も「それ」。
SNSで誰かの投稿を見ている状況も「それ」。

要は、今自分が体験している全ての現象が「それ」
だから私たちは、生きてる間ずーっと何かしらの「それ」を体験していることになります。
その「それ」に対して、自分は何を思ったのか、感じたのか、考えたのか、気付いたのかをできるだけ深くまで見て、自分の言葉で書くこと。が、「#内側を書く」です。

この説明だけだとわかりにくいので、1つ例を挙げておきますね。

(例)散歩に行った時に公園の前を通った。
その公園で、小学生ぐらいの子供たちが遊んでいた。
その子達が、「うぜぇ」とか「死ね」というような言葉を使っていた。

↑この現象に対して、自分はどう思ったのかを書くことが「#内側を書く」になります。

(#内側を書く/例)
「うぜぇ」とか「死ね」とか言う子って、可愛くない。生意気。ああいう子供は好きじゃない。でも、あれぐらいの歳の子って、人を傷つけるような言葉とか、悪っぽい言葉とか使いたがるよね。悪に憧れる時期があるよね。あとは、そういう言葉を使ってるとかっこいい、みたいな勘違いをしたり、自分が強くなったような気になってるんだよね。人を傷つけるような言葉を使うことで、人より上に立つことで、自分の価値を見出したりとか。でもそんなのうすっぺらよ。うすっぺら!!本当に強い人は…うんぬんかんぬん。

(#内側を書く/例)
「うぜぇ」とか「死ね」とか、そういう言葉を使うことで、傷ついたり傷つけられたりする気持ちを今は学んでるんだなぁ。まだ今は、その言葉の凶暴さに気付けてないのかなぁ。そういえば、そういう言葉を使いたくなるときって、どういう時なんだろう。イライラしてる時?余裕がない時?誰かに馬鹿にされた時?言ってる子も、もしかしたら何か事情があるのかもしれない。私が暴言を吐きたくなるようなときは…うんぬんかんぬん。

(#内側を書く/例)
散歩に行ったら、公園で子供たちがギャーギャー遊んでた。このご時世、外遊びしてるなんて偉いじゃん!沢山体動かして、太陽の光浴びてビタミンD生成して、元気に育てよ!若造!!子供は!元気が!!一番!!!

…こんな感じ。

で、内側書いてなんになるの?

って思われると思うんですが。

これは、要は「自分の観念を洗いざらいに見る作業」って感じです。
ある現実・事象・状況に対して、思うこと、感じること、気付くことは人それぞれ違う。

暴言吐いてる子供たちを見て、「ああいう子供たち嫌い…」と思う人もいれば、「今はそういう時期なのね」と思う人もいるし、「おお!ギャーギャー元気だな!」と思う人もいる。

彼氏からお花をプレゼントされた時に「可愛いお花!ありがとう!」と思う人もいれば、「お花なんてカタチに残らないものプレゼントされても嬉しくない」と思う人もいるし、「普段こんなプレゼントなんてしてこないのに急にどした?浮気でもしとるんか?」って思う人もいる。

その状況に対して、自分はどんな観念をくっつけて見てるのか、って、普段あんまりちゃんと見てなくないですか?
何かの現象を見て、その場で嬉しい気持ちになったり嫌な気持ちになったりするけど、なんでそんな心が揺れたんだろう?ってところまで見れてなくないですか?
少なくとも私はそうでした。
なんでそれを言われたことにイライラしてるんだろう、とか。どうしてこの状況にソワソワするんだろう、とか。

それを、ちゃんと見てあげる。できるだけ言語化してあげる。
そうすることによって、自分は何が好きで何が嫌か、何が得意で何が苦手かが見えてくる。自己理解が深まるんですね。
そして、その自己理解が深まると、自分にとっての、より良い選択ができるようになる。
自分が一番自分のことをわかっているから、軸がぶれることも減るし、周りに何か言われたりされたりしても、「私にとってはこっちが正解」と思えるようになる。自分の選択に自信が持てるようになる。

人生は、選択の連続だとよく言うでしょう?
その連続する選択の全てを、自分にとって最善な選択に変えていけたら、絶対人生良い方向に行くにきまってませんか?

自分にとって最善な選択をするためにも、自分の観念を知る。自己理解を深める。
そのためにも、内側を書く。私はね。

因みに#内側を書く は、何に対しても書くことはできるけれど(だって今この瞬間だって何かしらを体験して何かしら感じているはずだから)、良くも悪くも心が揺れたことを書くのが、一番筆が進みやすいと思います。

最初はあまり書けなかったり、しっかり自分の気持ちを見てあげられなかったり、なんかちょっとかっこいいような言葉ばかり並べたくなったりして、自分の思考や感情の表面だけしか見れなかったりします。
それでも続けていくと、自分の心の深くまで入っていけるようになるのでご安心を。
時に痛みや悲しみやトラウマに触れてしまうこともありますが、それを見てあげること・言語化してあげることで、きちんと癒されるから大丈夫です。
そして、新たな自分に出会えることもある。「こんな自分もいたんだ!こんにちは!」と言いたくなるような、そんな感覚になることも、ある。

こんだけだらだらと説明したけど、本当のところ、一言で言ってしまえば、「現実感想文」とか「事象感想文」みたいなもの。
それ体験して、私は何を思ったの?どう感じたの?どうしてそう思ったの?なんでなんで??ってしつこいくらいに聞いて、書いて、書いて、時に自分に幻滅してウワァー!!ってなって、あ、これが私なんだった、って戻ってくるような、そんな作業。
自分との関係を更に深めていくような、そんな#内側を書く を、私は提唱したい(笑)

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