労働市場での自分の価値

オーストリアで博士号をとって仕事と私生活のためオランダに引っ越してきたばかりなのであるが、諸事情で仕事を辞めることになり、早速異国の地で求職中である。またその経緯はいつか落ち着いた時に、ここではないどこかに書こうかとは思う。

高校を卒業してからもほとんど学生の時間だったのであまり仕事をしたことがないのだが、日本の大学(学士課程)を卒業してすぐに大学院には入学しなかったので、四回生の頃一度就活をしたことはある。当時自分に自信がない割には自意識過剰でよくわからないプライドみたいなものもあったので、自己流で就職活動をやるという感じで、周りにエントリーシートや履歴書などを添削してくれる人がいたにも関わらず、見せるのが恥ずかしくて一人でつっぱしった結果十社受けて全部落ちるという有様であった。今考えればなんで十社しか受けなかったんだろうとも思うが、当時はプライドがバキバキに折れてしまってこれ以上続けるのは辛すぎたのだと思う。

卒業間際まで今はもうないスタートアップでインターンをしていた。そこで雇ってもらえる可能性もほぼなかったのだが、そこで働くかも?的なことを適当に周りに言って、将来は真っ暗であった。真っ暗でありながらも人のご縁があり、当時第一回目だったKYOTOGRAPHIEの美術館スタッフをやったり、大学時代にお世話になっていた先生に連絡したりなどで、なんとか仕事が見つかりその後も流れるままにやりたいことをやってきたという感じである。

久しぶりに学生ではなくなって、社会人として仕事を探さなくてならなくなってしまった今。昔と違い年もとって色んな経験をしたので、なんだかよくわからない自信がついてしまい、異国の地でもおそらくいつか仕事は見つかるだろうという気はしている。確率的に考えたら日本にいる時よりは見つかる可能性がかなり低いのだが、就活していた当時よりはだいぶ楽観的になっている。これが博士課程を経て得た根拠のない自信というやつか。

そもそもやりたいことと言ったら将来自分のお店を持ちたいという漠然なアイデアぐらいでそれも今すぐにどうにかなるわけでもなく、当面どこかで雇われて働くことになると思うのだが、具体的に働きたい会社があるわけでもなく、自分がお役に立てたらどこでもという感じである。そんな消極的な感じでは誰も雇ってくれないのかもしれないが、実際色んな事情で移住してくる人も多いオランダでは、ある程度志望動機が合理的であればよいのではと思ったりしているが、まだ仕事を探し始めたばかりでよくわからない。

自分のキャリアを考えると、これと言った一貫性がなく、正直どの職業にも全然当てはまらない。強いて言えばポスドクとか研究員であるが、博士時代の研究業績がすごいわけでもないので、誰かからの縁でもない限り一般公募で席を勝ち取るのは難しそうである。それに今は情熱がなくなってしまい、どちらかというと研究界隈で働くなら昔やっていたような研究者をサポートするような仕事がしたい。しかしそのためにはある程度現地の言語が使えないとダメなようで、なかなかそれも厳しい。

ふと労働市場における自分の価値を考えてみると、正直「日本人」とか「日本語が喋れる」というのが一番強い気がして、自分の英語力でも研究力でもない。英語力や研究力は努力して手に入れたのに、結局一番強い武器が生まれ持った性質(というかカテゴリー)というのはなんとも虚しい気がする。本当はそんなことないかもしれないのだが、なんとなくそんな考えになってしまう。

もちろん価値というのは相対的なもので、日本に帰れば日本人であることの価値は低くなり、英語力が武器になると思う。本当は自分の研究力というか考える力というのが一番の武器だと思っているけれど、実際そんなものは目に見えなくてわかりにくいし、未経験の仕事や入ったことない組織でどの程度活かせるかどうかはやってみないとわからないという感じである。

世の中には難なくたくさん内定をもらったり転職する人がいるように見えるが、その人たちと自分のどこが違うのだろうか。怠けつつも努力してきた私には何かあると思いたいのだが、転職を機に改めて自分を振り返ると、未だに何も持っていないような気持ちになってしまう。