探索的研究の良さ

予備実験をし始めて、早速実際にピアニスト(と言っても十年以上弾き続けている一般人)を雇って、データを取り始める。研究をしたい理由(2019年版)という記事にも書いたが、私の研究題目は、音楽分野における熟達者から初心者への技術伝達であり、今の実験では、熟達者が初心者に教える時とそうでない(例:聴衆の前で演奏する)時とで、どのようにパフォーマンスを変化させているのか、定量化的に評価しようとしている。

人と人との間で起こる学習(社会的学習)の分野は、興味のある人が多いものの、特に専門性が高い技術になると途端に定量的な知見が減り、多くは人類学者の参与観察が多いような気がする。定量的なものがない訳ではないが、なにせ専門性の高い技術というのは非常に数値化しづらい上、「専門」技術というだけあって発見された知見を一般化しづらい。

とはいえ、所詮は人間の学習であって、我々が持っている認知的メカニズムを用いて技術を獲得していくのであろう。社会的学習が本当に技術伝達を支えているのであれば、初心者の学習を促進させるような行動変化(例:ゆっくり、強調して見せる)が熟達者に見られてもおかしくないし、その行動変化が、初心者の元々持っている認知的メカニズム(例:記憶、模倣)に訴えかけることで、初心者は熟達者から恩恵を受けているということも考えられるだろう。

まずはそもそも熟達者が行動を変えているかどうか、ピアノの演奏を定量化して(例:弾く速度、キーボードを押す強さ)みているのだが、今までみている感じだとまぁ、個人差が大きすぎて何か発見できる気がしない。

いつか焦らないといけないのだろうが、今の段階だとなんだか面白いなぁと思う。今までは誰かがやった研究(厳密には研究計画)を元にして、アレンジした実験しかしたことがなかったので、あまり行動の測定に困ることはなかった。一般的な心理学実験というか、画面に何か刺激を出して課題に対して意思決定(キーを押す)をしてもらうみたいな、ごくシンプルな実験ばかりだったので、例えば実験参加者がいきなり踊り出すこともないし、踊り出したらそれは課題に沿ってない行動なので、分析から除外すればいい(し、除外していい正当な理由になる)。

しかし今は、多分自分が専門性というものをかっちりと定義していないのもあって、現在手元にあるこの豊かな行動をどうやってもっと厳密な形で測定できないものかとぼーっと考えている。あくまで例で今のところそんな人はいないが、例えばピアノを弾きながら歌い出す人がいて、歌い出すのはピアノのパフォーマンスと関係ないから除外としていいのか、しかし専門性の伝達ではもしかしたら異なる次元からの複数のシグナルが、学習の役に立つのかもしれないし、まぁとにかくデータが豊かで分析の自由度が高いので困っているという段階である。

とはいえ、先に述べたように、こういった探索的な方法から始めるのは、素朴な疑問を少しずつ形にしていく過程をまさに体感していて、今までになく研究らしいなぁと個人的には感じる。もちろん科学的な観点から言えば、先行研究の積み重ねが大切な訳だが、とりあえず実験予測がそこまで厳密でなくても、とりあえず実験してみてから考えるというのは、元々科学というのはそういうものだったのではないかなぁと思ったりもする。

こういう環境で実験をさせてくれているのは指導教員の理解があるからである。しかしながら業績の数だったり、卒業できるまでの年数などを考えると、すでに確立された研究に乗っ取って実験した方が結果は得られやすいのであろうが、私はとりあえず今のやり方でどこまでいけるのかやってみたいと思う。実際私のようにやって、結果が出ず丸々一年間のデータを捨てた先輩もいるのでリスキーと言えばリスキーなのだが…。