研究をしたい理由(2022年版)

今年も『研究をしたい理由』を書いてみたいと思う。三月ぐらいにそういえば書いていないなと思ったが、さらにそこから1ヶ月ぐらい経ってしまった。これが(おそらく)博士課程最後の『研究をしたい理由』シリーズである。

2019〜2021年の振り返り

今博士課程の終わりにおいて、過去三年の『研究をしたい理由』を読むと、理由がないことにとらわれてあれこれ苦悩している過去の自分が見える。なんだかんだ科学論の話を持ち出して理由みたいなものを書いてみたり、最後の方は徐々に「そもそも理由などいるのか?」という哲学者みたいなことを話し始めたりしている。

研究したい理由がないことが相当コンプレックスだったようで、博士課程に対する意気込みも「研究者になれなくても最悪実用的なスキルは獲得できる」ということもどこかに書いてあり、たとえうまくいかなくてもその時間は無駄ではなかったということを言いたげな、自分が傷つかないように盾でガチガチに守っているような印象を受ける。

博士課程を振り返って(まだ終わってないけど)、研究に対してだけでなく、何に対してもそういう生き方をしてきたんだと思う。生まれた国、生まれた時代、生まれた家族、自分の性格など色んな要因があるからどれのせいというのも難しいだろう。全てが合わさって今という事実があるだけ。

研究したい理由はないし、いらない

そもそもなんで『研究をしたい理由』を書こうと自分は思ったのだろうか?他の欲望、例えば猫を飼いたいとか雑貨屋さんを開きたいとか、こういうものは単純に「好きだから」と言ってしまえば他人も納得するし自分もその自信があるので、そもそも深く理由を考えることもなかった。研究は好きだとは言い切れないから、何とか書いていくうちに具体化されて自分でも見えてくると思ったのだろう。しかしないものはないので結局博士課程の間には見つかりそうにない。自己分析や自分探しと似たような感じで、形を留めず日々変わっていくようなものを固定した何かとして捉えることは不可能なのではないだろうか。そして猫や雑貨屋のような例は、ある種無責任だから「好き」とか言えるだけで、本当にそれで食っていくなどを考えるとまた話は違ってくる。

昔(学部生時代)大学院の先輩たちをみているとみんな研究熱心だったから、自分に好奇心も何もないのを恐れて何かを探さないといけない気持ちになっていたように思う。しかしこういう移りゆくものは、自然発生的に生じてくるものであって、何か無理やりに作るものでもない。ないときはないし、気付いたらあったりするんではないだろうか。

ということで『研究をしたい理由』を書き続けて出た結論が『そんなものはそもそもないし、いらない』というのはなんだかふざけている気もするが、研究者になるために重要な要素ではないとは思う。理由がある人は素晴らしいし、軸が安定して強いのかもしれないが、別になくても手を動かしてやることをやればいいだけである。逆に理由だけあって手を動かさない方が大変だろう(とはいえ理由があるので多くの人は手が動く動機になるのだろうが)。

昔のパトロンを抱えた研究者とは違い、今の職業研究者は基本的には組織に所属して仕事をしなければならないので、明確に『研究をしたい理由』を持っているかどうかより、人間生活をそれなりに営めて他人に好かれ研究をさせてあげたいと思われるような人が好まれる気がする。もちろん研究へのパッションがあるには越したことはないし、研究できる能力も必要なのだが、なんだかんだ職探しの際にはお世話になっている先生方に推薦状を書いてもらわないといけないし、就職の情報も今の時代になってもやはり口づてというか、直接の人間関係が肝になっている。指導教員とめちゃくちゃ仲が良くなくても良いが、しかしこいつの力になりたくないと思われると推薦状も書いてもらえないかもしれないし、この人とは働きたくないと思われると就職の案内や時にお誘いも回ってこないと思う。

でも一応研究をしたい?理由を書いておく

あーだこーだ研究したい理由がないと書いたが、研究生活の良いところを書いておこうと思う。

常に新しいことができる

新しい研究の知見は日々日々蓄積し、色んな分野・方法論があるので、同じことを研究していても常に自分にとっては「初めて」の分野があり、学ぶことが多くて飽きることがない。研究職でなくてもそうなのかもしれないが、一応新しいことをやることが仕事だ思うので、そういう意味では一層退屈だなぁと思うことがないだけでももしかしたらありがたいのかもしれない。しかし同時に昨今の処理しきれない情報の波に埋もれて辛くなるのでいずれストレスでやめる可能性はある。

時間の融通がある程度聞く

常勤の先生で授業や会議などが増えるとどうなのか知らないが、おそらくある程度時間の融通が聞く仕事だと思う。毎日同じところに同じ時間に行くのがしんどいので、例えばたまにカフェでちょっと働いてもしても怒られないような仕事の方がいい。

つまるところ人間が面白い

そもそも学部卒業後アカデミアに戻ることはないと思っていたのだが、結局帰ってきたのは、働き出してから一度とある研究者の飲み会に誘ってもらって、そこで人々と話していたのが妙に楽しかったのを思い出したからであった。研究者は研究のこと以外に関しても独特で面白い視点を持っている人が多いので、この人たちの近くにいたいなぁと思ったものである。

博士を始めてからはまっている有名どころでいうとMastodonなどのようなFediverseのSNSが好きなのも、やっぱり色んな人と話をするのが面白いからである。特に研究者界隈だけにいたら絶対出会えないような面白い人がたくさんいて、飽きることがない。


なんだか最後に腑抜けた記事になったがまぁ、これはこれで一つの例として、研究したい理由がめちゃくちゃなくても博士課程を終えようとしている私みたいな人もいますよという。とはいえ全く研究に興味がないわけではないので、就職したくないとか何かしらネガティブな気持ちで博士課程に入るとおそらく後悔することになるとは思う(お金も大してもらえない割には仕事も多い)。他の研究者の人はどうして研究職についたのか聞いてみたい。私の周りの先生の話を聞くと、研究を続けられるほどの優秀な頭があるのはもちろんのことだが、ほぼたまたま運というか、正しい時に正しい場所にいた不思議な人たちの集まりで、あまり研究者になるつもりで生きてきたみたいな人には意外と会ったことがない。