研究テーマの話

私は去年の九月に大学院の博士課程に入学したピカピカの一年生です。大学院はいわゆる大学(学士過程)の後、さらに専門性を高めた勉強や研究を行うところで、一般的には修士&博士といわれる課程です。日本だとほとんどの大学院が修士二年、博士三年という構成だと思います。イギリスだと修士一年、博士三年。アメリカだと修士と博士が一貫コースになっていて、五年かな。もちろん国や分野によって違うのですが、大学院は一人前の研究者になるために五年ぐらい費やして専門性の高い研究をする場所です。私の大学は博士三年のコースだけど、アメリカの大学なので(ハンガリーにあるけど)、教育内容がアメリカよりのせいか、なんだかんだ五年ぐらいかけて先輩たちは博士号を取得しているようです。

一年目はまず指導教員や同僚と話したり、先行研究を読んだりしながら自分の研究テーマを決めます。そして学年度の終わりに研究計画書を提出して、口頭試問(教授陣の前で計画書の説明をして、議論すること)を受けて、通れば晴れて本当の博士学生になれます。ということで実はまだ博士学生(仮)って感じなんですね。五月に試験があるので、そろそろ計画書を書く最終段階に入ってきている感じです。

私の所属する(予定の)研究室は、二人以上の人間が集まって一緒に共同作業する時にどうやって意志伝達したり、行動を決めたり、あるいは頭の中(脳)で何が起こってるのかを調べています。二人以上の人間が集まったところで独立した個人の集まりじゃ?と思う人もいるかもしれないんですが、実は自分しかいない状況で行動するときと違って、他者の前では常に相手の行動や考えを考慮していて、自分のこころも少なからず影響を受けているのです。二人で一つの机を運ぶとき、味方と敵の位置を正確に把握・予測しながら味方にボールをパスするとき、自分はバイオリンを弾きながらオーケストラ全体として最高の音楽を奏でるとき。とにかく人間は他者と共同して自分一人では成しえないことを次々に可能にしてきたわけです。

何で日本人の私がハンガリーにあるアメリカの大学のこの研究室に興味を持ったのか、そのきっかけは長いのでまた別の機会に書くとして、とにかく自分の研究分野は「二人以上で一緒になんかするときの人間の行動」という、すごく短く言ってしまえばただそれだけです。研究の手法は認知科学といって、実際に人を実験室に呼んできて課題をやってもらい、その行動とか脳のデータを分析します。

人と人とのコミュニケーションに関わることもあって、誰もが興味を持つような身近なテーマだし、もちろん既にいろんな研究がされています。哲学とか、心理学とか、広く行ったら生物学とか物理学まで含まれるのかな。二つ(もしくはそれ以上)の個体がどう作用しあうのかって、見方を変えればいろんな角度から調べることができます。でも複数人の行動やその作用が定量的に(つまり数値化して)研究されるようになったのはここ数十年の話で、主には技術の発達と、ある程度人間の基本的な機能がわかりつつある段階に入ったからで、じゃあ次は複数人いたらどうなるんだろう?と研究者の興味が移ってきたところかなと思います。

私の研究テーマは、専門的な技術を伝えるときにどうやって先生(玄人)は生徒(素人)に技術を教えてしてるのか、あるいは生徒は先生から何を学んでいるのか、専門性の伝達・獲得ということをやろうと思っています。専門的な技術といっても実験するときには何かで行動を測らないといけないので、私は自分の研究室がミュージックラボを持っていることもあって、ピアノの技術伝達にしました。ヨーロッパ、クラシック音楽の聖地ですしね。

このテーマに絞った要因は大学院に戻ってくるまでの過去の職歴や個人的な人間関係が関わってくるので一度に全部話せないのですが、それを抜きにして出来るだけテーマ単体を客観的に、素人目で捕らえてみると、今の時代に考えてみる価値があるのかなと思ったりしています。もちろん時代のニーズに合わせて研究しようとかこれっぽっちも思っていないし、そういう研究者は自分の理想とは違うのですが、でもこの時代に生きていて時代の流れに影響を受けてみる、少なくとも文脈の中で研究テーマを考えてみる価値はあるのかなとか。(ちなみに博士学生(仮)の私に学術的価値はわかりません。)

専門性の何が面白いかっていうと、最近インターネットの発展もあって専門性っていうのがどんどん消えかけていて、あらためて専門性って何だ?って考えるのが楽しそうだなと思ったからです。例えば一昔前だったら動画を作るなんてことはテレビ局に勤めるか映画でも作らない限り成しえないことであって、全く素人の個人が専門性の高い技術を得ることはほぼ不可能だったわけです。伝統産業でも、スポーツでも、音楽でも、専門性の高い技術を獲得するには、誰かに技術を持っている人に教えてもらうっていうのは至極当たり前のことで、唯一の手段といってもいいほどだったんじゃないかなと思います。つまり、個人が専門性の高い技術を得たければ、その専門技術を持っている社会的集団に属することが必須だったんですよね。専門集団の中で何十年も鍛錬を積んでやっと一人前の専門性を習得できるような。だから専門性の獲得って単に技術の伝達だけではなくって、玄人と素人の濃密なコミュニケーションによって成り立つものだったのかなと。

それが今は動画を作って配信したいなと思ったら、まずどうやって動画を作ったらいいか、配信したらいいか、細かなチュートリアルがネット上のあらゆるところに溢れています。プログラミングを学びたいな、英語を喋れるようになりたいな、などなどはあらゆる要求に合わせた学びの教材がそこら中に散らばっているわけです。もちろん誰かが学習者に向けてチュートリアルを作っているのですが、それが「特定の個人と個人の学び」の場から、もっと広い「不特定多数への技術伝達」へと変化しているように思うのです。

専門性の獲得にもはや先生と生徒のつながりって必要じゃないんじゃ?インターネットを介したメディアの発達によって、専門家がいなくても技術の伝達って可能になるのかな?でも人と人のコミュニケーションなしに、情報だけで専門性って身につくの?

みたいな疑問がふと私の中に浮かんだわけです。自分としては学術領域を超えて色んな人と話し合いたいテーマ(=面白そう)と感じたわけです。そもそも専門性ってなんやろうっていうね。研究テーマってオリジナリティとか新規性とか、そういうのが大切と言われますが、このテーマはどうなんだろう。研究始めたばっかのひよこにはそんなことわかりませんね。そんなことを考えながらそろそろ計画書をまとめにかかろうと思う午後でした。

*この記事はポットキャストの人気番組「墓場のラジオ」の第57夜「個人が活躍する談義 〜プログラミング編〜」から刺激をうけて書きました。