三月十三日・十四日・十五日・十六日@ブダペスト

三月十三日

昨日、大学の学長から来週の月曜日から学校は閉鎖で授業はオンラインで行うと言われていたが、政府の要請で突如今週の木曜日から閉鎖になった。大学からは当初四月十五日まで当面この調子で行うとのことだったが、結局今年のアカデミックイヤーの最後(六月)までこのままでオンライン授業でということになった。通学がいつから許可されるのかはわからない。

こうなることを予期していなかったわけでもないがあまりにも事がどんどん進んでいくので焦り始める(一刻を争うのだから早い方がいいのだが)。とにかく生活のことが第一になってきて色々食べ物を買い始める。これまで預けていた冬物の服を取りに行き新しいのを出したりする。まだ街は通常通り動いていて、大学生だけが大学からいなくなった。

通学禁止になってからジムにも行かないので、ただひたすら家でいかに快適に過ごすか考えるが、こんな狭い部屋でどうしようもなく、必要物資はなんだろうかと考える。明日の市場で野菜などを買って、一応当面は大丈夫そうな気がする(野菜と肉は常に買い足さないといけないが)。

読書クラブを月曜日に企画していたが、やめるかやめないかで迷って、結局多数決を取ってやめないということになったのに、いざ通常通りにやるとなったら心配な人々が出てきて結局中止になる。個人的には中止にしたいと思ってたのでよかった(私がホストする番で、夏目漱石のこころを読む予定だった)。

こんな時に限ってガスが壊れて、セントラルヒーティングシステムが使えない。死ぬほど寒くないが部屋で作業できないほどには寒く、結局ヨガして寝ることぐらいしかできない。

三月十四日

気軽に出かけることができないので、朝の人のいない時間は貴重。朝の時間帯にランニングをすることに決める。この時間しかできないと思うとちゃんと起きるし意外と走れるもんだ(なんだか戦時中のようだ)。コロナ謹慎のせいでジムに行かなくても有酸素運動ができる習慣を得ることができればそれは嬉しい。

ホワイトデーの日ということすら全く思い出さないほど、ひたすらコロナのことを考えて生活している。何せ情勢がどんどん変わっていくので、常に追い続ければいけないというプレッシャーがある。今のところ大学は閉鎖だが小中高は通常通りということだったが、教師や保護者から初等・中等教育も閉鎖にしてくれという意見が絶えないという。

日本で首相が一斉に休校にした時はものすごく反発(とその反面称賛)があったと思うが、ハンガリーの人は自国の医療に不安があるからか、なるべく外に出歩かないような対策を欲している気がする。facebookでハンガリー人の友人の投稿を見ていると、なんとなくカフェぐらいに入ってもいいかなぁと思っていた私も、カフェ「ぐらい」の「ぐらい」がいかに取り返しがつかないかというようなことを感じ始める。とはいえこの日は徒歩五分のカフェに行ってしまったが、すでにガラガラであった。

今日は市場に野菜を買いに行く。普通通りにたくさんの老人が市場に来ていて、ワインを飲みながら談笑したりしている。生活をいきなり変えるのは難しいなと思った。むしろ若者の方が色んなメディアに晒されて危険性を認知しているので、外出を控えているように思う。

家にいるしかないので適当な料理をしつつ、不安からずっとニュースをチェックして、学部の人とメッセージのやりとりや電話をしつつ、ひたすら色んな国のニュースを追い続けて疲弊する。

午後に大学時代の先輩と久しぶりにスカイプして近況を聞きつつ、弱音を履いて励ましてもらう。その後にストレッチとヨガをして寝る。少しずつ少しずつしかできないが、走ったりヨガしたりなど運動の習慣をこの一年でつけることができてよかったなと思う。定期的に運動し始めてから風邪すら引いていないので、精神的にはもちろん身体的にも効果があるように思う。

三月十五日

今日も朝起きて走る。犬と散歩している人もいるが、そこまで人はいない。どれだけ誰かに近づいても二メートル以上は離れている。近くに広い公園があったよかったと思う。

今日はハンガリー革命の記念日で国民の祝日だが、コロナの関係もあって祝典がキャンセルになる。国民の祝日なのでいつもの日曜日以上に色々閉まっている。鎖橋がハンガリーの国旗色に彩られていたそうだが、もちろんそんなところまで行っていないので知らない。

お昼は徒歩五分のカフェにいくと一応人はいたが、それでも依然ガラガラである。パソコン作業をしていたが、研究ではなくてひたすらニュースを追いかけて、コロナの感染予測のデータなどを見ていると止まらなくなり、こんなところにいる場合ではないのではないかと思う。

私は小さいお店が好きなので、できるだけ地元に貢献したいし、コーヒーだけなら自分でも淹れることができるが、カフェが好きで場所がなくなって欲しくないから、お金がある限りなるべく行くようにしていたし、こんなにガラガラな様子を見ると行ってあげなきゃという気持ちになるが、そんなことを言っている場合ではないようだ。心苦しいが明日からもうどこにも行かないと決める。

ストレッチとかヨガをして寝る。夜は眠れるし食欲もある。研究ができずニュースを見てしまうのは結局いつもの怠け癖なのだろうか。

三月十六日

今日も朝走りに行く。ランナー用の少し地面が柔らかいコースがあって、そこをひたすら走ってるが何周走ってるのか途中でよくわからなくなる。多分二キロか三キロ走った。五キロぐらいがちょうどいいなと思いつつ、他人の目がないと途中でしんどくなる。

とうとうハンガリーは国境を封鎖し、ハンガリー人以外入れなくなる。ハンガリー人であっても検査されて十四日は隔離されるそう(自宅にいれるそうだが家のドアにSTOPという赤紙が貼られるらしい、つまり近所の人にモロバレする)。

国境を封鎖しただけではなく、全ての公共イベントは禁止となり、美術館や温泉(治療目的以外)も全て閉鎖になる。私の周りだと通ってるジム、お気に入りの服屋や雑貨屋も自主的に休業になった。レストランやカフェは短縮営業で午後三時までとなり、その他スーパーや薬局など生活必需なものは通常通り営業することになる。

少し前にアロマキャンドルにハマって多めに買った(五日前)が、それでももしかしたらいつかお店が閉まるかもしれないから買い足しておこうかなぁ(昨日)と思っていたらもうお店にはいけなくなった。大体多めに買って後悔する事が多いのだが、多めに買っておいてよかったと思う。アロマキャンドルのようなものは生命の維持は全く役に立たないが、精神の安定のためにはこういう雑貨類こそ私には必要だ。

今日から大学はオンラインの授業が始まる。私は今日授業がないので研究するべきだが案の定ニュースばかり見て一日過ぎる。四時から一度他大学の修士学生さんとスカイプして、少し学術的な話をする。来週から一緒に論文を読もうと約束する。彼女はタイから来ているので、タイに帰らないのかと聞くと、タイの状況はハンガリーより酷いし、政府が十分な検査をしていないから、きっと想定以上の状況なので帰らないという。

私も帰りたいけど、帰っていいのかわからないジレンマで、今日はこのことを一日中考えて疲れてしまった。アメリカやシンガポールに帰ると決めた先輩と話していると、やっぱり万が一の事が起こったときに母国にいないリスクと医療設備の違いを考えると、今帰るべきという。しかし私は日本の状況もどこまで本当なのかよくわからないし、ハンガリーがここまで封鎖しているんだから、私はこの家にい続けた方がどう考えても健康な気がするのだ。が、万一かかってしまったら最悪である。とはいえ今飛行機(乗り換えあり)にも乗りたくない。どこで乗り換えするにしてもハンガリーの発症者数(三十九人)を超えている。いっそ日本まで帰ったら数週間ちゃんとした施設に隔離して検査もしてくれる約束でもあればまだ帰りやすいけれど、今ヨーロッパからの渡航禁止令もないので、このまま帰って症状が出ていなかったらまともに検査してもらえないのではという気がする。

日本の人々をSNS上で見ているとあまりにもコロナの状況が長引きすぎているからか、大変だと思うけれどそれなりに慣れてきているように見えるし、イベントに行ったり飲み会に行っている人もいて、なんだか羨ましいという気持ちが否めない。これは圧倒的に自国民であることの権利と発達した医療設備への絶対的信頼なんだと思う。まさか自分にベッドがないとも思わないし、必要時にはちゃんとした処置をしてもらえると思っているのだと思う。

私はハンガリーがたとえ医療設備がちゃんとしていても、私のために資源を割いてくれるとは思えない。万一発症したら外国人用の隔離病棟に入れられて、重症になっても人工呼吸器をつけてもらえないと思う。ハンガリーは良くも悪くもポリシーがはっきりしていて自国民優先なので、ハンガリーが危機に瀕している時に外国人を助けるわけがない。ここまで悲観的にならなくてもいいが、でもこれは概ね正しいと思う。

今まで外国人であることのよいことばかりを享受してきたが、やはりよそ者なのだ。明日からは少しコロナと距離をおいて、まだ生産的な記事を書こうという気持ち(英語の勉強の話など)。