六月二日@ウィーン

さすがに六月だし色んな返信も返ってきて色々動き出しそうなので、ちょっと真面目に頑張ろうと思う(五月は研究費や学会の申請を出してラボミーティングで発表した以外はマイクラしかしてなかった気がする)。

1. 五ヶ月ぶりに先生から論文のお直しが返ってきた

うちの指導教員は大体返信が早いのだが、一度リジェクトされた論文の書き直しということで、体裁自体は最初の頃と比べて整っていたからそろそろ終わりに近いと思われて放置されていたのか、最近二人公聴会があったのでそれで忙しかったのか(おそらく後者)、五ヶ月も放置されるとは思わなかった。他にやることがあるから文句を言ってるわけではないのだが、主に人文系の人から聞いたようなことが自分にも起こってなんかPhDという感じがしている。ただ哲学とかあっち系の人と流れてる時間の感覚が違う気がするので、五ヶ月はもしかしたら人によったら怒ってもいいレベルかもしれない(そうでもないか?私はやる気がないのでわからない)。

ということでもらったフィードバックを反映させて、次は第二指導教員に投げて、オッケーだったら投稿という感じである。自分で久しぶりに見返したけど自分で言うのもなんだが思ったより悪くない出来だった(しかし細かいところをチェックしなければ)。あとで書くがチャプターが優先なのでその後にするが、あんまり長引かせてもこれ以上良くならないと思うのでさっさと終わらせたい。

2. 研究費の申請が通ったが承認額がめちゃくちゃ少ない

このご時世だから行けるかわからないが、イギリスのとある大学に滞在研究に行くため、学内の研究費の申請をしていた。かなりお金がカツカツでおそらく足りないぐらいしか出ないとは聞いていたのだが、それを踏まえても少なすぎる。具体的な額は伏せるが、航空券や保険料などを差し引いて、ブダペストに住んでいた時の奨学金よりも少ない額で生活しろと言うことになる。イギリスに住んでいたからわかるが、流石にそれは自炊を毎日したって無理だ。

アピールと言って異議ありと大学の上の方の人に言うことができるので、それをやろうと思うが、契約書を詳しく読んだりお偉い人に対しての文面を考えてると頭が痛い。まとまらないのでとりあえず寝かせる(明日は休日だから金曜日に送れるようにする)。指導教員とも話して先生はすごくサポートしてくれるけど、実際にアピールするのはもちろん私なので誰が助けてくれるわけでもない。しかしこの大学(アメリカの大学)にいて学んだのはやはり不満は言うべきであり、察してくれる文化とかないので、たとえ私はこのお金しかもらえなくて自腹を切っていかなくてはならなくても、私のアピールで後輩がもっといい状態になるかもしれない。日本的な感じでみれば、厚かましくてうるさい学生ということになるだろうなと思う。昔の自分だったら不可能じゃない限り、基本的には従い権利の主張とかするタイプではなかった(と思う)。

3. チャプターの締め切りが来週の金曜日

毎年うちのプログラムではチャプターと言って、一年間の研究をまとめた論文チックなものを出さなければならない。もちろん毎年進捗は違うのでうまい結果が出なかった場合は、その報告でも構わないし、理論のまとめでも構わないし、特に指定はないのだが、一応博論の一部に含めても良いものを出せということだ(しかし実際は含めなくても良いのでややこしい)。

コロナのせいで途中からぱったりデータ収集が止まってしまったので、今あるデータだけでいうともう三月ぐらいまでには取り終わってたような気もする。なのでチャプターもだいぶ前から書くことはできたのだがやはり直前の直前まで放置するのはなかなか直らない。とはいえもうラボミーティングで発表したし、フィードバックももらったので、一応骨格はできてるから数日前に真の白紙のエディターの前で呆然としてる私よりは少し進歩しているかもしれない。

4. 二ヶ月後に滞在許可証を更新しないといけない

まだ先なのだが、滞在許可証の更新が迫っている。正直もうしんどい。というかなんだろう、なぜかオーストリアからウェルカムされてる感覚(???)がないので、今度の滞在許可申請では却下される気さえする。問題はお金だけなのだが、お金の流れが今年の後半は微妙で、先ほど書いた研究費のお金+一年の論文執筆マネーで生きる予定である。これが奨学金と違うのは事前に収入証明として証明書がもらえないことだ(厳密には論文執筆マネーの方はもらえるかもしれないが、それはイギリスに行った後に開始するものなので、八月の滞在許可更新時には使えない)。

この滞在許可の申請が人によってどれくらいストレスになるのかわからないが、私は好きではない(まぁ好きな人いないと思うけど)。とはいえ、最初の頃は不安と新しい経験としての若干の楽しみがあったが、本質的にはどの国であっても同じことの繰り返しなので、移民局のどんよりした雰囲気に触れるたびにああ私は汚い外国人なんだなぁという気持ちになる。

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とまぁこんな感じで頭がいっぱいだったのだが、書き出すとちょっと楽になる(これはブログのいい点だが、一応誰かに読まれるという想定なのでそれなりに説明のため文章化するので自分のつまづいていた部分に気付いたりする。自分用のメモ書きだと文章化しにくいところはスキップしたりしてあんまりすっきりしなかったりする時もあるような)。なのでマイクラもSNSもぼーっと入り浸る感じよりは、たまに見るぐらいがいいかなと思う。「この癖が悪いからやめなきゃ」とか「これは太るから食べてはダメ」とか思えば思うほどやりたくなっていたのだが、前書いたブログのようにそもそもやらなかったら存在しない欲求的なことを考えると、マイクラもSNSもやるからどんどんやりたいこととか書きたいことが浮かぶのであって、放置し続けるとそういう欲求は消える。手元にハリボがなければ食べようという発想もない(とはいえどこでも売ってるからどうしても食べたい時はわざわざ買いに行ってしまうが)。

博士を終わらせることと将来のこと(何かを始めること)と、方向性が違うことを二つやるのはなんだか大変そうだが、まぁみんなそうやって生きてるんだよな〜むしろ自分はこんなに自由に生きさせてもらってラッキーなんだなと思うようにしている。とはいえ側から見て楽に見えるからと言ってなんのストレスもないかというと当然違う。昔友人に学生のモラトリアムを楽しめばいいよ的なことを言われ、おそらくその人はむしろもうちょっと気軽にやりなよということだったのかもしれないが、なんだろうその人に見せている部分が全部だと思われていたのかなぁ。だから私も誰かと関わる時は、自分の知ってる部分だけじゃないところに想像を膨らませて対話したいなと思うんだけど、まぁそれは意識したところで簡単にできるわけではないかも。明日からも頑張らないけど、ちょっとは前に進もう。