全部自分で決めたこと

最近叶姉妹のファビュラスワールドというポッドキャストにハマっていて、朝の通学の時間などに少しずつ聞いている。叶姉妹と言うと、昔ダウンタウンDXでものすごく高額な服を着ている謎のお金持ちの人たちというぐらいでそれ以上何も知らなかったのだが、こうやってポッドキャストで話を聞いていると、いまだに何をしている方々なのかはわからないが、お話は面白いと思う。このポッドキャストは投稿者のお悩みを聞いて人生の悩み相談をするというような趣旨である。

この回の中に、三十代を子育てに費やし、金銭的には困っていないものの夫は協力的でないし、自己犠牲ばかりで奴隷のような人生だという相談者の方がいた。自分は子供を育てたことがないのでよくわからないが想像するに大変そうだし、共感したりしてお悩みを聞くのかと思いきや、叶姉妹お二人(特に姉の恭子さん)は、「でもそれって全部ご自身の決断ですよね?」という切り返しで、夫を選んだのもあなた、子供を育てると決めたのもあなたと言う。

最初はうわぁなんだか直球で辛いなぁと他人事に思っていたのだが、数分後には今の自分にもまさに突き刺さることであるなと最近の生活を反省した。来週の火曜日に締め切りのフェローシップがあり、自分の先生を含めた三人の先生に推薦書を書いてもらうようにお願いしたものの、応募するための研究計画書がいまだに書けていない。ガチガチの研究計画書というよりかは二ページ以内で今やっている研究と今後の展望を書けと言うものなので若干違うが、しかし大切な書類であることには変わりない。

本当は早く書いて他の人に見てもらいたかったのだが、自分の博論の執筆が遅くなっており最後の実験の章を書いてからこちらに取り掛かろうと思って、それが水曜日である。水曜日だから今日まで丸二日あったのに全く構想がまとまらず全然書けていない。海外学振のアイデアを元に出すのでゼロから作るわけではないのだが、しかしやはりそれぞれの機関によって専門が違うので、まるまる使うわけにもいかず、そんなことを考えてると筆が進まずといった具合である。

そんなイライラしている状態でさっきは恋人にa/anとtheの間違いを指摘され、もう何回もされてるから恥ずかしいと言う感情はないのだが、そもそもこの概念が全然理解できなくてさらにイライラする。教科書的な説明で一般的な名詞につくa/anと限定的な名詞につくtheの使い分けはわかるのだが、それが人との会話の中で(つまり文脈がある中で)何がa/anであり何がtheであるかは、会話しているもの同士の共有知識による部分があり、それがいまだに分からなくて間違うことが多い。

フェローシップも誰かに出せと言われたわけでもないし、海外に住んで英語を話して生きろと誰かに言われたわけでもない。別に誰かのせいにしようと思っていなかったが、しかしどこかで「なんでこんな辛い目に」という思いがあるからイライラしているんだろうと思う。嫌ならフェローシップを出さなくてもいいし、日本に帰って日本語を喋って暮らせばいい。

まぁそれでもまだ多少時間はあるからフェローシップも出したいし、やっぱりこっちで暮らしたいなぁとまだ思っているから、イライラしつつも自分で決めたことだからと腹を括って受け止めると言うか、ただ邁進するしかないのかもしれない。人間に自由意志があるのかよくわからないし、突き詰めるとないような気がしているのだが、生きていく上ではあるとした方が実践的で役に立つような気がする。とりあえず自分の手を動かさないといけないのだが、動け動けと思うと余計に動かない。