研究、学会、大学移転、私生活など

一月に入って色々あったが、なかなか日々を記録することができなかったので、それぞれ主に最近のことをメモ(長い)。

研究のはなし

こちらでは正月休みなるものは最初の数日だけですぐに学期が始まるので、年始早々先生とのミーティング。冬休み中にやろうと思っていたことは何一つできていなかったが、本当に最低限の(やろうと思えば一日でできる分量ぐらいの)成果を見せて、今後の方針など話し合う。

今回の実験は前の実験の再現を主にしたものだったのだが、ある程度再現されたので、この話はもうこれで一旦終わりにするかということにする(具体的には、ピアニストは、教えるつもりで演奏している時は、そういう意図がない時で演奏の仕方を変えているようだという話)。次の実験は、今回見られたピアニストの演奏の変化が、実際の先生と生徒とが交流するような場面において、どのように起こりうるのかという分野に少しずつシフトしていこうという方向性。

最初はなるべくシンプルな実験設計から始めてだんだん複雑な状況について検討して行きたかったのでこれでいいのだが、何ヶ月この話をやってんだという感じがあるし、自分自身が一番この話に飽きているのでもう次の実験に移りたい。

前の実験を元にして書いた論文の下書きが数ヶ月先生のところで止まっていたが、ようやく手元に返ってきたのでそれについてももう一度考える。イントロダクションがなんとなく自分の中ですっきりしなかったけど、改めて数ヶ月ぶりに立ち返ってみると、いいストーリーラインが思いついてまだ書いてないがちょっと方向性が見えてくる。サボってることを正当化したいわけじゃないが、ときには仕事を寝かせることも必要である。

学会のはなし

年明けに毎年うちの学部が企画している発達心理学の学会がある。今年は十周年ということで、招待講演もとても豪華である。一般に芸能人を生で見かけると「おお」という気持ちになるように、アカデミアにいると、専門分野界隈で有名な先生はたくさんいて、今まで写真しか見たことなかった人が、自分の慣れ親しんだブダペストの街(大学周り)を歩いていて「あぁマイケル・トマセロが存在している…」という月並みの反応をする。

この学会自体は、自分が今の博士課程に入学してから三年目、つまり私に取っては三回目になるのだが、いつもより参加者も多く、しかし毎年来る人との再会の機会でもありなかなか充実した一週間であった。特に今年は大学時代のすぐ上の(つまり私の学部時代を知っている)先輩方に久しぶりにお会いでき、お話しして楽しかった。あの頃大学院生だった憧れの先輩たちは、もう立派な大学の「先生」になられている。

今回は日本の博士学生と知り合って、海外留学や今後のキャリアの話などをしてなんだかんだ三時間ぐらい話し込む。私の大学院の同僚といえば(当たり前だが)ヨーロッパで出会った学生ばかりなので、日本での研究の様子や将来の悩みとかを聞けるのはなかなか貴重な機会で楽しい。

大学移転のはなし

いよいよ次のアカデミックイヤー(つまり今年の九月)にウィーンに移転することになりそうなので、具体的な話がどんどん出てくる。その中でも、主に経済面や暮らしのことを不安に思っている学生が多く、ラボの中で学生だけのミーティングを企画して意見を共有して議論する。

こういうミーティングは直接研究と関係ないので面倒といえば面倒。去年は特にたくさんの会議があり、さらに他学部の人とも話さなければならず精神的に疲れていた(運悪く学生委員をしていたので、学部代表として参加しなければならなかった)。

しかし面倒なことだからと言って面白くないわけでもなく、実際組織での意思決定とか議論の仕方とか、そういうものは見ていて勉強になることが多かった(というか実際研究よりもこういう活動から学ぶことの方が実社会のスキルとしては活きるのだろうな)。最初は何でもかんでもバカみたいに質問する修士学生がわんさかいて、場の状況を考えて質問しろよと思っていたが、実際何が有益な質問で何がそうでないかというのは、実際発言してみないとわからないことが多い。

最近聞いているボイシーのタバラジでも言っていたが、一番会議に入らないのは発言しないで黙って座っているだけの私みたいなやつなわけである。

ということはさておき、自分の企画したラボ内のミーティングは、みんなよく知っている人々ということもあり、みんなの意見を聞きつつ自分も喋りつつで割と有益な時間であったように思う。これをまとめて来週先生とミーティングのついでに伝えてみるつもり。ここの伝え方も難しいが(先生たちを責めたいわけではないので)、なんだかこういうことをするのが楽しいので、人とコミュニケーションをとるとか、誰かの間に入る仕事みたいなのが好きなのかもしれない。

私生活のはなし

私生活と聞くと昔好きだったaikoの曲を思い出して、歌詞を見てみたら別に全然平凡な私生活を歌っている歌詞ではなかった。ふとaikoを聞いていたせいで妙に恋愛への偏見が高まってしまったような気がする。これと言って何が変わったというわけでもない私の生活だが、二十代の頃(特に二十代前半)と比べると、少しずつ自分に優しい日々を送ることができるようになったのかなと思う。

二十代の始めの頃は全力疾走というか、大学で必死で卒業研究をして、そのあとは外に出て夢に見た雑貨屋さんでも働いて、結局イギリスで修士課程に入り直して、今ハンガリーで博士課程という。就活ではなんとか社会に適応しようとして何社も受けたが全く引っかからず、しかし不思議なもので就活以降は思い描いた道だけを見て特に他の選択肢を持たないまま突っ走ってきたが、その方が私には合っていたようで、周りのサポートと運の良さで特に苦労することもなく今までやってこれた。

ざっと思い返してみると二十代は大体三年ぐらいで周りの環境があっと変わってしまうような生活をしていて、あんまり自分の私生活についても考える時間がなかったというか、毎日こなすことがたくさんあってそれに対応していくだけで月日が流れていたような。適度な新鮮さと忙しさがあれば人間は鬱にもならないのではないかという気がする。

それが博士課程という、私の学部だと大体五年の月日を費やすような環境にいて、もちろん私は例外的に途中からウィーンに引っ越ししたりするわけだが、それを除いては基本的に同じ人に囲まれてただ黙々と研究作業をするわけで、環境にも次第に慣れ、ある種だらけてくるというか、自分の人生について考える時間が増えた。それによって鬱々となる日も多々ある。

あとは三十代ということも関係するのだろうか。別に年齢による社会的な役割みたいなものは人間が勝手に決めたものだし、年齢によって何か突然変わるわけでもないとは思うが(生物学的な肉体の衰えはあっても)。ただ肉体の変化が精神の変化に影響を及ぼすだろうから、ある程度の年齢で何か突然あるテーマについて考えだすのも不思議ではない。

博士に入ってから再びピアノを習い始めたり、身体(というよりは実際は心)を鍛えるためにジムに行き始めたり、なるべく友達の誘いは断らずに外に遊びに行ったり、ネット以外の時間でも余暇を増やしたりしてきたので、昔に比べると心身ともにリラックスできているような気はする。それが故に交友関係が広まってきたのも事実だ。もっと密な関係も増えてきて、楽しい思いもしたり、どうしようもなく辛い思いをしたり、感情の色合いという部分でも昔に比べたら少しずつ色鮮やかになってきたとは思う。

しかしながらまぁ、私生活をどうしていくのかは本当に難しい課題で、私生活や日常というのはなんてことのない特別なことだからこそ、それを壊さないためにいかに定期的なメンテナンスが必要かを思い知らせされる日々である。そのメンテナンスを行う余裕はやはり心身ともに余裕がないとすぐにできなくなってしまうのだ。