博士課程の資格試験

先月の二十九日に博士課程一年生の最大イベント、Comprehensive Examinationがありました。何と日本語に訳したらいいのかわからないのですが、「comprehensive examination ブログ」や「comprehensive examination 試験」など検索すると、いくつか日本語のブログも出てくるので色んな人の体験談が読めます。一般的には博士課程の学生として資格があるかどうかを審査する進級試験のようです。

大学によって、また学部やコースによってその様式は様々で、筆記試験だったり、口頭試問だったり、期間も数ヶ月に渡って審査されるものもあれば、私の学部のように一日で終了するものもあります。アメリカの大学院では大体あるようですが(ちなみに私の学位もアメリカ)、日本の大学では私の知っている限りはありませんし、ヨーロッパの大学でも一般的ではないように思います。

私の学部の場合はComprehensive Examinationの要件として、約5000wordsの実験計画書(およそ二年分)の提出と、それを元に口頭試問(教授陣の前で15分の発表と45分のディスカッション)が必須となっています。

そこにたどり着くまでに、まず私の学部では博士課程に入ったら、出願時に応募した計画書の内容を元に、仮で指導教員が割り振られます。この先生は最初の秋学期の面倒を見てくれる先生で、この先生と話しながら興味の範囲を狭めて、冬学期に正式に研究題目と指導教員を決定する流れです。ほとんどの人は最初の計画書の分野のまま研究対象を狭めて行くので、最初の先生が主査か副査になることが多いです。

(とはいえ、一度大学院に入ってしまえばまるっきり分野を変えることも可能になっています。例えば私の同期は、人の非言語コミュニケーションをやっている研究室を念頭において出願時の計画書を書きましたが、今は全く違う顔表象のコンピュータモデリングを研究しています。)

指導教員が決まった後は、毎週先生と面談があり、本格的に実験テーマの選定、実験計画を詰めていきます。冬に授業の一環で研究計画書の序論を書いて提出し、春学期では一度書いた序論を整理し、さらに具体的な方法論を加えて実際の研究計画を事細かに書いて5000wordsまで落とし込みます。

私の場合は、専門家から非専門家への専門技術の伝達における社会的学習の役割 (the role of social learning in expertise transmission from experts and novices) というテーマを「音楽(ピアノ)」という専門技術に着目して研究しようと思っています。具体的な内容はまたいつか書くとして、序論を大体2000words(理論背景)、方法を3000words(実験5つ)で仕上げました。実際にはそれぞれ字数が多くて合計で6000wordsぐらいになりました。うちの学部では「約」5000wordsなので、多少字数を超えてもペナルティはないようです。

その計画書を提出すると、約一週間後に口頭試問があります。具体的には、教授陣が一年生の提出した計画書を予め読んでもらい、その状態を元に学生が15分の簡単な計画書のまとめの発表を行なった後、45分のディスカッションを行うという形式になっています。ディスカッションの間、基本的に自分の指導教員は助けてくれないので、学生があらゆる質問に対して返答し、その返答の内容や態度などを審査します。

他の方が書かれた色んな体験談を読んでいると、アメリカの大学院の試験はかなり厳しく落第率もそれなりに高いようですが(特に自然科学系)、私の学部は一学年六人と博士学生の数も少なく、アットホームな雰囲気で真面目にやっていれば、まず落ちることはありません。ちなみに落第するともう一度だけチャンスが与えられ、四ヶ月以内に計画書の書き直し&口頭試験の受け直しが課せられます。それで落ちたら、退学です。まず落ちることはないとはいえ、もちろん過去に退学になった人もいるので、もちろん適当にやって受かる試験というわけではありません。

私の場合は、博士課程に入るまでに一度働いてみたり、イギリスの修士課程に行ってみたりと、ありがたいことにそれなりに自分の人生について考える時間があり、研究に対する心構えみたいなのがある程度固まっていたので、計画書を書き上げるのはスムーズに進んだと思います。もちろん何かを生み出し書き上げたことがほとんどないので、それ自体は大変な作業でしたが、もっと根源的な「何でこの研究がしたいんだろう?」というような答えに悩む複雑な問題には特に陥らずに、客観的に淡々と取り組めたように思います。

後は指導教員との相性もよく、先生は基本的に褒めスタンスでいつも励ましてくれ、アイデアをいっぱい与えてくれます。かといって必要以上に指図しないし、誘導しようとはしてきません(感覚的には、です。もちろん私の興味と先生の興味が似てるから、先生に寄っている可能性は否めません)。あくまで主導権が私にありつつ、本当に良き相談相手という感じで、楽しく面談も進めることが出来ました。

計画書はそのような形でうまく書き上げ、自分で褒めるのも何ですが、書きたかったものが書けたという感覚がありました。もちろん突っ込む点はいっぱいありますが、論理の構成から実験への流れ、APA形式をベースにしつつもシンプルで見やすいデザイン、あとは実験の図や予想結果などのグラフィックスなども自分ができる限りでイメージに近いものを作れた感覚がありました。

全力を出し切って提出した計画書の後は、発表資料を作って、ひたすらひたすら練習しました。変なもので発表というのはいわゆるパフォーマンスだから、発表前に練習するのはごく自然なことなんですが、自分が学部生の時に似たような試験(卒論の口頭試問)があった時は、ほぼ即興でやっていたんですよね。何も自慢ではなく、自分が書いたものだから自分でその場で何でも答えられるだろうという謎の自身と余裕を持っていたように思います。

今はもちろん発表言語は母語じゃないので、即興でうまく喋れる自信が一ミリもなかったので、発表原稿をまず全て書き起こし、15分以内で喋れるようにひたすら練習を繰り返しました。ちょうど口頭試問の少し前に、大学本部が企画しているプレゼンテーションのワークショップがあったので、それにも参加し、プレゼンテーションの基本を習いつつ、自分の喋っている様子を録画・録音して聞き直し、聞き取りやすく喋れているか、どこで詰まりやすいのか、どこで抑揚をつけるとわかりやすいのかなど考えました。

こういった練習を自分で行ったことがなかったので、なかなか自分のいいところも悪いところもわからず、そんなに改善できたとは思わないのですが、とりあえず原稿(少なくとも話の流れ)を頭の中に叩き込んで、15分の発表の中で頭が真っ白になったり、余計なことを喋らないよう、練習を繰り返しました。

発表当日は、一番最後の発表者で発表の時間が来るまでそれはそれは長い一日でした。自分の番になるまでももちろん空き教室で声に出して練習し続けました。これだけ練習すると自信がつくというよりは、無意味な怯えのような感情が芽生えることなく、実際の発表の際は本当に落ち着いて、六人の先生の顔をしっかり見ながら話すことが出来ました。

発表が終わった一時間後、指導教員の先生からメールが入り、正式な結果は翌日に大学院を取りまとめている先生から連絡が入るとのことでしたが、文面的におそらく通ったんだろうなという感じの連絡でした。私は翌日からイタリアのキャンプに行く予定をしていたので、結果に少しそわそわしつつも、イタリア行きの準備をしていたと思います。そして翌日の結果は予想通り合格。

Comprehensive Examinationという、いわば博士課程の適性試験に通って、本格的に研究室の一員になり、具体的に実験を進めるための準備に入りました。もちろん夏の間もコツコツ書類を書いたりプログラミングをしたりとやらなければならないことはたくさんあるのですが、今は少しほっと身体を休めている時期です。

学部・修士の時は自分の論文や発表に関しては、完全にネガティブな感情(何でもっと早くからしなかったのか、何でこんなに質が低いのかなど)しか持てなかったのですが、不思議と博士学生の出発時点でのComprehensive Examinationに関しては、我ながらよくやったなぁという気持ちでいっぱいです。自分で自分を一番褒めている、本当に日本社会だった疎まれる存在になっていますが、私はここハンガリーでは外国人だし、人に迷惑をかけない程度に自分を褒め称えたいと思います。

大変なのはこれからですけどね。