留学したら英語が上手くなるのか(日常会話編)

そういえば英語を使う環境に長らく住んでいながら、どうやって英語を勉強しているかと言うことについて全く書いたことがなかったように思う。大学院には英語勉強しにきたのではなく、英語勉強しにきただけで、英語の勉強に関してそこまで試行錯誤してきたわけでもない。効果的な上達方法があるわけでは全くないが、誰かのためになるかもしれないので私の英語力の変遷を記録しておこうと思う。

留学前〜受験の遺産とオンライン英会話〜

英語を勉強し始めたのは中学一年生で、一番体系的に勉強したのは高校生〜浪人の時。海外に住むなんて一度も考えたことがなかったので、大学の英語の必修授業が終わった後は定期的に英語に触れる機会が減り、卒業後はほぼ英語を使わない状態になった。

大体働き始めて二年目の途中に、色々あって留学しようと思い立つ。イギリスの大学院にいくつもりだったので、募集要項を見ると志望動機書や推薦状の他に、英語の検定テストの結果を提出しなければならなかった。日本で主流のビジネス用のTOEICはダメで、TOEFLやIELTSと言ったリーディング、ライティング、リスニング、スピーキングの四カテゴリーで判定される試験を受けなければならなかった。私の大学の基準は全てのカテゴリーでIELTS6.5以上が必要とのこと。

IELTSは英検と違って合格不合格ではなく、試験の出来によってどのレベルに当たるのかカテゴリー分けされるだけなので、今の実力を把握しながら勉強するしかないのだが、一度も受けたことがなかったのでよくわからない(なので、お金に余裕があればとりあえず一度受けてみるのがおすすめ)。私の場合は、試験を受ける前からどう考えてもスピーキングがどん底だったと思うので、働きながら毎日25分レッスンができるDMM英会話を始めた。

DMMはネイティブから非ネイティブまで色々な国の先生がいるが、ネイティブプランは少し料金が高かった気がする。非ネイティブに習うと変な発音の癖がつきそうという人がいるが、個人的にはそういうことを気にするのは後になってからでいいし、よっぽど恋人とか一緒に住んでいない限り誰かの発音の癖が移るということはまずないように思う(日本語でも同じだと思うのだが)。「英語は何の問題もなく話せるが、どうしてもイギリス英語に矯正したい」とかそういうマニアックなニーズを満たしたい場合ならまだしも、英語を使って自分の意見を述べたり表現したりすること(つまりコミュニケーション)を目標としている人は、非ネイティブの先生で全く構わないと思う。

私の場合は、とりあえず外国人を目の前に英語を話すという状況になれる、というところだったので、毎日何とかオンライン英会話を続けることでそのシチュエーションに慣れるができた。

その後初めて受けたIELTSの結果をスピーキングより圧倒的にライティングが悪いことに気付き、その後はライティングの添削サービスも受けた。それでも若干点数が足りなかったのだが何とか大学院合格になったので、入学前のプリセッショナルスクール(語学学校)には通わずに住んだ。

留学一年目〜環境に慣れただけ〜@イギリス

いよいよイギリスに移り住むとなり、関西国際空港から出発してイギリスのヒースロー空港に着いた。香港経由だったので香港人に混じりながら、学生専用のパスポートコントロールに行く。学生ビザを持っていたので、特に詳しい質問をされることなく通過する。

留学先はイギリスから北に二時間ほど行ったところにあるヨークという街にあったので、そこから長距離列車に乗ってヨークに着いた。二週間ほどは友達の家に居候させてもらい、住居を探して一年(実際は十ヶ月)ほど修士課程に在籍した。

英語が公用語のイギリスに留学したが、どれくらい上達したかというと今から考えると全く喋れるようになった感覚はない。かと言って全く上達していないわけでもなく、英語の本を読み、エッセイを書き、プレゼンをしなければならないので総合的な英語力は上がっていったのだと思うが、一年程度では当たり前だがペラペラと英語が出てくるわけでもなく、英語の環境にいながら自分はカプセルの中に入ったまま、言語がツルツルと自分の外を滑っているような感覚だった。

最初は誰でも意気込んで留学を始めるものだと思うが、数ヶ月もするとかなり疲れて英語を聞きたくなくなってくる。私は他の留学生(非ネイティブ)と一軒家を共有して暮らしていたが、最低限の会話しかしなかった(今思えばもったいなかった)。途中からはYouTubeを見始めたり、ポッドキャストを聞き始めたりして、授業や友達といない時はずっと日本語を聞き続けた。しかしながら依然日本語を喋る機会はほとんどなかった。

一年目の留学は語学の上達というよりは、異文化交流とか海外での生活とか、言語を超えた文化学習のような感じでそれはそれで楽しかったし、学ぶことも多かったように思う。要するにとりあえず海外生活に慣れたところで終わった。

留学二年目以降〜ようやく英語脳に〜@ハンガリー

イギリスでの修士課程を早めに終えて、九月から始まるハンガリーでの博士課程に入学するために首都のブダペストに引越しをした。ヨーロッパ二回目の引越しということで何となく家探しの要領も得たので、最初は大学の寮に二週間場所を確保しつつも、ネット上で良さそうな物件をfacebookで探し、予め検討とつけておいて、その後難なく良い大家さん&良いアパートを見つけて一人暮らしに成功する。

ハンガリーだから公用語はマジャル語(ハンガリー語)なので英語が使えないと思われがちだが、日常会話程度は英語が通じるし、ハンガリー語を言うより手っ取り早いので、ハンガリーで生きる場合にも最低限の英語は必要である(もちろんハンガリー語が喋れるに越したことはないが)。

しかし私の大学はハンガリーにあるがアメリカの私立大学なので、大学内の公用語は英語で、大学での発表や議論、エッセイ(論文)などは全て英語なので、実質イギリスにいた時と変わらない状況である。

英語力が鍛えられたなと思ったのはこの大学に移ってからであった。と言うのも、イギリスの時は修士の学生自体が多く(一学年百人ほど)、講義スタイルが多かったので、インタラクティブな会話をすることが少なかった。ないことはなかったが、どれだけ少なくてもクラスには三十人ほどいたし、一番緊張したのは自分の指導教員とのミーティングおよび少人数のラボミーティングであった(しかしごく稀にしかなかった)。

博士課程に移ってからは、とても小さい学部ということもあって、授業も大体多くて六人程度しかいないので、必然的に喋らないといけない状態。イギリスの時のようにただ黙って能動的に聞いているだけということが困難になった。また指導教員とのミーティングも多くなり、毎週自分の研究について話すことでだんだん自分の考えていることを英語で説明するスキルがついてきた。

生活の面でも、学部のキッチンなどにいると誰かに話しかけられるし、週末に読書クラブやボードゲームクラブなどに参加してると、日々のことを話す仲間も増えた。とはいえ一年生や二年生の途中までそういうソーシャルな集まりはできるだけ避けていたのだが、やっぱりもっと英語が上手くなった方が将来楽しくなると思って行き続けるうちに、下手くそでも他人に向かって人生のあれこれを話したりするので、自分の考えていることを少しずつ表現できるようになってきたという状態である。

あとはあまり最初は乗り気ではなかったのだが、学生委員会に参加して、色んな会議に参加したことも為になったと思う。最初はそもそも会話についていけなくて私が学生委員をしててよかったのかと思ったが、そのうちに議論の流れについていけるようになって、どういう風に人々が(一応)合理的な話し合いをして意思決定をしていくのかなどを学べたのはよかったと思う。

長らく拭えなかったのがネイティブスピーカーへの苦手意識で、学部の中でも無意識にネイティブスピーカーを避ける傾向にあった。なぜか相手がネイティブと思った瞬間緊張して、今まで普通に話していたのにいきなり言葉が出てこなくなる現象である。これは留学四年目の今年になってだいぶ意識しなくなってきたレベルである。一番大きいのは、去年新しくラボに参加したポスドク先輩と仲良くなり、その先輩がアメリカ人であるということも大きいかもしれないが、色んな英語に慣れてきたのと、わからないことはわからないと聞き返せる勇気がついたからかもしれない。

今は英語の検定試験などを受けていないので、客観的にどのレベルかわからないが、英語のレベルはどの程度かと言われると一応「流暢(fluent)」と言ってもいいかなと思うレベルには達したと思う。日本語で表現レベルが80%だとすると(私は母国語でも100%完璧だとは思わない)、英語は50%ぐらいかなとは思うが、そもそも日本語を翻訳するという感じではなくなっているので、英語の表現力自体が50%でまだ伸び代があると思いたい。語彙力を増やすのはもちろん、シチュエーションによって同じことをいうのでもどう表現したらいいのか使い分けたり、もっと感情と言葉が近くなるには、どんどん使って間違えてを繰り返していくしかないと感じているところである。

流暢になってきたな(英語の会話が苦ではない)と思うタイミングで、英語の本を読んだり映画を見始めた。人によっては英語がわからなくてもとりあえず見ているうちにわかるようになるという人もいるし、試したことがないのでそれは事実かもしれないが、私の場合は意味がほとんどわからない状態で本を読んだり映画を見るのは苦痛以外の何者でもなかったので、そこまで積極的にはやってこなかった。最近は大体七割〜八割わかるようになったので、気になった表現だけ調べて、どんどん色んな作品に出会うようにしている。本、映画だけでなく、ポッドキャストも外せない。

(※日本語学習者の中でも日本アニメファンがとても日本語がうまいように、もし英語のコンテンツで好きなものがあれば、わからなくても見るのをおすすめする。その場合はわからなくても楽しめると思うので、どんどん上達すると思う。)

結論:確かに上手くなる。ただし生活に必要な場合によって上達度は異なる

結論をいうと、留学すると確かに英語が上手くなると思う。それは当たり前で、日本語は(原則)日本でしか使えないので、つまり日本語が使えない地域に行けば(原則)英語を話さなければならない。ゆえに最低限生きるために必要な英語は必ず習得して喋れるようになると思う。

しかし留学したからと言ってネイティブのようにペラペラになるかというとそれには絶え間ない努力と長い時間が必要なので、いるだけでペラペラになることはない。一見発音がペラペラで何かうまい英語を喋ってるように見せかけるテクニックやそんな人々を見かけるが、何となくアメリカ英語っぽい巻き舌を使えるというのが英語がうまいというわけではない。言語というのは実用面ではコミュニケーションなので、コミュニケーションがうまい人が結局英語がうまいという事になると思う(当たり前だが日本語でも一方的に喋って相手と話題が噛み合わないというのは、日本語がうまいとは言い難い気がする)。

私もその場にただずっといたから上手くなったわけでなく、発表があるたびに原稿を作って喋る練習をし続け(そのうちあまりしなくてもよくなるが)、友達に話しかけられたら必ず応答し、ということを実際に繰り返したから上手くなっていったのである。人と関わらずに異国の地にいるだけでは日本にいるのと変わらない。

留学していても、日本人でかたまっていたら英語が上手くならないのはつまり生活レベルで英語が必要な場面が減るので、一人で日本人のいないところに飛び込むのと比べたら(一般的には)上手くなりにくいと思う。あと集団で行動していると何となく危機感が減るし実際何とかなる場面も多いので、意識が低くなるのもあるかもしれない。

私がよかったなと思うのは、イギリスにいてもハンガリーにいても周りに一人も日本人がいなくて、日本語を喋って安心する機会がなかったことだ。とは言え、日本語のメディアには触れまくっていたし、ストレスも溜まりまくっていたので、どの程度現地の日本人と関わっていくのがよいかは個人の目的とストレス耐性によると思う(それぐらい英語だけで生きるのは精神的に厳しい)。

というわけでこういう過程を私は踏んできたが、別にこれが王道というわけでもなく、私は無理なく英語に向き合ってきた方だと思う(なのでそこまで頑張っていない)。日本語を一切聞かない方が上手くなるといういうような人がいるが、個人的には別に関係はないと思う。ただし日本語だけでなく、同等かそれ以上に英語を使い続ける努力は必要ではあるだろう。

おまけ:日本人のわりに発音うまいねというお世辞

これは一般に外国人は日本人全員にいうのか、私が特に言われるのかわからないが、よく「日本人のわりに発音がうまいですね」とお世辞を言われる。イギリスに留学していたというと「なるほど、そのおかげか」と言われたりする。しかし私の発音自体はイギリスに留学したからイギリス英語になったわけでもない(どっちかというと日本の教育と同じ北米英語である)。

個人的に発音に関しては歌や音楽あるいはモノマネのスキルに通ずるものがあると思っていて、たくさん色んな人の英語を聞いて、重要な要素を抜き出し同じ発音を練習して真似するということが必要だと思う。感覚の良い人はこれが天然でできるし、下手くそな人は舌の動きなどのビデオを見て練習するのをおすすめする。

私の場合は発音に関して特に練習もしてこなかったのだが(受験にスピーキングの試験がなかったので)、ガラッと意識始めたのは大学二年生の音声学の授業であった(学術的に興味のある方はリンクをどうぞ)。英語の構造と音声(特にリズム)の関係は大学に入って初めて知ったので、英語ならではのリズムを意識することで一音一音の発音というよりは、全体の流れとして上手く英語を発音できるようになったと思う。(しかし当たり前だが依然としてネイティブのように話せるわけではないので悪しからず)。