全部なかったことに

昔から精神的に潔癖っぽいところがあるのか、自分の作ったものは作った後には全部消してしまう癖がある。

新品の自由帳が大好きで、そこでいろんな妄想を膨らませてこのノートに何を描こうか計画を立てるのだが、結局筆を入れ始めたら最後、ある程度描いたらそのノート自体が嫌になって、描いた部分を破って捨てて「新品」のノートとして使い始めるか、あるいは丸ごと捨てた。

小学校の頃に作った工作や描いた絵もほとんど捨てた。かろうじて残っているものはピアノのコンクールでもらったトロフィーたちだが、演奏自体は残らないので結局手元に残っているものは作品そのものではない。

小学生から中学生の間頃に我が家にもインターネットが普及して、当時流行っていたホームページ作りにも手を出したりしていたが、すぐに作ったものが嫌になってページを削除した。インターネットは便利だ。物理的な証拠が残らないからすぐに何でもなかったことになる。

その後も友達と携帯電話で仲良しグループのホームページを作ったりブログを作ったりしていたが、何個も作っては消して作っては消して、今学生の頃に作っていたもので残っているものは、自分の卒業論文関係の(自分で削除できない)ものだけである。

消したくなるのは人間関係についても当てはまる。幼稚園・小学校の時にできた友達は、引っ越したことを機に誰とも連絡を取らなくなった。最終的には親の意志で引っ越したといえばそうなのだが、私が強く希望して決定した引っ越しでもあった。友達と会えなくなることに対する後悔などなく、今では誰一人として名前と顔が思い出せない。

中学校の友達も結局卒業してからどんどん疎遠になり、今では誰の連絡先も知らない。とても仲よかった友達が、私がSNSやLINEのアカウントを何の断りもなく消しても、実家などを訪ねてわざわざ連絡をくれたこともあったが、冷酷な私はその縁を繋ごうともしなかった。

高校になって、人生の中で長く付き合うようになる友達がいるが、その友達に対しても前述のように突然連絡手段を断ったりして、なんども切ろうと思ったが結局繋がっている人は繋がっている。大学の友達も同じような感じである。

この衝動が一体何なのかわからない、なぜ全てなかったことにしたいのか、一年に一度ぐらい訪れる現象で、今も続いている。

不思議と続いているのはこのnoteで、どれだけ駄文を残そうが消したいと思うことがなかった。初めて一年以上継続して残せたブログかもしれない。

それが今久しぶりにこのnoteも全部消してしまいたいような気持ちになっている。noteだけではなくて、今あるSNSのアカウントも、人間関係も、全部なかったことにしたいと思い始めた。

もしかしたら前のブログに書いたように、短期間に少し人に会いすぎたのかもしれない。良くも悪くもSNSの縁を絶ってしまったら、多くの人とこれから会う確率は激減するだろう。noteも自分のホームページも、全部なくなってしまったら私に連絡する手段はほとんどない(それでも不可能ではないのだが)。それでも会う人は違う形できっと巡り会うし、もう会わない人はそれまでだから。

と言うふうなロジックで今までは動いていたのだが、最近はそれと反対の気持ちも同時に湧き上がっている。今までは現在価値を見出せない関係性が蓄積していくと、もう全部なかったことに・ゼロに・リセットしたくなるような、まるでゴミが溜まった感覚で捨てるために連絡を絶っていたのだが、それも何だかもったいないのかもしれないと思い始めた。

つまり、これまでの全部消すべきだに対しての、別に全部消しちゃわなくてもいいんじゃないという気持ちがある。自分の研究と一緒で、関係性も、今自分が全く価値を見出せなくても、将来どうなってるかはわからないし、そう思うと関係性は出来るだけたくさんゆるく持っていた方が、植えた種が多い分今後の実りの可能性も高いわけである。

私は今まで、人生の大切な時間の一部を私と過ごしてくれた人には感謝しても仕切れないし、それだけで儲け物というかそれ以上何も望むものがないんはずなんだけど、いくら綺麗事を言っても結局見返りというか関係性に価値みたいなのを見出したくなってしまい、だいたいうまく価値が作り出せなくって自分で嫌になってしまう。

期待しなければ何もないのに、やっぱり会うからには何か特別な関係として記憶に残したいという欲望があるのかもしれない。相手が面白くなかったという方向ではなくて、何で自分はもっとこういう風に振る舞えなかったのかとか、こういう言葉をかけれなかったのか、など考えてしまって、誰と会った後も100%満足することがない。

心の中にあるもやもやを何とか文章に残さないと、同じテーマでなんどもSNSに投稿したり誰かと通話し続けたりしそうだったので、ここで何とか自分なりに書き出してみた。なんか真昼間のイオンの中のスタバでこんなことを書いていて泣きそうになるから、ちょっと疲れているのかもしれない。

昔一緒の職場で働いていたお姉さんの、ちょうど離婚された年のブログを読むと心が落ち着く。その方は今は長く付き合っているパートナーがいて、子育てもばりばり、企業もされて順風満帆なのだが、私が一緒のお部屋にいて働いてた頃は、多分当時今よりもっと子供だった私にはわからないほどの壮絶な人生を送っておられたんだと思う。ブログの投稿数も他の年に比べて三倍以上ある。

その方が書かれたブログがなぜか今の私の気持ちにストンと入ってくるから、こういう駄文であってもどういう状況でどういう人を勇気づけているかはわからないものだということで少し励まされる(もちろんそのお姉さんが将来の私を元気付けるために書いたわけもなく)。誰の役に立たずに埋もれていくのがほとんどなのだが、それでも少しの希望を信じて、これからも書き続けるのだろうか。