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#14 兼業生活「お金に頼るのを半分にするという、挑戦」〜影山知明さんのお話(4)

天国と地獄の食事風景

(前回の記事はこちら→「困ったときに逃げ込める場所」

室谷 影山さんの活動では、政治や大企業のような「大きいシステムをつくっている人たち」との連携についてどう考えていますか。「お金に頼るのを半分にする」というのは資本主義に反対するというよりは、いきすぎたところを変えるというニュアンスですよね。その中で、政治や大企業と協力できることもあるのでしょうか。

影山 それぞれ攻略法が違うので、分けて説明しますね。まずは政治の話。僕たちは「国分寺の投票率を1位にプロジェクト」というのをやっていて、自分たちの政治を自分たちの手に取り戻そうと活動しています。まだ活動して2年くらいですけど確実に実を結んできていて、先日の参院選(2022年7月)では全国3位にまで投票率が上がりました。いずれは僕らの仲間から市議会議員が出るなど、活動と行政とがいっそうオーバーラップしてくれば、もっと行政との協力が進むのではないでしょうか。

影山 片や、大企業をどう変えるか? というとき、目を向けるべきなのは金融です。大企業を“お金儲け”というゴールに一目散に向かわせる大きな原因の1つは、金融の仕組みにあるからです。上場企業は投資家からのプレッシャーを受けますから、経営者が望む・望まないに関わらず、今年より来年の売り上げを大きくしなければいけない。そこから全てがスタートするのであって、「お金にならなくても大事なことがある」という理屈は通りません。

逆にいうと、金融の仕組みが変われば、企業活動の優先順位だって変わり得る。僕のバックグラウンドは金融ですから、そういう意味でも、店や地域の経済を取り巻くエコシステムの1つとして、新しい金融システムをつくることに関心があります。

室谷 2店舗目の胡桃堂喫茶店をつくる際、3種類の出資を募ったそうですね。1つ目は同額を返金するファンド、2つ目は出資額の30%を寄付するファンド、そして3つ目は100%を寄付する――つまり、出資額が戻ってこないファンド。結果として出資者の3割、約100人が2つ目と3つ目のファンドを選んだという記事を読んで、驚きました。

影山 僕は資本主義が嫌いじゃないんですよ。先人たちがつくってきた優れた仕組みへのリスペクトもあるし、可能性を信じてもいる。でも現状は、使い方を間違っていると思っています。だからそれを変えていけば、もっと違う資本主義のあり方が実現できるはずです。

ただ、新しい金融をつくるのは結構骨が折れます。それもやりつつ、衣食住やエネルギー、福祉、教育などで「お金に頼るのを半分にする」モデルの実現も追求していく。国分寺というローカルな単位で、そうした政治・経済・社会のシステムを現実に構築し直せたら、それは「大きなシステム」に対しても影響力を持ってくるだろうと思っています。

ただ、1つ気になっていることがあって。今日こうやってお話している内容全般にいえることですが、僕を“社会革命家”のように思っていませんか。

室谷 はい。これまでこのnoteでお話を聞いた方の中でも、影山さんは政治的というか、社会を変える取り組みが得意な方だなと。

影山 あの……、それはとても不本意です。そう思われることは理解できるし、実際そういうふうに人々の目に映る面はあるだろうとも思うんですけど、それは不本意で。

僕は本来、社会の変革なんてしなくていいと思っている人間なんです。根幹にある哲学は、「なるようになる」。これまでお話したことを別に実現しなくても、お店がつぶれてしまっても、それはそれで受け入れられるし、そうなったからといって自分の人生に価値がないとは思わないです。結果がどうなったとしても、そこまでの道のりはあるわけだし、その道のりの方にこそ意味があると思っていますから。ウソをつかずに一生懸命がんばって、それでダメだったのなら、それはもうしょうがない。

でも、同時に、僕にはシナリオが見えちゃうところがある。今、これだけ多くの人が閉塞感や生きづらさを抱えていて、何とかしたいと思っている。その中で、「こうしたらいいのにな」という勝ち筋のイメージが頭の中にある以上、できることはやれるだけやってみようとしているだけです。

室谷 たしかに、影山さんは「何が何でも」というガツガツした感じがないですね。飄々となさっているというか…‥。最後に1つだけいいですか。なぜ、人はお金に縛られるんだろうというところで、影山さんにとって、お金ってどんな存在ですか。

影山 お金ってすごく多義的ですよね。研究者によっていろんな定義がありますが、僕は「交換の手段」「価値の尺度」「価値の保存」「利殖」「商品」という、5つの機能で考えています。

とりわけ、1つ目の「交換の手段」としてのお金は、とても偉大な発明だと思います。一方で、「利殖」や「商品」については、近年、お金を増やすとか、お金そのものが投資の対象になって注目されすぎている。こっちの影響力が強くなりすぎて、本来のお金の価値が見失われている気がします。

お金もそうだし、資本主義というもの自体も、“道具”として使うべきではないでしょうか。仏教の法話で、「天国と地獄の食事風景」という話があります。

天国と地獄、どちらにも大きな鍋があって、たくさんの料理が用意され、その前には三尺三寸(約1m)の長い箸が置いてある。地獄では、みんながそれぞれ長い箸で食べようとするけどうまくいかなくてイライラし、ケンカが起きている。天国では、箸を使って周りの人に食べさせ、自分も食べさせてもらって幸せになる。

資本主義というのは、このお話でいう「箸」だと思うんですね。だから、どういう動機で、どういうふうに使うかが一番大事。今はその多くが個人の利得のため、「テイク」のために使われることで奪い合いが起き、結果として幸せから離れていっています。

そうではなくて、もう一度、資本主義の原点を見つめて、自分の力を誰かのために使う。「ギブ」の経済を取り戻していければ、お金や、資本主義の印象は随分と変わるのではないでしょうか。

取材後記

今回は編集者のKさんと一緒でした。クルミドコーヒーの地下(絵本の世界に入り込んだような空間!)でおいしいコーヒーを飲みながら伺ったお話は、アイディアを形にするために汗をかいてきた方ならではの実感に満ちていて、影山さんを見送った後もしばらく私たちはその場所で受けた印象を話し合いました。

Kさんは、平野啓一郎の「分人主義」(『私とは何か――「個人」から「分人」へ』に出てくる考え方。人間の個性は確固たるものではなく、対話する相手によって違う人格が引き出される)になぞらえて、「場の力によって、引き出される人格があるのかもしれない」と言いました。

たしかに、家や学校、職場、行きつけのお店などで、私たちは違う自分になっています。「お金に頼るのを半分にする」という考え方は、それだけを聞くとこれまでも試されてきたことのように思えるのですが、影山さんがそれを今あるふつうの社会で、「場の力」を磨くことで実践しようとなさっている点が、とても興味深いと感じました。

終始穏やかに、ていねいに話してくださった影山さんですが、「覚悟が決まっているから、命が輝く」という言葉には迫力がありました。いきなり大きなことはできなくても、例えば仕事で迷ったときに、周囲の期待よりも本心を優先する。やりたいことがあるなら、大変でも挑戦してみる。そんな「小さな覚悟の積み重ね」から、変わっていくものがあるのかもしれません。

(この回はこれで終わりです)

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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