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#13 兼業生活「お金に頼るのを半分にするという、挑戦」〜影山知明さんのお話(3)

困ったときに逃げ込める場所

(前回の記事はこちら→「消耗する関係と、信頼が醸成される関係」

室谷 今年7月、影山さんが「世の中もう、スタバとコメダでいいんじゃない」とツイートしたのが話題になりましたね。

室谷 そのリツイートを見ていたら、いろんな方が自分の業界に重ね合わせて、思いを吐露していて。大きなシステムの中で「仕方ない」と思いながらも、本当はもっと人間らしく、手をかけた仕事をしたいと人はたくさんいるんだなあ、と。


室谷 でも、どうすればいいのかわからないんですよね。

影山 すごく大事なところですね。実際、僕たちの活動を伝え聞いたり、本を読んでくださったりして共感し、「力になりたい」と言ってくださる方は結構います。でもそのとき、「手伝う」という感覚ではうまく手がつなげないなと感じています。

作業を切り出して「この部分だけお願いします」というのではなく、プロセスがはっきりせず、どれだけ時間がかかるか、どんな技術が必要かを予見できないような事柄についてでも、「それでもやる」という覚悟がある人じゃないとなかなか一緒にはやっていけません。

幸い、最近は少しずつですが、覚悟をもって関わってくれる人が増えている実感はあります。みんなそれぞれ自分のフィールドで閉塞感を感じていて、だからこそ、僕のアイディアに可能性を感じてくれている。

室谷 そういう人たちは、自分の仕事や生活と、地域の活動とのバランスをどう取っているんですか。

影山 街の仲間のうちの1人は、会社組織で月~金で働いています。だから作業は基本的に平日の夜か土日になるんですが、それでも本当にやるんですよね。「もっと休みたいだろうに」と思うんですけど、本人は「どこまででもやります」と。他にも、フリーに近い形で福祉分野の仕事をしている人が、裁量がきく範囲で、仕事を調整しながら動いてくれているようなケースもあります。

僕たちの活動を例に出しましたけど、ここで一緒にやることが答えだと言いたいわけではありません。僕が言いたいのは、もしモヤモヤや閉塞感を感じて、この状況をなんとかしたいと思っている人がいるなら、今の自分を守っている“枠組み”を崩してでも、一歩踏み出す覚悟が問われているということ。枠組みをそのままにして、ノーリスクで「できることはやりたい」と言っている限り、状況は変わらないだろうと思います。

室谷 一歩を踏み出すには勇気がいるけど、やってみたら意外と平気だったりします。私も会社を辞めてフリーランスになるときは周囲から止められたり、「うまくいくわけない」と嫌味を言われたりもしましたが、まあ何とかなっています。「できない」という1人1人の思い込みが、大きなシステムを支えているところもある気がします。

影山 そうですよね。何を怖がる必要があるのかと、僕なんかは思っちゃいますけど。仮に、今勤めているところを辞めて年収が減る。「そうすると家賃が払えない」と言うけど、じゃあもっと家賃の安いところに引っ越せばいいし、生活費を見直せばいい。「結婚しているから無理」と言うけど、そういう過程も一緒に楽しんでもらえるよう、話し合ってみたことはありますか、と。

一人では決められない事情があることなど理解もできますが、それでも多くの人は、今持っているものを絶対視しすぎている気がします。自分の気持ちを貫こうとすると、いろんなものを失って、ひとりぼっちになるかもしれない。お金がなくなるかもしれない。究極的には寿命が縮むかもしれない。死ぬかもしれない。でも、それは本当に悪いことでしょうか。むしろ、自分にウソをついて、自分の時間を生きることをあきらめてまで長生きすることになんの意味があるの?と思ってしまいます。

室谷 突き詰めると、そういうことになります。

影山 その覚悟を決めるから、命が輝くのではないでしょうか。長生きしたいと言う人に限って、「人間ドックの結果が悪かった」「体に良くないものを食べてしまった」とくよくよしたりするじゃないですか。それで結局、長生きできない。もっと大らかにのびのびと、自分の命が向かうままに生きたっていいんじゃないかって思います。

室谷 先ほどの「会社を辞めると終わり」という思い込みって、個人の責任というより、社会が外堀を埋めてきたところもあると思います。自己責任論が蔓延して、仕事がなくて困ったときに、他人に相談しづらい。とりあえずお金がないときに逃げ込める場所もほとんどない。

影山 そういう意味で、ぶんじ寮が果たしている役割はすごく大きい。始まってまだ2年ですけど、なんとなく迷っていて、でも自分には何ができるかわからないというような人が、ときどきたどり着いてきます(笑)。住人もそうだし、イベントや共有スペースにふらっと遊びにきてくれる人も増えています。今のお話で、その人たちの顔が浮かびました。

室谷 目的なく、ふらっと行ける場所って貴重ですよね。どうやって、敷居を低くできたのでしょう。

影山 やっぱりまずはお金のハードルを下げることは大きいのだと思います。ぶんじ寮の家賃は3万円とすごく安いし、共有スペースに遊びにくる分には、お金はかかりません。あとは、ここなら受け止めてもらえるという人間関係も大切です。ちょっとした会話の中で社会の物差しを突きつけない、色眼鏡で見ないで、一人の人間として相手に関心をもつ。例えば不登校のこどもがいたとしても、変に特別視したりしないで、存在を受け止めて、一緒にいる。幸いなことにぶんじ寮にはそういうことをできる人が多いので、自然と人が集まってくるのだと思います。

室谷 最初からコミュニケーションがうまくいったのですか。

影山 いえいえ。この2年間は激動期で、うまくいかなくなって寮を出た人もたくさんいます。ぶんじ寮は開業当初から、「弱さを持ち寄れる場所にしたい」と思っていました。強い自分、かっこいい自分だけじゃなくて、弱い自分、うまくいかない自分も持ち寄って助け合える場所になったらいいな、って。

でも、弱さは、ときに攻撃性につながることもある。「弱さを持ち寄る」というと、おとなしい空気をイメージするかもしれませんが、むしろ弱いとき、自分のキャパシティが小さいときは、他者から自分の身を守ろうとして、周囲に対して攻撃的になることがあります。

でもそうした人としてのキャパシティ、器みたいなものは、人からの愛情を受けて大きくもなる。まわりから尊重される経験、自分の価値を認めてもらえる経験を積み重ねることで、ストレスを受け止められるようにもなっていくのです。目先の言動や攻撃性だけでなく、その人の存在そのものと向き合い、辛抱強く愛情を注げる人間関係があることが、人を救うだろうと思います。

そして、そうして救われた人は、今度は人を受け止める側になる。そんなポジティブな連鎖を、時間をかけてつくっていくしかないんですね。僕たちはそういう関係性を少しずつ築いてました。まだまだなところもたくさんありますが、今なら以前よりも少し自信をもって、弱さを抱えた人にも、「ぜひおいで」と言えるかなと思います。

(つづきます→次の記事「天国と地獄の食事風景」

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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