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#12 兼業生活「お金に頼るのを半分にするという、挑戦」〜影山知明さんのお話(2)

消耗する関係と、信頼が醸成される関係

(前回の記事はこちら→「『お金の不安』が生きることを脅かしている」

室谷 過去には武者小路実篤が「新しき村」をつくるなど、地域で自給自足に挑戦した事例がありました。こうした取り組みと、影山さんの「お金に頼るのを半分にする」挑戦は、どう違うのですか。

影山 現金収入に頼らずに経済を回すトライアルとしては、世界各地の「エコビレッジ」もありますよね。そうした取り組みと共通する思いはたくさんあると思いますが、決定的に違うのは、僕たちは“開かれた形”でやろうとしていること。

これまでの事例の多くが、境界線を決めて、その中で理想的な暮らしや経済社会をつくろうとしてきました。クルミドコーヒー胡桃堂喫茶店をはじめとする取り組みでは、そうした区分けをしないで、ふつうの社会の中でお金や人との関わり方を少しずつ変えていく。それをじわじわと広めようとする挑戦なんですね。

もう1つ言うと、僕たちは理念を掲げていません。ある種のコミュニティーは、理念を掲げて賛同する人を集めます。それは力強さにつながりますが、一方で「みんな、分かり合える仲間」というところからスタートすると、ちょっとした意識の違いがマイナスに働きやすい。その点、僕らは「1人1人違うし、分かり合えない」ことを前提としているから、いろんな考えを受け止められます。でも方角のようなものは共有して、互いに生かし合いながら進む。

もちろん、これは簡単ではありません。お互いに違う存在であることを認めながらいかし合っていくには、人としての“成熟”が求められます。でも人間はつい自分の利益を優先したくなる生き物で、エゴが強い。この街で僕たちの取り組みが形になるには、そういうエゴを超えて「一緒にやっていこうよ」と自分を開ける人、それを受け止められる人がどれだけいるかにかかってくると思います。

室谷 「自分を開く」ってどんな感じですか。私は地方出身で、みんなが自分のことを知っている閉鎖的な社会の負の部分も結構感じていて。また、企業の研修プログラムで初対面の人とチームになって「自分をオープンにしましょう」とかやるのも、すごく苦手です。

影山 『ゆっくりいそげ』6章でも書きましたが、「自分のことは自分で決める」「周りに干渉されない」という個人の「小さな自由」と、人と関わりながら生きる、他人と共にある「大きな自由」は、両立できると考えています。

ただし条件が必要で、例えば自分の利益のために相手を利用する関係だと、関われば関わるほどお互いに消耗してしまう。そうではなく、お互いの力になりたい、そのために相手を知りたいと思っていれば、関わるほどに信頼が醸成される。時間をかけてそういう関わり合いを重ねることで、少しずつ「自分を開く」ことができるようになる。それは「いかし、いかされる関係を結ぶ」ともいえます。

この微妙なニュアンスは、本を読んだからできるというものではありません。まさに「場の力」を借りて、皮膚感覚で身につけていくものです。幸い、国分寺にはクルミドコーヒー胡桃堂喫茶店赤米プロジェクトぶんじ寮といった実践の場が複数あります。そういうところに足を突っ込んで関わってくれた人は、「他人と共に自由に暮らすって、こういうことか」と、言葉ではなくて体感で分かる部分がある。そこに気持ちよさ、可能性を感じてくれた人は、関わり続けてくれるだろうと思うのです。

その点、教育プログラムとか、ワークショップというのは単発じゃないですか。その場でなんとかしなきゃいけないから、外発的に、開く準備がない気持ちを開かせようとする。でも、「開く」というのは本来、内発的な行為だと思うんですよね。この人なら受け止めてくれる、鼻で笑わない対応をしてくれると思えて初めて、自分を開くということがありますから。そういうときが来るまで待てるか、どうか。時間がかかるけれど、そうやって築けた信頼関係は長持ちします。

また、一度限りの体験というのは、密度が足りません。たまたまそのときに実現したとしても、終わったらまたバラバラになります。僕らの場合は国分寺という半径2キロくらいのエリアで、それぞれの活動が日々動いているから、ちょっとずつ築いた人間関係が雲散霧消せず続いていく。そういう密度も大切だと思います。

室谷 影山さんにとって、「お金に頼るのを半分にする」挑戦は、国分寺というサイズ感がちょうどいい。

影山 そうですね。ただ今のところ、行政とはあまり協力関係がありません。元々僕たちは、コロナの助成金は例外として、行政からのお金や委託事業には頼らずにここまでやってきました。自活していることを誇りにしながら、自由にやってきたわけですが、地域に貢献できる面白い取り組みがこれだけ育ってきた今、もう少し行政から注目してもらってもいいのになと、残念な気持ちもあります。

(つづきます→次の記事「困ったときに逃げ込める場所」

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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