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不食のススメは自分にとことん愛を注ぐススメ【番外編】

不食のススメは自分にとことん愛を注ぐススメ本編はこちらをどうぞ。


お気楽不食者CHIKOTOさんの『お気楽不食生活のススメ』を読んで、CHIKOTOさんは、私の理想の生き方をされているな〜と感じました。

自分にとことん優しく、自分が喜ぶことをして、嫌なこと、頑張ることはしない。そんなライフスタイルを送られているCHIKOTOさん。

簡単そうで、なかなかそうでもなかったりするものです。

一見、やりたくない仕事を2年前に辞め、好きなことをして生きてる風。例えばこんな感じで↓



ですが、私はいまだに人の目を気にするところがあり、人の期待に応えようとしがち。

これ、心から期待に応えたいと思ってるならいいけど、相手にどう思われるか、周りにどう思われるかを恐れ、嫌われる不安をぬぐい去りたいがためだったりする。心からの気持ち、喜びからではなく。

CHIKOTOさんの本を読んでる時、そんな自分と対照的な母のことが頭に浮かんだ。

実際母の考えてることはわからないが、母は私から見て、周りにどう思われるかを全く気にしていない。それはもう気持ちいいほどに。

とことん自分に優しい。
嫌なことは絶対しない(ように見えている)。

先日、父が救急搬送されたときのことを思い出す。母は父を置いて出ていき離婚してるが、謎に私と父の暮らしに首を突っ込んでくる。こんな感じで↓


そして、この時も母は前言をひるがえして自分の嫌を通した。

母が人に何かをするときは、自分の都合のいいときだけということを改めて実感した。こちらから助けを求めても、自分の気が進まないと動かないのである。

少し前まで母との仲が良くなってきたと思ってたけど、それは母の都合にたまたま自分の都合も合ってただけの話。たいがいは、私は美味しいものにつられていた。「〇〇あるんやけど、取りに来るんやったらあげるで」との甘い言葉にひょいひょいと母んちにもらいに行ってたのである。なんて単純!笑 それでさえも以前の関係より格段に良くなったと喜んでいたのだ。

だけど、そうそう、そうだった!

こちらからの助けの要請は、基本却下であった。

そんな母のことをなんて奴!と思ってたけど、気づいたのだ。自分もなんて奴!だったのだと。

文句を言いたくなる相手は自分の鏡と言ったりするけど、これだけは違うと思ってた。でも、例外はないのだ。

私も人に、何かあれば言うてとか、助けを求めてもいいような調子の良いことを言いながら、その時気分が乗らなければ、ごめん…ってやってきた…。ただその伝え方が、母と違い私の場合は誠実だと思い込んでいただけ。自分のことは棚に上げていた。

どうやら棚からおろすときがきたようです。

自分に優しくするということを、その優しはオッケー!これはアウト!と私は勝手にレベル分けしてきたと思われる。そう、母のは完全にアウト!と。その自分への優しさ、甘さはあかんやろ!と。それは、本当は自分だって罪悪感感じずにやりたいことだったのだ、きっと。それをあんなにも軽々としやがって!と憤っていたのだ笑。

さらに、最近あった伯父の葬儀に母が参列しなかったこと。5人兄妹の母の姉の夫である伯父の葬儀には、母以外の親戚は全員参列。兄妹の中、一人異端児の母は兄妹と顔を合わせたくなかったと思われる。冠婚葬祭のしきたり的なものは、以前から完全無視だ(私も人のことは言えないが)。

ただ、母が唯一すごくお世話になったおっちゃん。私が幼少期、ものすごく面倒をみてもらった。母に電話で、おっちゃんのことを伝えると、お世話になったからなあとさすがに今回は葬儀に参列する方向で考えているようだった。が、その後やはり気が変わったようで、参列しないことになった。

母は実母(私の祖母)の葬儀にも出ていないので、親戚一同それは想定内のことのようであった。私はがっかりしたし、内心腹立たしかったが、まあしょうがないなと。

それが、葬儀の時にわかったのが、母がおっちゃんに会いに家に行ったというのだ。

もしかしたら、母は私なんかより断然心から行動している。葬儀に出るという形にとらわれることなく、純粋にしたいことをしている。私がおっちゃんなら、葬儀に出ずともそれだけで嬉しい。気持ちが伝わる。そう感じた。

実をいうと、私は、伯父の葬儀に出るため3人展の最終日を残して帰るバスの中で泣いた。泣く自分に驚いたが、一人になって初めて自分の本心に気づいたのだ。それは最終日を3人で迎えられなかったことがやはり残念との思いだった。

最終日を残して帰ってきたことを全く後悔はしていないし、よかったと思っているが、あの時感じた気持ちは本心だろう。

誰かの期待に応えようとする自分がいる。
自分が知る自分のドライな一面を隠すように振る舞う。

私は本当は、母のように、どこまでも自由に自分の心が思うままに生きたいのだ。こんな時は例外で人の期待に応えるべし!とかなしで。

自分にそれを許せていないから、そんな風に自由な母を見ると腹が立ってしょうがなかったのだ。

だからといって、その自由な母の行動が、喜びからきてるものかは疑問であるが、それでも、私に自分を知るきっかけをくれたこと、まだまだ自由に生きられる可能性を見せてくれたことには感謝したい。

そんな重めなことを、軽〜く生きるのを楽しんでるCHIKOTOさんの本を読んで、感じたのでした笑。

CHIKOTOさんありがとうございます!

サポートとってもありがたいです♡♡♡ おかげで生きてゆけます〜〜〜!!!