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テレビがつかない、ではなくて

有料老人ホームに入居している95歳の母から電話。
母は要介護4でほとんど寝たきりである。

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「テレビがつかない」
「こんなテレビがあっても仕方がないからお前が持って帰りなさい」
この電話が、夜の8時。

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「電話しても誰も出ない(ナースコールのことを言っている)」
「オムツが濡れているのに替えてもらえない」
「誰に言ったらいいかわからないからあつこに電話をした」
これが朝方の4時

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「食べるものがない」
「食べられるものがないから、ますます痩せてしまう」
「パンなら2 、3日もつだろうから、小さいのを持ってきて欲しい」

食べ物は、毎週色々と持っていっている。後で見ると、食べられないで、引き出しに入っているだけのものも多い。

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土曜日にテレビの様子を見に行った。年末も近いことだし、本当にテレビを買い換えるんだったら早くしないといけないから。

テレビの後ろの主電源が切れていた。リモコンの調子が良くない時に職員さんが触ってそのままになっていたみたいだ。

で、元通りテレビはつくようになったのだが。
本人は持って帰れの一点張り。

職員さんに事情を話して、情報を共有してもらう。
(ちなみに、どんなに高級な老人ホームだったとしても、この辺の情報共有は、親族がしっかりしていないと、うやむやになってしまうことが多いと感じている。)

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そうなる原因を知っている。
年末年始なのに、母は自宅に帰れない。
有料老人ホームの部屋は個室だけど、それは母の家ではない。

クリスマス
お正月

家族が集う特別な時期になると、どこにも帰るところがない寂しさがひとしおなのだろう。

本当はすごく無理をすれば
何時間か家に返してあげることはできる。

だけど、もう我が家には母のものはほとんど残っていない。
桐箪笥は捨てた。

洋服はほとんど施設に持っていくか、処分した。
我が家に残っているのは、和服だけだ。
着物は良いものが多くて、処分できなくて実は困っている。
知り合いにあげたりしたけれども、あげても大事にされるかどうかわからない。目の前から消えるだけだ。

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結局のところ、家に連れて帰ってあげることはできない。
もともと施設に入ったきっかけも、私が鬱状態になってしまったからだ。

なんだか、同じところを、ぐるぐるぐるぐると回りながら考えている。

残念なことに、この辛さは、理科系夫にも、はるちゃんやなっちゃんとも、分け合うことができない。
私が自分の親をどう介護していくか、1人で考えていく。

問題は、テレビがつかないじゃない。

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