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(もう、惚れた)
胸の鼓動が頭の中まで響いてきた。

ーーー
2013年の夏の終わりの夜。
通信制大学の学生だったあつこ(53歳)。
最後の仕上げの卒論に取り組むため
メディア(大学図書館)に一日いた。

時間は夜9時40分過ぎ。
図書館は、10時で閉館だ。
帰り支度を始めたところ
スコールのような強い雨が突然降ってきた。
あとからわかったことだが、
たくさんの雨を含んだ前線がゆっくりと通過していたのだ。
運悪く、傘を持っていなかった。

少し待てば大丈夫だろう。

ところが、雨はいっこうに降り止まず。
夜10時が過ぎてしまった。
閉館なので、外に出るしかない。
図書館の職員に聞いてみたが、
貸し出せるような傘はないとのこと。

図書館の入り口の屋根の下で、
降りしきる強い雨を見ながら途方にくれた。
ーーーー

図書館の外には、外灯が2つ。
雨にけむって暗く、ぼんやり光っている。

がんばって勉強したときに限ってこう。
夕飯もちゃんと食べていなかった。
疲れた。
お腹すいた。
暗い中、ふり続く雨を
ぼうっとしながら眺めていて。
もう地面に座り込もうと思ったその時。

「あの、これ、どうぞ」

驚いて、顔を上げる。
20歳くらいの男の子が
透明なビニール傘を私に差し出している。
なぜか肩も髪も濡れている、
目がくりくりした小柄な子。
名付けるなら、ぬれネズミくん。

(え?) 
あっけにとられるわたし。

ぬれネズミくん「あ、あの、これは
近くのコンビニで買ってきたんです。
ボクもメディアにいたんだけど、
なかなか雨が降りやまないから」

あつこ「それだと、あなたが困るでしょう」
濡れている理由はそうだったのね。

ぬれネズミくん「いや、
ボクはまた買ってくればいいので。」

あつこ「でも…。」
迷う。
この雨の中、また買いに出たら
さらに濡れて
ずぶぬれネズミくんになりそうだ。

「どうぞ使ってください」
ぬれネズミくんは真剣な口調。
確かに、このまま夜明かしはできない。
ーーー

あつこ「この傘はおいくらですか?
お金を払わせてください」

ぬれネズミくん「いえ、いらないです」

ズキューンンンン。
あつこのハートが射抜かれる。

もう、なんなの? 
(ドキドキドキドキ)

ぬれネズミくん、20歳そこそこなのに
困っている人を見逃さないんだね。

ずうっと忘れていた
ある種の胸の苦しさを感じる
あつこ(53歳)。
見て見ぬふりもできたはずなのに。
もう、惚れてしまう!

あつこ「本当に助かります。
ありがとうございます。
買い取りますので、お金を受け取ってください」

ぬれネズミくんは頭を下げてお金を受け取り、
また、雨の中に出て行った。
ーーーー

あつこはJRの駅まで無事にたどり着いた。
夢か?
いや、左手には、
しっかりとビニール傘が握られている。

夜の雨、暗い外灯。
ぬれネズミくんの顔を
はっきりと見たわけではない。


だけど、知っている。
すごくかっこいい人なのだ。
絶対かっこいい人なのだ。
だって、惚れるぐらいだから。
行動も言葉も
イケメンすぎる。

こうして
忘れていた恋みたいな気持ちは
日常を少しだけウキウキさせた。
ありがとう、ぬれネズミくん。

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忘れられない恋物語

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