そうやって消えていく
理科系夫のおばさんが1月15日に亡くなったそうです。
そうですと言うのにはちょっと訳があって。
もう9年間会っていないのです。
おばさんは一人暮らし。
娘さんがマンションの隣の部屋に住んでいます。
何でも自分でやる人で、
94歳でご飯の支度も買い物も自分でやっていたのです。
理科系夫は、そんなおばさんを気にして定期的に電話をかけていました。
数年前から痴呆症が時々出てくるようになりました。
完全にボケてわけではなくて、まだらボケです。
すごくはっきりしている時と、はっきりしていないときの差が激しいのです。
相手が誰かわかる時も、わからない時もあります。
おばさんは夫が「顔見に行くよ」といっても、かたくなに拒みました。
「こんなおばあさんに会いに来ても仕方ない」
(はっきりしている時)
「いつも親切にお電話をくれてありがとうございます。お電話いただくだけで充分ですから」
(ボケている時)
ところが去年の年末に電話をしたときには、今までになく、理科系夫のことがはっきりわかりました。
「昔、鴨川に旅行に行って楽しかったですね」
(夫が小さい頃、家族ぐるみの付き合いがあって、
一緒に旅行に出かけていたのです。)
なんで今日はこんなにしっかりしているのだろう、と夫は疑問に思ったそうです。
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1月17日の午後、おばさんの娘さん(といっても、もう60過ぎですが)メールが入りました。
電話で話したいとのこと。
夫は、ある程度の覚悟を決めて電話をしました。
●おばさんが1月14日に部屋で動けなくなっていたのを発見し、救急車を呼んだこと
● なかなか受け入れてくれる病院が見つからなかったこと。コロナ禍の影響です
● 5時間後にようやく見つかった病院で「心筋梗塞」と診断されたこと
●その時点で意識があったので、とりあえず緊急入院となったこと
●直後に容体が急変し、亡くなられたこと
娘さんが言うには、入院したばかりなのに、面会ができなかった。コロナを警戒しているのです。
入院直前に「ここ(病院)にいていいのかしら」とおばさんが言った言葉が最後になりました。
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今までだったら、当然助かっていた人たちが
すぐに入院ができず処置ができなくなりました。
例えば、心筋梗塞とか脳梗塞とか。
緊急の対応が必要なものなのに、いたずらに時間が過ぎてしまうのです。
いろいろな意見があるのは承知の上で、どうにかならないかと現在の状況を憂いています。
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夫は、おばさんの娘さんと話してるうちにあることを教えられました。
それは、おばさんがはっきりした意識の時に
と紙に書いて、よく見えるところに貼り付けていたのです。
年末に久しぶりにきちんと話ができたのは理由がありました。
自分が書いたそのメモを読みながら、電話で応対していたのです。
だから昔旅行に行って楽しかったと言うフレーズが出てきたのです。
理科系夫「無理しておばさんに会いに行かなくてよかったんだと思う。
最後まで、僕の意識にあるかっこいいはつらつとした姿を覚えていて欲しかったんだろうね」
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こうしておばさんはあの世に旅立っていきました。
お葬式もやはりこのご時世なので、ごく内輪で済ませるそうです。
理科系夫「落ち着いた頃にお線香あげに行くよ」
考えてみると、私たちの親兄弟、友人、知人などでもあの世に旅立った人が増えてきました。
理科系夫「そうやって消えていくんだね」
そう、生まれてくる命もあれば、消えていく命もある。
いつか私たちも消えていく。
やはり悔いなく毎日を生きていきたい。
そして、穏やかな幸せを大事にして、最後まで歩み続けたい。
現在老人ホームに入居している母についても考えました。母に対しても悔いなく対応していかなくては(できる範囲で)
できばき、はきはきした美人のおばさん。
あの世で、大好きだったおじさんと一緒に楽しくお話ししてくださいね。
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