青年は云う「こんな世の中で生きていくしかないなら」、と。
りゅうちぇるである。さすがにこの年でいわゆるタレント本を購入するとは思わなかった。けど、彼の世代(いわゆるミレニアルかZか)は何かと我々の以上の世代にはない力強さを感じさせるから大好きだ。怖いもの知らずで純粋なのは若者の特権ではあるが、この世代はちょっと違う。すっかり世の垢にまみれた私の余計な何かを軽やかに揺さぶっていく風の子たちの世代。実はりゅうちぇると同世代のインフルエンサーkemio くんの本も2冊購入している私。こちらも別記事で投稿予定だが、今回はまず本書。
不思議タレントとしてテレビデビューした彼が、いつまにやらNHKの子育て番組に出演するようになっていてちょっとした論客としてのポジションえお得ていたことは知っていた。たまに耳にするその発言の真っ当さは「おお」と思える信頼性の高いもので、いうなれば非常に東海岸的でもあることに気が付き、以来ちょっと注目していたので本書も購入した。個人的に生活に変化があった時期で体力的に疲労していた時期。期待していたようなきゃいきゃいした要素は一切排除された比較的普通のタレント本であった。まあ良い意味でだが。
読後から数か月たった昨日8月26日。いきなりネットで(恐らくは)婚姻関係解消が発表されていた。ううむ。令和だ。読後記録がついついゴシップ感想になりそうなので予定していたタイトルに代えて急いでnoteすることにした次第である。しかして改めて本書のこのタイトルである。出版社の狙ったところなのか、恐らくは編集者がどこかの時点で彼のスタンスをよく理解していたこともうかがい知れる。
さて肝心の内容だが、タイトルから想像される通り、割とウェット。しかし決して悪い意味ではない。個性的(という表現が適切か不明だが)な児童が地方都市で成長していくのは周囲の困惑や壁にぶちあたるのは当然である。その中でよく自分をごまかさず進んできてくれたと思う。愛情深いご家族あってのことだと推量する。個人的に思うのは、思春期の過程において本当に厳しいのはドロップアウトそのものではなく、その「個性」故につるむ相手がいないことだ。徒党を組むという逃げ道さえ断たれている人達は一定数存在する。そこに本当の孤独や絶望が存在する。通常はそこで自身を偽って何かしらの徒党入るよう自分を調整していくようになるものだ。
ちなみにだが、この世代では盗んだバイクでなんちゃらとか学校の窓ガラス割るとかを(ひとりでやっても)なんもならんという終始一貫した達観したところがある人たちが多い気がする。この世代特有なのか、たまたまかもだが非常に合理的である。りゅうちぇる著の本書は何か非常に達観した態度と合理性に則った判断に基づく感性を感じる。本書発売の現時点においては、大変な成功体現者たる彼りゅうちぇるの「これまで」が綴られている本書にはなぜかいいようのない寂寥感や不思議な哀しみが漂っている。ひとつひとつの壁に向き合いそのひとつひとつに様々な手法で向き合っている青年のそれは決してワクワクする冒険物語ではない。ただ淡々と淡々と真摯に向き合っている日常。そしてその繰り返し。それが今の自分であるとただ静かに語るのみなのである。そしてこのタイトルだ。それはそんなものなのだろうか。成功や幸せということ自体がそういうことなのだろうか。
令和4年の夏の終わり。もっと繊細で図太さを持ち合わせなかった頃の年若い自分自身に思いを馳せながら本書を眺める。そのころに行ったあの沖縄の海を思い出しながら。
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