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映画「カモン カモン」ただひたすらの一歩と洗練と。

夏が終わる。季節の変わり目はいつもちょっとした感慨を呼び起こすものだが、夏の終わりは格別なものがある気がする。子供のころの躍動的な記憶や一方でお盆や終戦記念日といったせいなのか、ふと「彼岸」に思いを馳せることになったり混合した不思議な季節だ。

そんなことでまたも予定変更で今回取り上げるのはは、マイク・ミルズの「カモンカモン」全編モノクロームでダイアローグ中心。非常にアメリカ的・・・というか東海岸的でその特有のナイーブな面を丁寧にすくいあげている。
映画「ジョーカー」の怪演以後のキャリアはどうなるのかなと思っていたホアキン・フェニックスが、本作では本来の彼らしい等身大ともいえる無骨だけど愛情深く誠実で知的な中年男を演じている。彼を主役に6歳の「甥」の少年のふたりを主役にストーリーは進む。家族トラブルを発端に一時しのぎの逃避行のように二人は過ごし少年に都会でひと時の「休暇」を過ごさせる。

本作は、恐らく演技でない実際の「児童」がインタビューに回答するというくだりがある。これらも含め全編通じて彼ら主役二人を取り巻く環境は、若干ひるんでしまうくらいの知的レベルを身にまとわせこれがまた非常にアメリカ的、というより東海岸的な洗練で構成されている。登場人物の行動や言動は「リベラル」ここに極まれりと思わず呟いてしまうほどだ。とはいえ、本作は決してエスタブリッシュメントの悲哀をとりあげた作品ではない。現代において日々誰でもが向き合うざるを得ない「自分自身」とその痛みとの物語である。いつ終わるとも知れない感情のうねりと一方で外部との予期せぬ様々な化学反応によってすべては変遷していくという普遍的かつささやかな物語。本作は痛みや哀しみといった心の動きにより場合によっては身体的な危険に冒されざる可能性のある「弱きもの」「小さきもの」へ焦点をあててはいるがそれは「誰にでも」通じることとしている扉に過ぎず、また富裕、知的レベル、環境も超えたところでも同様に影響をもたらすというマイク・ミルズの意図によるものであると推量する。本作はこれに成功しているとも思うが一方で単純にいいようのない「馴染みのなさ」によって受け入れられない人も一定数いるであろうと考えた。それだけ「洗練」や「リベラル」は実は様々な要因により揺らいでいる基盤であるからだ。

個人的には秀作であるといいたい。非常に美しい作品だと思う。そして、アメリカの映画で今美しい作品が作られることなんてそれ自体が奇跡的じゃないか、とさえ思うのだ。いつでも強く猛々しかったアメリカという国が繊細さをさらけ出し、一歩一歩、その歩を進めることの勇気。少年の最後のセリフにそのすべてが凝縮されているといえる。そうして自分にもこっそり囁くのだ。 まずは一歩前へ。

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