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創造のヒント
はじめに
自由という言葉はとても甘美な響きですよね。
特に学生の頃は義務教育のため親の規則に従わなくてはいけない。
大人になると、親から離れて自分で自由に生きていける。
だから早く親元を離れて自立したかった。
親が嫌いというわけではなく、ただただ自由が欲しかった。
「自由」とは
自由とは、他からの束縛を受けず、自分の思うままに振る舞えること
わたしたちは生きているときに一度は「自由とは何か」という哲学について考えたことがあるのではないでしょうか。
わたしが看護学生だったときに、この質問を教師から問われたことがあります。
確かそのときの答えとして「責任」と言った記憶があります。
当時としても、今考えても間違ってはいないと思うのです。
でも、そもそも「自由とは何か」という問いに答えなんてあるのでしょうか。
人それぞれ生きてきた境遇も環境も生活スタイルも違う。
「自由」という漠然とした言葉にそれぞれの主張がある。
白か黒か。
実はそれが全てではなく、グレーゾーンがあってもいいと思うのです。
自由と制限
人間は、「なんでも好きなようにしていいよ」という『自由』があると、逆になにもできなくなるのだそうです。
白いキャンバスに「好きなように描いていいよ」と言われると何を描いていいのか迷ってしまいますよね。
わたしは以前、自分で創造する力がないという悩みを友人の一人に打ち明けたことがあります。
「何もないところから何かを生み出すのは本当に難しい。どうしたらいいだろう。」
友人は、少し考えてから答えてくれました。
「そういうときには制限をつけるといいよ。
たとえば、線を一本描いてみる。そこから想像を膨らませていく。
その線から想像した象を描いてみる。その像は三本足で泳ぐのが好き、実は鼻から風船が作れて飛ぶことができる、とか。」
思ってもみない斜め上から答えが降ってきて、目から鱗が落ちました。
一から創造することは難しいですが、ヒントを作ってしまえば案外サクサクできてしまいます。
制限がまさに創造のヒントになるのですね。
制限と自由のパラドックス
自由に制限があるならば、制限があるからこその自由もあります。
フランクル作の『夜と霧』という作品をご存知の方も多いと思います。
この作品は、アウシュビッツの強制収容所に送られたユダヤ人の精神医で心理学者である著者の視点から描かれた作品です。
人は強制収容所に人間をぶち込んで全てを奪うことができるが、たった一つ、与えられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。
実はこの作品を全部読んだわけではありません。とても難しく考えさせられることが多いので読み進めるのに時間がかかり、且つこのアウシュビッツでの体験が陰惨で非情なものなので読んでいて辛くなってしまうのです。
ただ、何一つ自由にできない環境下でも人の心の自由までは奪うことはできないという極限の自由があること、これは自分の中で大きな収穫でした。
少し難しく考えてしまいましたが、結局は制限がある方が自由を感じられるよ、ということです。
制限や規則があるからこそ、自由を求めてやんちゃをしたり無茶できたりするものです。
学生の頃を思い出してみると腑に落ちる点があるかと思います。
髪を染めてみたり、ネイルや化粧をしたり、スカートを短くしてみたり、親に内緒で夜遊びしてみたり。
親や教師の目が光っていたあの頃、制限が多いなかでできる最大限の反抗という名の自由を謳歌していた人も多いのではないでしょうか。
おわりに
自由と制限は一見全く異なるようで、実は互いに補い合っている関係だと思っています。
いろいろな制限があるからこそ、自由を感じられるものです。
世の中、不条理なことが多いです。
しかし逆説的になってしまいますが、だからこそ自由を噛み締めることができるのも確かです。
自分がしっかりと軸を持っていれば、制限の多さが逆に自由をもたらしてくれるヒントになるかもしれません。
世の中は 不平等で 平等である。
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