早乙女ぐりこさんのエッセイ『だらしない』シャンデリアが心に刺さる
早乙女ぐりこさんのエッセイ『だらしない』を読んだ。
読み終えてしばらく、わたしが変に感想を書くのもなぁ、と戸惑っていた。
裏表紙の下のほうにぺたりと貼られたシャンデリアの写真。
エッセイを読み終わるとこれが心に刺さる。
ぐりこさんの書くものが好きなので、当然面白かったことは間違いなく。
ある物差しで測れば、だらしないのかもしれない。
最小の社会である家庭、それから小学校は、ぐいぐい物差しを押しつけてくる。それに沿うことがあなたにとって最善なのだ、という理念のもと。
もちろん押しつけてくる側には彼らの信じる理念があって、それでも人は押しつけられると傷を負う。やわらかな朝顔なら、くねくねと自らをしならせていけるのに。弱そうにみえる花こそ、強いときがある。
昨日のnoteにも書いたけれど、わたしは年を重ねて図太くなってきた。その図太さにまんぞくしている。
傷は放置しておけばおくほど、根をはり、土壌を硬くしてしまう。
図太くはなかった幼くてやわらかな心が何度も傷つき、ぐりこさんは書くことで傷をみつめ、癒していく。その過程にわたしの心もひりひりする。
「父の酒癖」で、自分の中にある”父親のくせに”という物差しに気付くのも、また良い。
まだどこかで買えるのだろうか。
早乙女ぐりこさんをぜひチェックしてください。
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