『何があってもおかしくない』
映画『フロリダ・プロジェクト』で観た、その日暮らしの貧しい生活、それは十年前の日焼けのせいで浮き上がるシミのように、2000年代であろうと大戦後であろうと何代にも渡ってアメリカに浮き上がってくるのだろうか。
アメリカ中西部のさびれた町に住み続ける人。都会へ出て金持ちになる人。そんな人たちの話で編み上げられた一冊だ。
第二次世界大戦、ベトナム、イラク。いつの時代も戦争は人を変えてしまう。この本ではそこに深くは触れないが確実に影がさしている。それが生々しい。
戦争のことをほとんど話さなかったわたしの祖父母。祖父の中国語の辞書と、酔った時にだけ繰り返し怒鳴るかのように語る、卑劣な軍隊の上司と、助けてくれた中国人の話。物資が無かった時代が心の底から怖かったのだろう祖母は何十年経ってもモノが捨てられず、小さな机の引き出しにはとっておいたビニル紐や包装紙が丁寧に分けてため込まれていた。
そういうこと。
ちらりと見える戦争の恐怖。貧困の恐怖。
それがこの物語には見え隠れしていて胸を締め付ける。
描かれる家族との関係も、なにかもどかしさを残して、それが余韻になる。
わかったかのように思っていた一面。
もう絶対にわからない一面。
ひとりの人間が他者に差し出せる愛情はあやふやで、その時々で濃度も変わる。そんな人間たちが作り上げる家族とは、月のようにしっかりとした大きな岩、ではないのだ。
焼いたカブの葉を思い出す。なんだこのシワシワの葉は、と訝しみながらゆっくり噛むと甘いでもない苦いでもない滋味が口の中に広がり、忘れられないものになる。この本は、わたしにとって焼いたカブの葉なのだ。
『何があってもおかしくない』エリザベス・ストラウト著/小川高義訳(早川書房)
(人物相関図、描きました)
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