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かさぶたカサカサお受験記(2)行き場をなくした神奈川七変化【後編】

ガタンゴトン、全く乗る予定ではなかった電車に揺られ、私の背骨は上半身を支える役割を完全に放棄した。こんなにも見事に”くの字”に曲がった女を現代都市神奈川で見かける機会はそう多くない。

お教室観覧席から、何度息子のひん曲がった背中めがけて消しゴムをぶつけてやりたいと思ったことか。マジックハンドでガンガン背中をつつきたくなったことか。
忘れられない悪夢、長きにわたり母を悩ませ続けた息子の得意技こんにゃく姿勢である。まさか1年後の考査本番、母が息子以上に立派なこんにゃくになるなんて誰が想像できただろうか。


息子は、やらかしてしまったことは分かるものの、あまりにも言葉を発しないお母さんの存在を若干忘れたかのようにふんふんと鼻歌を歌っている始末。

(ぶんなぐりてぇ)

腹の底からヤンキー厚子が顔を出す。怒鳴りキレまくることは多々あれど、いうて愛する息子である。殴ったことはおろか手を出したことは一度もなかった6年間が走馬灯のように脳内を駆け巡り、人生で初めて息子の頬を打ちたい衝動に駆られた。

しかし耐えた、厚子は耐えに耐えきった。「怒らない」という圧倒的苦行を乗り越えた。最寄り駅を告げる車内アナウンスが流れた。勝った、私は自身の感情と欲望に勝った。これはかさぶた家の勝利を告げるファンファーレかもしれない、なんせここまできたらゴールは目前である。

そう安堵したのとほぼ同時に、神奈川最大最恐の火山が噴火する。

電車を降りた瞬間、「もう着いちゃったの?僕おなかすいちゃったよ。もっとドーナツないの?」と何の気なしに発した息子に熟成39年物のこんにゃくは怒りの限界を突破した。


息子のまだまだ薄く柔らかな両肩を、ソフトボール県ベスト8の剛腕キャッチャーであった厚子の両手が面舵いっぱい鷲掴み。鼻先5mmの限界まで顔を近づけて絞り出すように言った。

「…マジもう食うな、黙れ。」


考査真っ最中のお母様のご発言である。
さすがのぼっちゃんも凍り付く、殺気立ったこんにゃくを喉につっこまれ窒息寸前だ。

お願いだから黙ってくれ、黙るというのは口を閉じて歯を食いしばって声を出さないということだ。
そう伝えきる間も待てずに延々しゃべり続ける。5秒歩けば10言しゃべる。東のさんま師匠、しゃべくりの化身ぼっちゃんが、1歳8ヶ月で「まんま」と発語して以来初めて自らの意思で強く口を閉じた

改札を抜ける、学校へ向かう、校門をくぐる、エントランスまで歩く、受付の列に並ぶ。その瞬間まで、母の手をしっかり握り、口角を一切上げることなく、スキップしたり小走りしたり斜面で秘技忍者斜め走りをしたりフェンスや壁によじ登ったり石や枝を拾うことなくまっすぐ前だけを向いて着実に一歩一歩歩いた。

吽形の子として生まれ落ちた息子自身がまた、吽形の金剛力士像となった瞬間である。

受付順が回る直前「挨拶…」という厚子のつぶやきを合図に、息子は両手できっちり持った受験票を受付の先生側にくるり向けると「かさぶたぼっちゃんです。よろしくお願いします」と深々頭を下げた。

できるのだ、こやつはやろうと思えばきっちりかっちりできるのだ。


しかしやらない、やる気がない、なんならなんでそんなことせにゃならんのだ、僕は本当はおうちでレゴを組み立てながらドーナッツをむさぼっていたいのだ。そんな鋼の意思さえ感じる普段の息子。


しかし母のジルコニアセラミックにひびが入り阿吽像が降臨しこんにゃくに己が肩が握りつぶされそうになって初めて「やらねばならぬ、さもなくばDive off 」。神奈川の断崖絶壁、まさに崖っぷちに追いやられていることにやっと気付いたのだ。

いつも心に船越英一郎


遅すぎる気付きを得たミニ吽形を考査会場に送り出し、待合室でもこんにゃくのままである厚子。重力に負け腰から崩れ落ちそうになる上半身を必死に支えることに集中する為、禅の呼吸に着手する。アイアムスティーブジョブズ。ハングリーであれ、愚か者であれ。作るぞiMac、大きくするぞapple社。

婚外子は認知しない系男子


そうやってスティーブになりきってやり過ごした数時間後、考査が終わった息子の第一声は

「今度はお友達作らなかったよ!!!」

であった。



数日後、通い慣れたお教室の直前講習はめずらしく空席が目立っていた。半数以上の生徒が欠席する中、そうか今日は神奈川午前校の二次試験であったことを思い出す。

体操の時間中にお友達を作り延々おしゃべりしていたであろう息子に、二次試験の席が用意されることはなかった


しかし冷静になった今の厚子には分かる、あれは圧倒的に私のミスであった。トイくんを見せるタイミング、ぶちあがたっテンションを下げる術、送り出す際にかける言葉、メンタルの立て直し。すべてがうまくいかず、自分で自分と愛する息子の首を絞め続けた。

なんなら数週間前の埼玉合格によって浮かれ調子に乗っていた39歳。神奈川考査を迎えるまでの数週間、間違いなく空気は弛んでいたはずだ。そんな油断と慢心が息子にも伝わった結果がこれか。

そして落とした。いつも通りにできれば二次試験には呼ばれるだろう。お教室でそう下馬評を得ていた神奈川午前校を完璧に落とした

しかし、蜘蛛の糸程の可能性と希望はまだある。本日まさにこの瞬間、午後校の合格発表が行われるのだ。

厚子はこっそり、午後校に一定の勝算を感じていた。

「かさぶた家60インチTV倒壊事件」よろしく、厚子にブチ切れられた後の息子は確実に結果を残す。

普段のパワー全開パラッパラッパー時が100としたら、40%程度の出力量で受ける試験において圧倒的能力を発揮するのがうちのたぬきくんだ。

息子の生き別れの双子の兄ことたぬきくん近影
引用:かしこいトイくん(レインボー先生著)


人生初めてミニ吽形となって考査に向かった息子は、まさに出力40%。神奈川で合格を勝ち取るとしたら午後校しかない…!


観覧席はあらかじめ後方壁側、1番の死角をキープしていた。先生のコメントをメモするふりをしながらバインダーの間に仕込んだスマホを取り出す。


今回も咲く、むしろ咲かせる。ここで咲かなきゃ跡がないんだよ今畜生。
今回も満開の桜がごとしピンクの画面が表示されるはずだ。だって息子は出力40%だもの。

最後の確認ボタンを押した瞬間

「補欠です。」



隅っこの席でよかった、壁があってよかった。そうでなければ腐りかけの熟女こんにゃくはパイプ椅子からひっくり返り、天国からお迎えに来てくれたスティーブ・ジョブズと共にそのまま黄泉の世界へ旅立っていたはずだ。


午後校の補欠により、かさぶた家は行き場を失ったまま11月を迎えることになる。

しかし、厚子のツラの皮は存外厚かった。

本命東京では4校の受験を予定している。
埼玉の誤算、神奈川の惜敗は、東京で感動のフィナーレを迎える為の大いなる前振りだったのかもしれない。

突然の私リトルマーメイド現象である。相変わらず失敗からなにひとつ学ばない女である。

「どこも行くところがない状態でチャレンジした熱望校で見事合格!逆転満塁ホームラン!!」

11月半ば、twitterでそうつぶやく自分を想像して、え、ちょっとおいしいじゃん面白いじゃんいいね&リツイート大フィーバーじゃん!!と妄想するアラフォー人妻人魚姫の夢と希望は神奈川の海に泡となって溶けていく。

夢と魔法と幸せ溢れるエンドロール。そんな大団円がこの女の手元には玉響でさえ訪れないことを、東大寺南大門の吽形像だけが知っていた。

③へ続く

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