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15歳の自分へ

最近、ワクチンを打つために徳島に帰省していた時、中学生の時の生活記録を読み直した。なんだか懐古厨みたいなことしているけれど、やってみるとこれが意外と面白い。

当時の私には誰に言われずとも、マイルールがあった。なんのために課していたのかすらもわかんないルール。まあ、中学生ってそんなもんだよね。それは「生活記録の日記欄は必ず全行埋めること」。短い文章ではあるけれど、当時の自分が恥ずかしげもなく等身大に晒されていることがありありと伺える。


「決意した」
私は今、多分、ふんばりどころです。ここでがんばったら絶対うまくいきます。ここで負けたらのびません。くだらないことに負けず、一生懸命頑張ります。

「私の今後の課題」
前にも書いてあった通り、私はうぬぼれていました。演奏に対するこだわりが欠けていると思っています。今後の私の課題は音に徹底的にこだわることだと私は思っています。
「最近」
最近私は自分に甘い気がします。勉強のことも他のことも。とくに、勉強のことに関しては自分に甘すぎです。もっと自分に厳しくありたいです。(←ちなみにこの日記を書く前に返却されたテストは校内1位だった)


なんと自罰的に生きているんだ、とこの年になってやっと思う。異常だ。こういうセルフブランディングをしたくて「私は自分に厳しくありたいの!」なんて友達に言いまくっていたりするなら、それは「厳しい自分」に酔っていたということが言えるんだろうけどそうじゃない。自分と先生の間でしかみられることのない生活記録の中で自己に向き合う時間をとっていた。別に先生に特段気に入られたいとか、有能に思われたいとか、自分を大きく見せたいという感情は当時なかったから、きっと年の離れた、親でも先輩でもない誰かに、自己と向き合うことの壁打ちをして欲しかったんだろうな、と思う。

中学校三年生の時の担任は本当に私の日記を楽しみにしてくれていた。「あずちゃんの日記は面白い」。そりゃそうだ。当時そんな生活記録の使い方をしていたヤツは私のクラスには多くなかっただろう。

日記で自分との向き合いのあしあとを残せば、そのあしあとをみた先生が、「それはこういうことなんだね」「そういう道筋を辿っているのはあなたにこういう面があるからなんだね」と、丁寧に返してくれていた。先生の字はお世辞にも綺麗とは言えないし、毎回解読するのに苦戦していたけど。たまに「太鼓を叩いているアズちゃん」とタイトルのついたよく分からないイラストつきの返事がかえってくることがあったりして、なんだか面白かった。

それと同時に先生は困惑していた。日記の中の私はいつもいつも驕る事なくストイックに自分に向き合い続けているのに、教室での振る舞いは横暴・粗雑そのもの。授業中でも教室の戸を蹴って出ていくこともあれば、給食の配膳中に奇声(ヒャッホーみたいな陽気系)を発しながら廊下を走り、保健室へ行って生徒指導常連のヤンキーに宥められたことすらある。掃除の時間は分担場所は放棄・他のクラスに顔を出し、なぜか自分のクラス以外の井戸端会議に参加。担任の先生に首根っこをつかまれて自分の持ち場へ連れて帰られながら、廊下のみんなで笑われたこともあった。

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(↑戸を蹴った注意を生活記録でされる私)

ひどい時には、評定が気に入らないからといった理由で3階の教室の窓から「しねー!!!!!!」と言いながら通信簿を投げ捨てたこともあった。綺麗に飛んでいくのを想像してたけど、紙だから案外ゆっくりと風に揺られながらひらひらと落ちていく通信簿が滑稽で面白かったのを覚えている。(この後教室に「くーめーいー!!!!いい加減にしろ!!!!いますぐ拾ってこい!!!!!!」という先生の怒鳴り声が響いたことは言うまでもない。)その他にも、私立高校併願断固反対運動や個別包装マヨネーズ発酵実験(in ロッカー)など、反骨精神剥き出しで学校生活を送っていたことをありありと覚えている。

ある日、困惑する先生の返事が生活記録に記されていた。

自分を厳しくみつめ、よりよくなっていこうとする、久米井さんのこの素敵な内面!見習いたい。露悪的にふるまっているのは照れくさいからなの?フシギ。悪ぶるのをやめてみては?

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照れくさいからそう振る舞っていたのではない。私は「あづあづは自分に厳しいんだね」という印象を人に持たれたくない、というのがあの頃から一貫してある。「チャラついてんなあ」とか「何も考えてなさそう」と評価される方がまだいいって思ってた。

「ちゃんとしてそうだな」って勝手に期待されて、「何だ、こいつ大したことないじゃん」って勝手に失望して切り捨てられるのがひどく怖いから。「何だ、このちゃんらんぽらん?!」ってマイナススタートで初めて、「あ、何だこいつ意外とちゃんとしてるやん」ってなんやかんやのプラマイゼロになってくれる方が楽でしょ。もともとの性格がおしゃべりで、ヒトって生き物が好きで、人の懐に入るのがうまいと言われることが多い私。その分勝手に「出る杭だ!」と認定され、字面通り出る杭として打たれる経験は幾度となくあった。というか出てもないのに打たれるから気持ちとしては凹んでたよ、だって出てないもん。そんなに才能もないし、有能じゃないよ私は。

そんなこんなで、私はヘラヘラ振る舞うことがうまくできるようになっていく。普通はむっとするようなことでもうまくちょけて返せるし、神妙な空気になってもうまく取り成すことができるようになっていく。まるでピエロのように。

でも少しずつ、きちんと自分に向き合える自分、自分の評価をわざと下げようとする自分、周りの空気をうまく取り持とうとする自分、自分の中でどんどんいろんな自分ができて戸惑って、どうしていいのかわからなくなる。それがきっと、露悪的な行動につながっていった。

「どうしたらいいの!」

自分の中で叫んだその声にどう耳を傾けてあげていいかわからなかった。まだ幼かったから自分をうまく使い分けることなんてできなかったし、理想の自分像が少しずつ固まっていくのに反して、いろんな側面を持つ自分が生まれて育っていくことが自分の中で恐ろしくて仕方がなかった。そんな恐怖を処理しきれなかった。きっと、「理想の自分像に近づこうとする自分」は、その恐怖に露悪的な行動をとることで勝ったつもりでいたんだろう。いろんなところで育っていく「あずあず」(実は中学時代は「あずあず」でした。高校からは、生まれ変わった別の人間として生きていきたくてせめて名前だけでも、と「あづあづ」と名乗っているのです。)のイメージをぶっ壊していくのが快感だったんだと思う。そうすることで理想の自分に近づける気がしていた。『ピエロができる私は私じゃない。内側に向き合う私だけが本当の自分なんだ』己に向き合っている中の自分以外のイメージを露悪的な行動でぶっ壊すことで、自分を保ってた。そんな弱さがあった。

周りに求められている自分と、自分の目指す理想の自分が違うことに気づき、戸惑い始めた。自分が自分に求める「完璧」と、人が私に求める「完璧」のあり方が違う。それに勝手にひたすらイライラしていた。だからきっと、「中学時代のあづあづは尖っていたというより、触ったら爆発してた」なんて言われてたんだろう。「完璧」であることを自分にも、そして自分の思う「完璧」を他人にも求め続けて、苦しかった。

でも、それは仕方のないことだと受け入れられるようになったし、そう折り合いをつけていかなければならなかった。だから結果として「自分をちゃんと見つめるあづあづ」と「ピエロあづあづ」が生き残った。2人は案外うまく対話しながら生き残っている。「自分を見つめるあづあづ」がいるから、その内省の結果を信頼して「ピエロあづあづ」は外の世界と接することができる。「ピエロあづあづ」が周りの人に喜んでもらえたり、たまに失敗したりしながら周りの人にたくさん反応をもらえるから「自分をみつめるあづあづ」がそれをもとに徹底的に自分に向き合う。2人はお互いにフィードバックしあいながら、タッグを組んで進んできた。

けれど、最近少し2人が喧嘩することがあったり、すれ違うことが多くなっている。歳を重ねるごとに、外の世界にたくさん触れるようになって「ピエロあづあづ」の方ばかりすっかり大人になってしまって、「ピエロあづあづ」は「自分を見つめるあづあづ」少し幼稚に感じるようになり、信じることができなくなっていった。「ピエロあづあづ」が持って帰ってきた成果に対して「自分に向き合うあづあづ」がそれに見合う内省の結果を出せなくなっていた。「ピエロあづあづ」は言う。

『お前なんかもう信用できない!』

でも、「自分を見つめるあづあづ」は言い返す。

『今のお前をお前たらしめたのはこっちだぞ!』

確かにそうだ。私の中にいる2人は、お互いがお互いを高め合ってきた。2人が手を取り合って進んできたからこそ私は今の私だし、2人がバラバラになると私までもがバラバラになって崩れそうで。ある程度成熟した2人だからこそ、2人が違う方向を向いてしまえば、私の中の矛盾を認めざるを得なくなる。その矛盾にパニックを起こしてしまう。じゃあどっちに進めばいいんだ。まるで、露悪的に振る舞っていたあの頃と同じだ。けれど、戸を蹴って走って逃げ出すことを社会が許してくれるほど、私は幼くない。どっちかの自分をぶっ壊してしまえるほど、2人の自分が積み重ねてきてくれたものが脆いものでもない。

かと言って、2人は1つになるべきなんだろうか。バランスの取れた自分になることを2人は望んでるんだろうか。「周りはこう言ってるから、まあ、こんな感じなんだろう」。私の周りの世界を、私が感じる世界を解像度の低いままにしておくことをきっと2人とも望んでいない。できるだけはっきりと、できるだけみたままに。そして、もっと目を凝らして。お互いが見ている世界を共有しながら、お互いの見たものを少しずつ重ねていくことで私の見える世界を私自身が認知していきたい。もっともっといろんなものを見て行きたいし、もっともっと解像度を高めていきたいんだ。


自分という存在や芯が1つにならないからこそ、迷うし、辛くなることもある、しんどくなることもある。バラバラになって壊れてしまいそうになる。それでも何度もその破片をかき集めてもう一度カタチ作ってあげられるのは私自身しかいないし、その作業はきっと私の中の2人がするだろう。

1つにならなくていい。ずっといがみ合っていけばいいと思う。そうやってお互いがお互いにフィードバックして全力で目の前のことに向き合って行って欲しいって私は思う。

「おい!お前!この部分はもっとこだわりぬけよ!」
(自分に向き合うあづあづ)

「うるさい!そのこだわりは誰が望むっていうんだ!周りに求められることが自分の幸せだろ!」
(ピエロあづあづ)

「生意気だな!その幸せを感じられるのはそもそも自分の中の感情に向き合ってのことだろ!」
(自分に向き合うあづあづ)

2人に共通して言えるのは目の前のことに全力で取り組むこと。壊れてしまわないように2人のバランスをとっていこう。今は「自分に向き合うあづあづ」が圧倒的に劣勢だ。そのバランスを取り直してあげられるのはきっと2人の上に成り立つ「私」の他に誰もいない。その2人を。どちらかに選ばなかった自分、欲張ってどちらも残しておいた自分、それが故に苦しんだ時の自分を抱きしめてあげたい。そんな自分たちを持つ私をゆっくり受け入れて、15歳の自分の選択を正解にしてあげたいと思う。


他者と出会い、刺激をもらえる環境に今いる恵まれているからこそ、私自身に向き合う時間も同じ分必要だ。そんなことを、中学の生活記録から教えてもらった、夜。少しだけ、自分に向き合えた夜。バランスを取り戻していく夜。



そんな日記の中に、こんな日の日記をみつけた。

「将来の夢」
私の将来の夢はまだはっきり決まっていません。「あれもやってみたい。これもいいなあ」いろんなことをやってみたいと思います。ただ、自分だからできる、自分でもこの仕事が好きと言えるような仕事につくことがとりあえず夢です。
「将来のこと」
最近は将来はなにをしようかあ、と考えるようになりました。私は外で働きたいです。仕事のできる人になって必死に打ち込めることを見つけたいと思っています。


きっと近づけているはずだ。夢中でぶつかっていけるものがあるし、ぶつかっていき続けたいと思えること自体が、「好きなこと」や、「打ち込めること」に向き合っているよ、って15歳の自分に思う。



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