淡く儚い妻の”わがまま”というシャボン玉
「ぼくはわがままな女性が好きなんです」
コロナ以前の飲み会で、男女関係の話になると、ぼくはよくそんなことを言っていた。
だけど、多くの男性はこう言う。
「またまた、そんな『いいこと』言ったってダメですよ!」
「そんな人(女性のわがままが好きな人)なんていないでしょ?」
多くの男性にとって女性の”わがまま”とは、うとましく思いはするけれど、喜んで受け入れるものではないらしい。
でも、ごくたまに、10人に1人くらいの男性が共感してくれる。
そういう人は、たいてい人の気持ちに敏感で、好きな女性に対して真っ直ぐな思いを持っている。そして、お相手の女性もなんとなく幸せそうな顔をしている。
そして、女性のわがままが好きなぼくの話に懐疑的な男性の話を聞いてみると、たいてい夫婦関係がうまくいってなかったりする。
女性のわがままを聞いたり、心に寄り添うことを「男性らしくない」とか「軟弱だ」と考える人もいる。
だけど、そういう人に限って妻と一緒の寝室で寝ることを許されず、リビングで寝ていたりする。
男が生物として生きる理由は「より多くの種を残すため」だと言われるけれど、たった一人の女性とですら親密な関係を作れないのに、「多くの種」は残せないんじゃないかなと、ぼくは思う。
そして、たった一人の女性、自分の妻との間に親密な関係を作るには、ぼくは「お互いにちょうどいいわがまま」を言い合える関係が必要だと感じるのです。
”わがまま”というシャボン玉
妻と一緒に暮らすということは、自分たち二人の気持ちを出したり引いたりしながら、自分たちにとって心地いい状態を作り続けることなのかなと思うんですね。
二つのシャボン玉がゆらゆらと揺られながら近づいていき、ピタッとくっつく時ってありますよね。
または、シャボン玉がぶつかって二つとも割れてしまう時もあります。
夫婦二人の気持ちって、あのシャボン玉と似ていると思うんです。
大切に扱わないとパチンと弾けてしまう。
やさしくやさしく息を吹き込み、小さなシャボン玉を少しずつ大きくしていく。
スッと空に飛び立った二つのシャボン玉は、お互いの距離感をはかりながらちょっとずつ近づいていく。
夫婦の心も同じで、相手の心の動きを観察しながら、ちょっとずつ自分の”わがまま”というシャボン玉をふくらませ、相手のシャボン玉に近づいていく。
妻の”わがまま”というシャボン玉にゆっくりと近づいていき、どうやってそこにソフトランディングするかを考える。
妻のシャボン玉の方が大きいこともあるし、ぼくのシャボン玉の方が大きいこともある。
色もそれぞれ違う。
緑色が強い時もあれば、青色が強い時もある。
お互いにとってベストな形と位置を保ってくっつくことで、ぼくらのシャボン玉は、ぼくらが思っているよりもずっと遠くまで飛んでいける。
うまくソフトランディングできた時は、このまま永遠に二人で遠い旅に行けるんじゃないかという気持ちにすらなれる。
青い空を越えて、遠い国をいくつも越えて、どこまでもどこまでも、二人で一緒に。
お互いのシャボン玉を大切に
自分の気持ちを尊重してもらえると、嬉しい気持ちになりますよね。
そして、それは相手にとっても同じことだと思います。
妻がなにを望んでいるのか、なにをしたいのか?
世間が”わがまま”と呼ぶようなことって、だいたいぼくにとってはどうでもいいことばかりです。
「子どもの面倒をずっと見ていたくない」
「子どもが病気になった時に、病院に連れて行って欲しい」
「たまには子ども向けではない、おいしくて幸せな気持ちになれるものが食べたい」
「怒りすぎて子どもを可愛いと思えない、憎らしいと思ってしまう瞬間がある」
「自分の怒りの感情に振り回され、言いたくないことを言ってしまい、自己嫌悪で涙が出る」
「子どもを置いて夫婦二人だけで旅行に行きたくなる」
「家族のために時間を使いすぎて、自分の時間が減り、世界に取り残されたような気がする」
こういう思いって、以前の記事でも書きましたが、誰もがあまり口に出さないだけで、本当は心の中で思っていることであり、夫が大切に受け入れてあげるべきことだと思うんです。
「女性のわがままが好き」というと、女性のすべてのわがままを叶えなければいけないと思ってしまうかもしれないけれど、そうではなくて、そう言った気持ちを吐き出させてあげることの方が大事なんだと思います。
妻にいくつもの”わがまま”というシャボン玉を飛ばさせて、自分もいくつものシャボン玉を飛ばす。
二人で、それらのシャボン玉を眺めながら、「そういうことを考えていたんだね、気づいてあげれなくてごめんね」と、お互いの気持ちを初めて知り、これから二人が幸せな気持ちで暮らしていくためにどうすればいいかを話し合う。
自分ばかりが苦しい思いをするのではなくて、相手にばかり苦しい思いをさせるでもなく、お互いにとって”ちょうどいいわがまま”を探る旅。
それが夫婦関係なんじゃないのかなって思うんです。
子どもの通院は「母の仕事」ではなく、「親の仕事」なのだから、夫もできる限り行けるようにしたり(去年、ぼくは初めて看護休暇を取得しました)、家事や育児が辛いならアウトソーシングをしたり、分担内容を検討し直したり。
子どもの相手を妻に集中させないように、「二人の仕事」として考え直し、自分の働き方を変えたり、妻が自ら望む仕事ができるように応援したり。
シャボン玉のように淡く儚い”わがまま”を大切に拾いあげ、壊れないように胸にしまう。
”ちょうどいい”わがままを夫婦がお互いに言い合えるようになるには、相手の”わがまま”というシャボン玉を、どれだけ大切に扱えるかだと思うんです。
そこに「男らしさ」とか「女らしさ」と呼ばれるものは存在してなくて、ただ一生懸命に相手の心を知ろうとする、不器用なまでの「誠実さ」があるだけだと思うんです。
そして、お互いに「不器用な誠実さ」を持ち寄り、自分のことを、妻のことを、二人の生活を、いかに大切に考えるかだけだと思うんです。
あなたもパートナーと一緒に、たくさんのシャボン玉を飛ばしてみませんか?
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