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働く父親はなぜ幸せになれないのか?

その部屋はものであふれかえっていた。

アコースティックギター、エレキギターが2本、ベース、アンプが2個。

4本の釣竿、子どもの頃から保管しているほこりを被ったおもちゃ、いくつものぬいぐるみ。干からびた水耕栽培の残骸。

本棚には脱サラリーマンを煽る自己啓発書や、サラリーマン向け独立雑誌が何冊も並び、小さな庭には途中でやめてしまった家庭菜園の痕跡があった。

とある事情で、ある40代子持ち男性の部屋を片付けることになったのだけど、まさに足の踏み場がない状態だった。

驚くと同時に、ぼくはある既視感に襲われていた。

どこかで見た光景。これは数年前のぼくと同じだと思ったんです。

"なにものか"になりたくて、あれもこれもと手を出すけれど、途中で辞めてしまう。ぼくの本棚にも、恥ずかしくて人に見せられない自己啓発書がたくさんありました。

会ったこともない人の意見に振り回され、自分の快楽や憧れを優先し、気がつけば妻や子どもたちと過ごす時間が減っている。

そんな時期があったんです。

その部屋を見たとき、父親にとっての幸せとはなんだろうと、考えずにはいられませんでした。

子どもが生まれ、人生に焦る父親

30代になり、父親として子育てに追われるようになった頃、ある焦りを感じるようになりました。

自分の人生はこのままでいいんだろうか?

やりたいことをやれないまま年を取っていいんだろうか?

ネットを見れば”インフルエンサー”と呼ばれる人々がサラリーマンをこきおろし、自由に生きることを煽ってくる。

Twitterやインスタグラムを開けば、そんなメッセージばかりが目に飛び込んでくる。

そんなものばかり見ていると、否応もなく劣等感を刺激され、自分がとてもつまらない人間であるかのように思えてきたものです。

3人目が生まれた頃、ぼくはブログで子どものおもちゃ紹介記事を書いて、アフィリエイト収益を得ていました。

少しずつ検索で引っかかるようになり、1ヶ月の収益が10万円を超えることもありました。

でも、アフィリエイト目的の記事を書くということは、SEO対策を考えないといけないので、それなりに時間がかかるんです。記事の書き直しも定期的にしないといけませんし。

なによりも、アフィリエイト目的の記事を書くことが、ぼくがやりたいこととはどうしても思えませんでした。

3人目が生まれ3ヶ月の育休を取ったときも、迷いを感じながらブログを書いていたのですが、あるとき妻からこう言われたんです。

「ねぇ、アッちゃんはわたしのために育休取ったんでしょ?」

そう、ぼくは妻のために育休を取ったはずなのに、ブログや育休発信ばかりに力を入れていて、妻のことをきちんとケアできていなかったんです。

それからは妻と子どもたちのことを中心に考えて行動するようになりました。本棚にあった自己啓発書は捨て、育児書や夫婦関係本を読むようになりました。

中年の危機の先にあるもの

いま、ぼくはnoteとポッドキャストで夫婦関係改善に関する発信をしているけれど、いろいろやりたいことがあるなかで、これだけが残りました。

ぼくが1日のなかで自由に使える時間は2時間くらいだけど、そのすべてをこの発信と夫婦関係相談に使っているんです。

誰かと飲みに行ったり、美味しいご飯を食べに行ったり、釣りに行ったり、楽器演奏をしたり、そんな”快楽”はここ数年間ほとんどしていないのですが、ぼくにとってはこの活動の方がよっぽど楽しいと感じているんです。

夜の10時に車のなかでポッドキャストを収録することもあるし、”快楽”とは程遠いことが多いのだけど、”誰かのために”なれるのならがんばれるんです。

”家族と過ごすこと”も同じかなって思うんです。

いつの頃からか、自分だけがやりたいことをやっても、ぼくはあまり楽しくなくなってきたんです。

妻が楽しいな、嬉しいなって言ってくれること。子どもたちが「あー!楽しかった!」って言ってくれること。

そんなことを増やしていきたいなと思えるようになり、ぼくが自分の自己実現のために家族との時間を犠牲にするのはなにか違うなって思うようになってきたんです。

正直なところ、社内での立ち位置の限界が見えたり、”なにもの”にもなれない自分が気になるときはあるんです。

でも、一方でこんなことも思うんです。

妻と子どもたちとの時間を犠牲にして手に入るものに、どれだけの価値があるんだろうかって。

それは昔働いていたある業界の経験からきているのかもしれません。

”家族の幸せ”もひとつの自己実現

その業界では離婚と不倫がめちゃくちゃ多かったんです。

残業や長期出張が多くて、週に2回は徹夜で、徹夜じゃない日は終電に帰るという働き方があたりまえになっている業界でした。

キラキラした業界だったので、楽しんで働いている人が多かったけど、その人たちの家庭はきっとキラキラしていなかったと思うんです。

ぼくもそんなキラキラに惹かれたわけですが、その業界でぼくが働いている期間の妻はいつも疲れ切っていました。

妻が双子を妊娠していることがわかり、長く働き続けることができない業界だなと感じてもいたので、会社を辞めることにしました。

名声とか社会的な成功にぼくらはどうしても吸い寄せられてしまうけど、ぼくが幸せを感じられるモノは、妻が幸せを感じる瞬間であったり、子どもたちが毎日を楽しく生きていることだったりするんです。

憧れの業界で働けたことよりも、ブログで金を稼げたことよりも、”家族の幸せ”が自分の幸せにつながっているんだなって思うんです。

とはいえ、個人の夢や目標を否定するつもりはなくて、ぼくも”夫婦関係改善の発信”という軸で、これからも活動は続けていきます。

続けてはいくけれど、”家族の幸せ”もひとつの自己実現なんだと思うんです。

仕事も家庭も個人の活動も、”誰かのためになること”が軸にあると、幸せを感じられるようになるなって、いまのぼくは思うんです。

個人の”快楽”を追い求めることよりも、よっぽど充実した人生になるんじゃないのかなって。

どれだけ好きなことをやっても幸せを感じられないのであれば、それは行動の矢印が自分だけに向いているせいかもしれません。

矢印を妻や子どもたちに向けることで、逆に幸せを感じられるようになるんじゃないのかなって思っています。

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