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日本語のトメ・ハライはスペルじゃなくて”アート”なんだと思う

子どもが小学校2年生になってから、国語の授業で漢字のトメハライを厳しめに指導されることが増えたんですね。

こういうやつですね。

これがなかなかうまくいかなくて、「もういやだー!」と子どもが泣き出すことがあるんですね。

文字を書いていてトメルとかハラウとか意識するのって、スペリングじゃなくて”アート”なんじゃないのかなって思うんですよ。

鉛筆で文字を書いていても、この画像の漢字のようにまるで筆で書いたような文字にはならないですよね?

トメハライって筆で書くことを前提にした概念だと思うんです。

ぼく、小一から中三まで書道を習っていたんですね。

9年間も続いた習い事は書道だけで、あとは全部途中でやめちゃったんですが、なぜか書道だけは好きでずっと続けていたんです。

好きで続けていたのでどんどん段が上がっていって、最後にはトップの特待生とくたいせいまで上がれたんです。

小一の時には20人いた生徒が、中三になるとぼくを入れて2人だけになっちゃって、あまり人気のない習い事でしたがぼくは好きだったんです。

書道の世界って、それぞれの流派があって、ぼくの教室は臨池会りんちかいという流派に入っていました。

筆で文字を書くときって、書き初めにグッと力を入れて、シュッと筆をはらうように書くんですね。

そうしないと、書き始めの部分が太くならないので、かっこ悪い文字になっちゃうんですよ。

下の画像の赤丸で囲った部分ですね。横線がちょっと斜め上を向いていますよね?筆でグッと力を入れて書き始めると、こういう風になるんです。

それから、トメもそうです。筆でグッと力を入れて止めると、こんな風に書き終わりが太くなるんですね。

ハライもそうで、筆でシュッと払うように書くと先端が細くなるんですよ。

これって筆で書くと表現できるんですが、鉛筆では表現できないんですよ。

ぼく、毛筆は特待生になれたけど、硬筆(鉛筆やボールペンを使う書道)はまったくダメで、あとから入ってきた妹に簡単に追い抜かれました。

今でもペンで書く文字はとてつもなく下手です。

毛筆と硬筆で必要な技術ってまるで違うんですよ。筆で書くように鉛筆で文字を書いても思うようにトメもハライも表現されないので、なんか違和感があってストレスを感じるんです。

ぼくはボールペンを使うときも、つい筆のようにシュッと払って書いてしまうんですが、それで字がきれいになるかというと、別にならないんですよね。

だから、小学校でいくらトメハライを意識しましょうって言われても、筆で書くならわかるけど、鉛筆でいくらやっても意味がないと思うんですよね。

トメハライって鉛筆では表現できないものなので。

ぼくが書道を小一から中三まで9年間も続けてこれたのは、書道が”アート”だったからなんです。ぼくが硬筆よりも毛筆が好きだったのはそのせいだと思います。

ぼくは小さい頃から絵を描くのが好きだったんですが、お絵描きと同じ感覚で書道をやっていたんです。

筆に墨を含ませすぎるとポタポタと垂れてしまう。かといって少なすぎると文字を書いている途中でかすれてしまう。

適度な墨の量を意識し、書き始めにグッと力を入れるときに、時間をかけすぎてしまうと書き始めが太くなりすぎてしまう。

適度な力と適度な時間を意識しないといけない。

そして真っ白な半紙の中で、文字感覚を考えながら書かないとサイズバランスが崩れてしまう。

適度な墨の量、トメハライの力と時間、文字感覚、それらすべてを無意識のうちにできるまで、何度も何度も書き続け、書道を自分のものにしていく。

それは、巨匠の絵をデッサンし続け、絵画のスキルを上げていく画家と変わらないと思うんです。

だけど、鉛筆でいくらやってもそれはできない。

小学校で「トメハライを意識して文字を書きましょう」というのは、「2Bの鉛筆で色彩豊かなゴッホの油絵を再現しましょう」と言っているのと同じなんじゃないかって思うんです。

そもそも、漢字練習のお手本がすべて筆文字になっていますからね。鉛筆で筆文字は再現できないじゃないですか?

昔の日本人が筆を使っていた名残がまだあるんだと思うんです。

9年間書道にハマった経験から言えるのは、日本語の文字は筆で書くことを想定して作られていて、小学校で習うときも筆で書くことを想定した練習をさせられる。お手本も筆文字になっている。

だけど、筆の使い方と鉛筆の使い方は大きく異なるから、同じようにはどうしたって書けない。だけど学校ではそれを強要される。

という問題があるのかなって思うんです。そして、鉛筆で文字をきれいに書くためのメソッドを、実は日本人自身は知らないんじゃないのかなって思うんですよね。

”筆で文字を書く”という行為は、大昔はスペリングそのものだったんだろうけど、筆を使う習慣がなくなった今は”アート”なんだと思うんです。

その”アート”を鉛筆で文字を書くときにも使おうとするから、ムリがあるんだと思うんです。

どうすればいいのかって答えはぼくにもないけど、トメハライって”アート”だから気にしなくていいよねって思うと、ちょっとは気が楽になるんじゃないのかなって思っています。

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