見出し画像

「父親とはなにか?」という問いは、なぜ意味がないのか?

こんにちは。

こないだから「母性愛神話の罠」という本を読んでいるのですが、「父親とは?」ということについて、色々考えさられる内容でしたので、今日はそのことんついて書きたいと思います。

育児をするのが父親なのか?厳しく躾をするのが父親なのか?

まず、このポスターを見ていただきたいのですが、これは1999年に厚労省が作成したポスターです。

画像1

「育児をしない男を、父とは呼ばない」

なかなか刺激的なキャッチコピーですよね。

ですが、1999年は今よりも男性の育休取得率は低かったし(なんと0.42%!)、男性の育児に関するやる気は、今もそんなにめちゃくちゃ高いというわけではないですが、今よりも低かったはず。

そんな時代にこんなポスターが街中に貼り出されたので、世間は非難轟々だったそうです。

それも「育児に時間は関係ない」だとか「どうやって残業だらけの仕事をしながら育児をするんだ」といったような

・男が育児をする必要はない派閥

・モーレツサラリーマンやりながら育児なんてできるか派閥

があったようです。

そして、「父親というのは、厳しく躾をする厳父であるべきだ」という風潮も高まったようです。

そして、文科省が1999年に作成した家庭教育ビデオ「子どもとしつけ」では、小錦を起用して、子どもをきちんとしつける父親像を前面に押し出しています。

このビデオは残念ながらネットでは見つかりませんでしたが、当時の日本が「父親像」に関してブレブレだったことがよくわかります。

為政者ですら分かっていない

厚労省は少子化対策のために「男に育児をさせ、出生数を増やしたかった」のでしょうし、

文科省は増加する少年犯罪やそれに伴う親からの学校教育へのクレームの回避のためにも、「家庭でのしつけが足りないんだろ?ちゃんと親が厳しくしつけろよ」っていうことが言いたかったんでしょうね。

このように、同じ政府内の組織であっても言うことがバラバラなんですよね。

結局、誰も「父親とはなんなのか?」について明確な回答を持っていないので、国民に提示することができないんでしょうね。

それに「父親とは?」という抽象的な概念は、個人がそれぞれに思い描いているものがあり、そういったパーソナルなところもありますよね。

なので、「父親とは?」という問いに対しては、自分で考えるしかないと思うんですよ。

ちなみに、「厳しい父が日本の伝統」というのは幻だったと言われています。

日本の父親は伝統的に強く、毅然としていたのだという反発もあるでしょう。しかし、そう主張する人々があげる父親像の実態は、家族制度化の家長の姿に過ぎないのである。

たとえば、かつての日本の父親はたしかに強く見えたかもしれない。しかし、それは父としての威厳や権威ではなく、家族制度という制度的な保証に支えられていた家長権にすぎなかったと考えられている。

家族制度の後ろ盾は、ときに専横な父親の存在を許容していた。家族から恐れられることはあっても、1人の人間として敬愛される関係を家族と結ぶことは苦手な父親が多く、したがって家族との情緒的な関係では影の薄い存在であったことが指摘されている。(出典:母性愛神話の罠)

育児に熱心に取り組むのが父親なのか?

子どもを厳しくしつけるのが父親なのか?

この問いは、意味がないとぼくは思っています。

なぜなら、「父親とは何か?」という問いは、子どもの面倒を見れないくらい仕事が忙しい男たちが、現状を変えることができないために、自分たちに対してついている言い訳だからです。

仕事が忙しくて子どもの面倒を見れない

そもそも父親とは厳しい存在であるべきだ

という意識のすり替えが起こっているように思えるんです。

それと、父親と母親の役割を性別で固定する、性別役割分業の固定概念に縛られているかのどちらかですね。

父性も母性も存在しない、親業があるだけ

社会学者の上野千鶴子さんがいうように、母性も父性も幻であり、そこにあるのは「親業」であると。

そういうことなんだと、ぼくも思います。

ただ、そこに子どもがいて、面倒をみる。

ただ、それだけのシンプルなことなんだと思います。

「父親とは?」なんて小難しいことは考えずに、目の前の子どもの面倒を見る。

ただそれだけのことなんですよね。

でも、男性は出産するわけではないので、オキシトシンが大量に分泌されないし(育児をしないとされない)、長期の育休を取ったり、母親がいないのですべての家事育児を担ったりしないと、当事者意識を持てない。

そこが改善できれば、「親業しか存在しないんだな」ということが実感できるはず。

ぼくもそうでした。

長男次男の育児はやっている方でしたが、それでも当事者意識は抜けていたと思います。

妻がいるからいいかという甘えがありました。

でも、三男が生まれて3ヶ月の育休を取って、はじめて妻と同じ目線に立てるようになったし、はじめて心から子どものことを考えられるようになりました。

だから、「父親とはなにか?」なんて、問い自体がナンセンスで、まったく意味がないってことですね。

育児にフルコミットして、やっとその意味がわかりました。

そう考えると(母性も父性も幻であって存在しない)、性別によって役割を分業する「性別役割分業」の概念も、なんの意味もない空虚な存在だってことがわかりますよね。

そうなると、夫婦関係の改善やセックスレスの解消もしやすくなるなと感じています。

妻との関係に悩む男性の参考になれば幸いです。

それでは、また!

noteのサークル機能を使って、妻との関係に悩む男性向けにメールカウンセリングを行っています。

ご興味がある方は、ぜひお使いください。

詳しくはこちらの記事をどうぞ。

今日の日記

今日の日記
ここから先はマガジン購読者の方(と、単体記事購入者の方)が読める内容です。

プライベートの出来事や、妻との関係改善やセックスレスの解消に関してもうちょっと踏み込んだ内容など、ちょっとおおやけには書きにくいことを書いています。

よろしければ、マガジン購読をお願いいたします。

ここから先は

683字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?