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3杯のコーヒー、夫婦の浮気

「40才過ぎるとさ、ダンナに大事にされてないこと多いからさ、簡単なんだよ、関係持つのは」

雑誌LEONに出てきそうな風貌の今年55歳になるAさんは、まるで「今日は雨が降りそうだからさ、傘持ってきたんだよね」とでも言うのに、サラッとそんなことをぼくに言った。

取引先から駅へと歩きながら、なにがきっかけでそんな話になったかわからないが、彼はスタバでテイクアウトしたブラックコーヒーを片手に、既婚女性とのいくつもの不倫話をなんでもないことのようにぼくに語り出した。

彼の話は単純だった。

夫は妻に興味がない。

そこにつけ込むだけ。

あまりの単純さにめまいがしたほどだった。

「こっちから声をかけても、夫は応えてくれなかったのよ。だから他ですることにしたの」

当時の記憶を思い出し、恥ずかしさと苛立ちを感じながら、小学3年生の息子がいる先輩はそう言った。

「何回も断られたんですか?」

ぼくがそう尋ねると、手元のブラックコーヒーにミルクを入れようとした彼女は動きをとめ、(そんなわけないじゃない)とでも言うように、ぼくを見つめた。

「一回だけ」

「だけど、断られたことがすごくショックだったの」

ミルクを入れ忘れた褐色のコーヒーにスプーンを入れ、ゆっくりと回しながら、当時を思い出すように彼女は答えた。

「そのときに、旦那さんが断らなかったら、なにかが変わったと思いますか?」

ぼくがそう尋ねると、彼女はうつむいたまま当時の思いを話してくれた。

「断られたことが嫌だったわけじゃないの。疲れてるとかそういうことって誰にでもあるから。わたしが嫌だったのはあの人のその時の態度なの」

彼女が回すスプーンがカップにあたる音が、少しづつ大きくなる。

「まるで、性欲の塊みたいにわたしを扱って…。勇気を出して声をかけたわたしがまるでバカみたいじゃない」

そう言ってぼくを見上げ、遠くに視点を合わせながら、彼女は息を吐くように静かにこう言った。

わたしのことを全然大切にしてないなって、そのときすごく感じたの」

「オレのこと、バカにしてるんです。あいつ」

去年の冬、営業から情報システム部に移動した後輩は苛立ちを隠す様子もなく、ぼくにそう言った。

彼の妻は浮気が夫にバレたのだけど、いっこうに反省する様子がないという。

「浮気自体はショックだし許せないけど、だけど、それ以上に、まるでなんでもないことのように扱われるのがイヤなんです。もう終わったことのように言うんですよ」

会議室エリアにあるコーヒーサーバーから、紙コップにコーヒーが注がれる。

ゆっくりと立ち登る湯気を見つめながら、彼は苦しそうに言葉を継いだ。

オレにとっては、ぜんぜん終わってないんですよ。なのにあいつは、もう終わったことだって言って…。勝手に終わりにすんなよって感じですよ」

大変だったね、なにかできることあるかなと言ったぼくに、彼はこう答えた。

「いや、こうやって話聞いてもらえるだけでいいんです。誰にも言えないんで、こんなことは」

「おれが一番イヤだったのはあいつの態度なんです。まるでなんでもないような顔して」

なんと言ったらいいかわからなかったぼくは、大事にされないって辛いよねと彼に言葉をかけた。

「そうなんです。寂しかったんです。オレは。寂しかったんですよ」

彼は気まずそうに小声でそう呟くと、コーヒーが注がれたカップをサーバーから取り出した。

そして、ぼくから目を逸らしながら、言葉を続けた。

「まるで、オレにはなんの価値もないような気がして。怒りとか恨みとかめっちゃありますけど、それ以上に、なんというか、言いづらいんですけど、オレのこと全然大切にしてないな、こいつって。思うんですよ」

熱いコーヒーをすする彼の目は、いままで見たことがないような悲しみで満ちていた。




※この話はフィクション(実験小説)です。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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