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愛とはいったいなんなのか?夫婦関係を突き詰めることで見えてきたもの

「愛とはなにか?」

これって壮大な問いですが、ぼくは夫婦関係にとことん向き合うことで、この問いへの答えがうっすらと見えてくるんじゃないのかなって思っています。

「単なる家族」とか「同居人」とか夫婦に関する悪いイメージは多いけれど、ぼくは「夫婦関係」というものを突き詰めることで「愛」の理解に近づけるんじゃないのかなって思っています。

今日は夫婦関係を突き詰めて考えることで見えてくる「愛」について書こうと思います。

恋愛は愛ではないのでは?

「愛」について考えるとき、ぼくらはつい「恋愛」のことを考えてしまいますが、ぼくは恋愛は愛ではないんじゃないのかなって思っています。

誰かと恋に落ちた時って、ものすごく気持ちが高まりますよね。ぼくは初恋の時に、この地球がぼくの感情だけで埋め尽くされるんじゃないかって思うくらい、彼女に対する気持ちが溢れていました。

彼女に明日も会えると思うだけで胸がドキドキして眠れなくなったり、ご飯が食べられなくなったりしてました。おかげで半年で体重が8kgくらい落ちちゃいました。

誰かにドキドキしたりときめいたりする体験って、例えようがないくらい楽しいですよね。

でも、どんな楽しい恋愛もいつか終わりがきます。

誰かに恋をするとき、人はフェニルエチルアミンという神経伝達物質が分泌されるのですが、その効果は2〜3年で切れてしまうそうなんです。

恋人の関係がマンネリ化するのは、このホルモンの働きが鈍くなってきたからなんですね。恋愛ってとてつもなく楽しいけれど、単なるホルモンの作用でしかないんだなって思うんです。

そんな簡単に終わってしまうようなものが、果たして「愛」なんでしょうか?

ぼくは恋愛をしているときに「愛している」と彼女に伝えたことがありますが、どうも嘘くさいなといつも思っていました。自分で言うのもなんですが。

たぶん、(これは愛とはなにか違うな)って思ってたんだと思います。

その頃は「愛とはなにか」なんてさっぱり分からなかったけれど、恋愛=愛だと当時のぼくは思っていたんです。

ぼくは性欲と愛を同じものだと思っていたんです。

その人に恋をして、その人の身体も心も手に入れたいと願う強い気持ちが愛だと思っていたんです。

「夫婦の恋愛」が終わった先にあるもの

ぼくら夫婦も恋愛を経て結婚しましたが、かつてのような恋愛感情はお互いになくなっています。

妻のぼくに対する恋愛感情がいつなくなったか分からないですが、おそらく上の子達(双子でした)が生まれたあたりにはなくなっていたと思うんです。

ぼくの妻に対する恋愛感情は、おそらく上の子たちが2歳くらいのときにな
くなったんだと思います。

出会った頃のような想いはどこかに消えてしまい、いったいあれはどこに行ってしまったんだろうと戸惑ったことを、ぼくはよく覚えています。

初めて授かった双子を生かすことだけでぼくらは精一杯で、お互いを男女として認識する余裕なんてなかったんです。妻はぼくよりその思いが強かったと思います。

ぼくらは「双子のお世話人」として一緒に働く同僚のような関係でした。

双子が3歳になった頃に、ぼくは妻との間にかつてあった強い結びつきを手に入れたいと願うようになりました。

「愛し愛されている実感」をお互いに感じたかったんです。

それは単なる性的なコミュニケーションだけの話ではなく、心と心が通じ合っている関係を再び再構築したかったんです。

でも、出会った頃の恋愛関係ならばそんな関係は自然と作れますが、恋愛感情が消えてしまった状態では自然と作ることはできなかったんです。

ぼくは、まず妻の体と心を大切に扱おうと決めました。

自分の欲望のままに妻を求めるのではなく、妻の体と心が健康的になるためには、そして妻が幸せを感じられるようになるためにはどうすればいいかを、真剣に考え出したんです。

妻の話に耳を傾け、言語化されない部分に想像を働かせ、妻の思考を読み取り、こちらから言語化して、妻の思いを引き出すことに集中したんです。

それは、かつてぼくが呉服屋時代に仕事としておこなっていた作業に似ていました。

お客様の緊張をときほぐし、言葉にできない不安をこちらから言葉にし、分かってもらえているという安心感を感じさせる。

安心感を感じさせることができれば、お客様から信用されるようになり、たいていの話は聞いてもらえ、おかしなものを勧めない限り、購入まで結びつかせることができます。

すべては信頼関係でした。お互いを信じ合う安心感の上にすべては成り立っていたんです。

気がつけばぼくは、呉服屋時代の「信頼関係構築」の技術を夫婦関係に応用していたんです。

あれから4年が経ち、偶然3人目も生まれ、ぼくらは日々「愛し愛されている実感」を感じながら夫婦生活を送ることができています。

なぜ、それができたのか?

それは、妻との間に信頼関係を築き、妻の幸せを考え行動し、妻もぼくの幸せを考えて行動してくれ、そうする中でお互いの幸せを考えられるようになったからだと思います。

こないだの記事に書いたように、愛とは情欲の果てに手に入るものではなく、お互いを大切に思い合う感情と、お互いに支え合う行動の積み重ねが「愛」を築くんだと思うんです。

一本の彫刻刀で美しい仏像を木材から削り出していくように、地道で永遠に続く行動の先に愛があるんじゃないのかなって思うんです。

愛とは恋愛の先にある天国なんかでは決してなく、恋愛が終わった男女がお互いを大切に思い合う思考と行動の果てにたどり着く「日常」なんだと思うんです。

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