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俺たちは自分の気持ちを抑えすぎている。

ぼくの記事を読んだりポッドキャストを聴いてくれた男性から、こう言われることがよくある。

”これこそ、俺が感じていたことだ”

妻から愛されないことが怖かった。仕事や家庭のストレスを一人で抱え込み、自分へのケアなんて考えたこともなかった。自分の気持ちなんて妻は受け止めてくれないと諦めていた。怒りの下にある恐怖、恥、情けなさを妻に知られることが怖かった。

ぼくらは、ずっと、そんな素直な気持ちから目を背け続けてきた。

だけど、心の皮を一枚めくれば、柔らかで繊細で傷つきやすい感情たちがそこにはいる。

なぜ、ぼくらは素直になれないんだろう?

その理由がわかれば、夫婦はもっと分かり合えるようになるはず。

ぼくは三つの理由があると思っている。

愛の理論を知らないから

一つ目は愛の正体を知らないからだと思う。夫婦は愛し合っている個体の結合体だとぼくらは思っている。だけど、そもそも愛とはなんだろう?

イギリスの臨床心理士ミカエラ・トーマスの著書「The Lasting Connection」では、愛を三つの進化で説明している。これを知っていれば夫婦の葛藤はもっと減るはずとぼくは本気で信じている。

一つ目が欲望、これは生物として種を残したいという自然な欲求。二つ目は恋愛(ロマンス)、もっとずっと一緒にいたい!と強く感じる恋愛状態の心理。三つ目が愛着(アタッチメント)、お互いを大切に扱い合い、慈しみ合う関係性。

欲望と恋愛ではドーパミンが感情をドライブさせるけど、愛着ステージではオキシトシンというホルモンが二人の絆を強くさせる。

Beforeシリーズと呼ばれる三部作映画があり、それぞれ欲望、恋愛、愛着をうまく描いているのでおすすめです。タイトルはBefore Sunrise, Before Sunset, Before Midnight。好きすぎて遠い昔にDVDセットを買ってしまった。

セックスレスで悩んでいて、つい妻にセックス頻度の提案をしてしまう人は、愛の理論を知れば少し気持ちが落ち着くはず。そもそも、結婚して何年も経って子供がいたりすれば、「種を残すための欲望」なんて湧いてこないし、育児に家事に仕事にキャリア構築に追われている30代以降なら恋愛感情を感じている余裕なんてなくなりますよね。

そんな二人に必要なのはお互いを大切に扱い合うアタッチメントなわけで、そのために必要なホルモンはオキシトシンであり、必要な行為はパートナーに対する思いやり(≒ケア)なわけです。

この愛の理論を知っていれば、自分たちがどのステージにいて、何を感じているかも理解しやすくなるはず。

感情をシェアする習慣がないから

二つ目の理由はこれだと思う。仕事で辛いことがあっても粛々と業務遂行しなければならず、泣き言なんて言ってらんないですよね。

ただこれは業界によって変わると思っていて、ぼくが呉服屋で働いていた頃は、先輩を含め同僚たちと気持ちを伝え合うことって普通にやっていたんですよね。

こんなん辛いわーとか、やってられないわーとか、普通に話し合っていて、それに対して「こうすべき!ああすべき!しっかりしろ!」なんて言う先輩、一人もいなかったんですよね。

だけど、商社で働いていた頃はロジカルモンスターばかりで、自分の弱音なんて話そうものならボコボコに否定されて、なんなら同僚から上司に申告されて仕事から外されるなんて足の引っ張り合いがよくありました。

広告業界はその中間みたいな感じでしたが、やっぱり弱音は吐きづらい雰囲気がありましたね。

そんなわけで、感情労働にあまり縁がない男性というのは、感情シェアの習慣がつかず、自分が本当に感じている気持ちに蓋をして重しを乗せて井戸の底に放り込んでしまうんです。チャッポーン。

男性から夫婦関係の相談を受けたとき、ぼくはしつこいくらい気持ちを深掘りしていくんですが、まさに井戸の底に落ちている気持ちを引き上げる行為だなって感じることがあります。

深く暗い井戸の底に何かが落ちていて、すくいあげられるのを待っている。

本当は誰かに聞いて欲しかった。否定されずに聞いて欲しかった。カッコ悪くて女々しいと言われる感情もあるけど、自分の本心はそこにある。

ほとんどの男性は素直な気持ちを井戸に放り投げるけど、放り投げたことすら自覚していないから、自分で自分の気持ちに気がつくことができない。

もっとぼくらが呉服店員(他の感情労働者もだろうけど)みたいに素直になれたらいいのになってよく思うけど、それがお金にならないなら難しいのかもですね。

自分の弱みをさらすことは死につながるから

これは極端に思えるかもしれないけど、ぼくは妻に素直な気持ちを話そうとするとものすっごく怖くなるんです。日本刀で首をはねられるような恐怖感に近いかも。

妻が怖いって話じゃなくて、自分の弱みをさらすことに本能的な恐怖感を感じるんです。太古の人類にとって弱みをさらすことは死に直結したわけで(草むらで背中を見せたらライオンに食べられちゃう)、生き抜くためにぼくらは「弱さを見せる」ことに本能的な恐怖心を抱くよう進化してきたんだと思う。

もうぼくらはサバンナで暮らしているわけじゃないけど、会社の中でも弱みを見せると付け込まれたり、責任をなすりつけられたりするわけで、強がらなければいけないシーンもありますよね。

ぼくも大事なミーティングではなめられないように堂々とした姿を演じたり、同僚に弱みを握られないよう言葉選びに慎重になったりもします。あえて弱音を共有することで信頼感が生まれることもあるけど、デメリットの方が多いなって感じます。

こういうことって、有害な男性らしさで片付けられることが多いけど、状況によっては悪いことじゃないとは思うんです。グチばかり言っていたら課題解決はできないし、強く主張することで実績を上げることができるのも確かなので。

だけど、それが有効なのは論理的アプローチが必要とされる場面だけであって、夫婦間においては違うんですよね。

カッコ悪いなー、女々しいなーって思うような気持ちであっても、それをちゃんと自分で受け止められて、カッコ悪い自分を妻にさらけ出せる人の方が夫婦関係を改善しやすいし、ぼくはそっちの方がむしろカッコいいと思うんですよね。

ダサい自分を認めた上で、どうなりたいかを描き、実行していく。情緒と論理を共存させることは不可能じゃないし、それができる男はカッコいいなと思っています。仕事においても。ぼくもそうありたいですね。

この話はポッドキャスト「アツの夫婦関係学ラジオ」でもお話ししています。通勤や家事のおともにぜひ。

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