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自分が素直になれる言語、茨城弁での呉服販売

新卒で呉服屋に就職し、岐阜県の小さな呉服屋で働いていた頃、ぼくはなかなか茨城弁いばらきべんが抜けませんでした。

茨城県は北部と南部に分かれており、北へ行けば行くほど東北に近づくので訛りも激しくなっていきます。

南へ行けば行くほど東京に近づくので、訛りはなくなっていくんです。

ぼくは北と南の狭間の町で育ったのですが、家族も親戚もみんな訛っていたので、ぼくも自然と茨城弁を使うようになったんですね。

岐阜の呉服屋で話すぼくの茨城弁(彼らにとっては東北弁にしか聞こえない)は、同僚やお客さんにとっては珍しかったようで、「あんた、どこからきたの?(一体どんな田舎からきたわけ?)」とよく聞かれてたんです。

彼らには、ぼくがとんでもない田舎からきた若者に見えていたんだと思います。見た目は普通の20代前半の若者なのに、話す言葉はテレビでしか聞いたことのない「田舎の言葉」を話していましたから。

「俺ら東京さ行ぐだ」を歌っている吉幾三みたいな感じですね。彼は青森県出身でぼくは茨城県出身ですが、東北と北関東以外の土地の方には同じに聞こえるんですよね。

岐阜県でこんな言葉を使う20代の男の子はいないので、かなり珍しがられたんです。

ちょっとバカにされているような感覚もあったんですが、「それええやん!」と関西出身の先輩たちが言ってくれて、「着物販売の武器にしいや」ということで、ぼくはその呉服屋で唯一の”茨城弁の販売員”になったんです。

そして、これが結果的にいい方向につながったんです。

店先やお客さまの家で、ぼくが茨城弁(ほとんど東北弁です。いわゆるズーズー弁ってやつです)を話し出すと、みんな動きが止まるんですよね。

(え?この子、なに言ってるの?)みたいな感じで、外国人を見るような目でよく見られるんです。

パリッとしたスーツを着た21歳の男の子の中身が「吉幾三」だったら、そりゃびっくりしますよね。そのギャップに驚いていたんだと思います。

「あなた、どこから来たの?」と言ってもらえ、会話のきっかけになるので、初対面のお客さまとのアイスブレイクに茨城弁はかなり役立ったんですね。

それと、朴訥ぼくとつとした雰囲気が緊張感をぬぐってくれるようで、ぼくが茨城弁で話し出すと、相手のガードがみるみる下がっていくんです。

(あぁ、この子は嘘をつかなそうだな)

そんな風に思ってくれていたんだと思うんですね。

吉幾三みたいな若者はその土地では珍しいし、吉幾三みたいな呉服販売員もいないので、かなりのレアキャラであるという物珍しさと、田舎くさい言葉が与える安心感が、”嘘をつかない20代の吉幾三”という謎のブランディングを醸し出していたんだと思います。

ぼく自身はなにも変わっていないのに、岐阜県という土地呉服販売員という職業茨城弁を話す20代の男の子という三つのファクターがかけ合わさったことで、ぼくはなにもしていないのに唯一無二の存在になれたんです。

とはいえ、それだけで呉服が飛ぶように売れるわけじゃないですが、もっとも大変な「初対面の人の緊張をほぐす」ということに関しては、絶大な効果を発揮したんです。

同期の中には無理やり関西弁を話そうとする関東人もいたんですが、やっぱり無理が出ちゃうんですよね。嘘っぽいんです。うさんくさくなるんですよね。

うさんくさい呉服販売員って詐欺師にしか見えないので、それって致命的なんです。高額商材を販売する人間が詐欺師に見えるのって、完全にアウトですよね。

茨城弁を話しながら呉服販売を続けるなかで、ぼくは自分自身のある変化に気がついたんです。

それは、ぼくが「本音を出しやすくなる」ということです。

普段から茨城弁を話すぼくにとって、標準語を話すというのは外国語を話すことに似ているんです。

イントネーションや語尾を意識しながら会話をしなければいけないので、とても疲れるんですね。

疲れてくると、つい訛ってきちゃって「◯◯だっぺよ〜」とか「ごじゃっぺいってんでねぇよ〜」とか言いたくなってきちゃうんです。

茨城弁の方が思っていることが口からスルスルと出てくるんですよね。なんの抵抗もなく、思っていることが自然と口から出てくるんです。

その方がぼくにとっては心地よくて、標準語を話そうとすると、(ちゃんと話そう)という意識が働いて、本音を出しづらくなるんです。

呉服販売時のぼくの茨城弁は、その言葉だけでお客さまの心理的抵抗を取り払うことに効果的だったけど、ぼく自身が素直な本音を出せていたので、二重に信頼感を与えることができていたんだと思うんです。

この子は嘘をつかなそうだな。誠実そうだな。信頼できそうだな。

と、思ってもらえていたんだと思います。

なんのスキルもない若造にとって、誠実さというのはそれだけで大きな武器になったんです。

茨城弁を使うことによって、ぼく自身もリラックスすることができて、自然と本音を言えるようになり、そして”弱音も自然と出せる”ようになったんです。

自分の弱いところを普段からさらけ出していたからこそ、お客さまからも信用されるようになったのかもしれません。

ただ、都会に出てからはこの”茨城弁”が裏目に出たんです。

呉服屋が倒産し、東京に出てきたぼくは標準語で仕事をするようになりました。

転職先は男だらけの商社だったので、”弱さを出す”ことが”負け”につながったんです。ちょっとでも訛っていると簡単に舐められるようになり、商談でも不利になることが増えていきました。

それから10年以上が経ち、今のぼくは時と場合によって言葉を使い分けています。

信頼できそうな相手にはゆったりとした茨城弁を使い、こちらがリードしなければいけない仕事の場面では標準語で理路整然と話をする。

でも、仕事ではやっぱりほとんど標準語を使っています。その方が仕事においてはいい印象を相手に与えることが多いので。慣れてはきましたが、生まれ持った言葉ではないので疲れるときもあるんですよね。

仕事での疲れの原因は、自分の言語(茨城弁)を使えないこともあるのかもしれないですね。

時々、岐阜県の山間の町で、なにも気にせず茨城弁で仕事をしていたあの頃が懐かしくなることがあるんです。

若かったからこそ許された武器だったのかもしれませんが、やっぱり自分の言語で話をすることは落ち着くし、ゆったりとした茨城県のカルチャーから生まれた言葉は、その言葉を話すだけでもリラックスする効果があったんだと思うんです。

やっぱり、標準語はぼくにとっては緊張感のある言葉なんですよね。

家に帰り、妻と話すときのぼくはマイルドな茨城弁を使っています。妻とお酒を飲むときはハードな茨城弁になります。

子どもを寝かしつけたあと、グラスに注がれたビールをふたりで飲みながら、自分の言語で妻と会話をするとき、きっとぼくは、ぼくが思っている以上に素直になれているんだと思うんです。

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