沖縄県民投票をめぐる若者の声を聴いて、20代の若者が思ったこと
2019年2月24日に行われた沖縄県民投票。その前後での若者の声を取材した「荻上チキ Session-22」(2019年2月26日放送分)を聴いた。
番組では、「辺野古」県民投票の会の代表で、署名活動やハンガーストライキなどで話題となった、元山仁士郎さんをはじめ、20~30代の若者の声が数人紹介された。賛成・反対の両側からの意見を知ることができたし、「現場のリアル」とも言うべき意見を(一部だとは思うが)知ることができた。
その中でも、私が特に注目したのは、とあるレコード屋で取材を受けていた一般の方の声だった。
24歳の社会人女性は「反対」票を投じるつもりだと語った。だが、その上で次のように述べていた。
みんな、考えてることは多分一緒なんですよ。ただ、それぞれやり方が違うだけで。だから、最近、あの、「絶対、反対に〇つけてください」っていうチラシとかよく配られてるんですけど、あれは正直ウザいなって思うんですよ。私も、そりゃ反対の意見なんですけど、あの強制的なやり方は、違うんじゃないの。
政府の強硬的なやり方には、やや諦めたような雰囲気を漂わせながらも、次のように述べていた。
あれは、なんか、自分の多分地域に基地がないから、まぁ言えることだと思うし、私も、自宅の近くに基地あるんですよ、てか隣、壁こえて隣は基地なんですよ。で、空軍ではないんですけど、自宅の上が、ちょうど戦闘機が飛ぶ経路になってて、まじでうるさくて...(中略)その環境にいないから多分そういうこともいえると思うし、だって、ね、県外に押しつければ自分たちはなんもないじゃないですか。だからなんか、なんも知らないんだなぁって思います。
「賛成」の意見を持っている20歳の専門学生は、自分の将来や身の回りの文化のことを考えながら、賛成を投じたいと語った。だが、その上で、
ただ自分個人の意見で賛成なだけであって、反対派の意見も全然分かりますね。そういう事故だったりレイプだったり、そういう基地があるからっていう理由が大きい事件・事故とかそういうオスプレイだったり、そういうのはあると思うんですけど。まぁ、理解はしています。そういう反対の人の声も。理解っていうか、賛成はしています。わかります。
と語っていた。
反対の若者は「賛成意見を封じる」ことに違和感を感じ、また賛成の若者は反対意見に対しても一定の理解を示している様子がうかがえる。
沖縄の「民意」という言葉や、「賛成」「反対」という言葉では表しきれない、複雑で多様な想いがそこにはある。そんなことを感じた。
辺野古への新基地の建設に反対する「オール沖縄会議」という団体名を聞くたびに、私は少なからず違和感を感じてきた。一方で、Twitterでときどき辺野古賛成派が「これが沖縄の真の民意なんだ!」「本当に反対しているのは県外の人ばかりで実は県民は賛成しているんだ!」とツイートしてそれが大量拡散されている様子を見ても、やはり違和感を感じてきた。
どちらも、一部の「民意」であるが、それを「総意」であるかのように語ってしまうから、分断が生まれ、対立が強まるのではないだろうか。そして、沖縄県民の「真の民意」はそんなに単純な「賛成」「反対」といった構図で捉えきれるものではないはずだ。
もっと言えば、多数派も少数派も互いの意見を尊重し合うのが民主主義のあるべき姿であるはずだ。そういった観点からも、今のところ、私は両陣営のどちらも応援する気にはなれない。
そして、これは沖縄県だけの問題ではない。国政をめぐっても同じようなことが起こっている。安倍政権に都合の悪い発言や行動をとると、すぐに「反日」「在日」「パヨク」認定する人がTwitter上で多いことには呆れるが、自分が似たような行動をとる側にまわらないように常に注意することも必要だろう(実際、反政権の立場でもかなり攻撃的な言論をする方を何人も見ている)。
今年の夏には、参議院の選挙が予定されている。当たり前のことだが、「安倍政権」「現与党」を支持するのも支持しないのも「日本国民」である。仲間であるはずだ。
このような前提のもとで、一人の有権者として、与野党それぞれの問題点も大切だが、それ以上にお互いの良い点を見ながら投票できる選挙戦になることを期待したい。
そして、冒頭に紹介したラジオでも述べられていたが、この県民投票は終わりではなく「始まり」なのである。これからも一国民として沖縄の基地問題をめぐる動向を注視していく。
最後までお読みいただいた方、雑文にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
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