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【宝石商シリーズ7〜10巻】世界の美しさを諦めない眼差し/あなたの隣に在ること

11巻「輝きかけら」の発売おめでとうございます!
これまでふせったーを使って巻ごとにまとめてきた7巻から10巻までの感想を1つの記事としてまとめたいと思います。

1〜4巻は巻ごと、5・6巻は要素ごとにまとめて感想を書いていたのですが、今回は巻ごとに書いてみました。
とはいえ、第二部、これまでもそうでしたが共通して繰り返される価値観がいくつかあって、以下の要素を中心にピックアップすることになりました。

・自分があるべきところ、自分が生きていく世界
・美しさを見出すことを諦めないこと
・正義とヴィンスの対比
・幸せの願い方、優しさのあり方
・美しさと悲しさ

ちょっと色々重複しているのですが(正義とヴィンスの話=優しさのあり方の話だったり…)、まあそれは置いておいて……。
そして最後の「美しさと悲しさ」のところだけ、特に7巻から10巻までを通して繰り返し出てくると感じたので別章として立てています。

先に書いておくと、私が一番好きなシーンは8巻のパノラマ撮影するところで、一番好きなセリフは「私が私でいることで、ひょっとしたら救われる人もいるのかもしれない」と「正義、わかっていますか。あなたは私の一部だ。私があなたの一部であるように」です。
そんな部分に惹かれている人間が書く感想ということで、どうぞよろしくお願いいたします!

ちなみに1〜4巻、5・6巻と分けて書いてきた感想はこちらからどうぞ。

目次は以下の通りです。

7巻 紅宝石の女王と裏切りの海 〜あなたに会えて、とても嬉しい〜

さて、まず7巻から。
世界が広がり、正義からはこれまで見えていなかったリチャードの人間関係にまた巻き込まれる一方、さらに遠慮がなくなっている2人の関係性が楽しかったです。

まず冒頭、「現在進行形でエトランジェ」(p.20)の正義から。
誰かの役に立っているのかという虚しさが1番の悩みだと感じるのは、正義であれば深く納得できること。誰かの役に立っているのか、というのは「何のために今ここにいるのか」という疑問でもあって、つまり自分の存在意義とは……という疑念ですね。
そうしてエネルギーと時間を持て余してやるせなくなりつつあるところ、リチャードを頼れない正義、という序盤だったのに、クルーズに乗り込んだところで連絡をしなかったことを叱りまくるリチャードに声を出して笑ってしまいました。
そして「あなたに会えて、とても嬉しい」(p.57)は読み返す度に息を呑んでしまう甘い美しさ……見たことないんですけど……。

第二部は全体的にお互いを想う気持ちにどんどん歯止めが利かなくなっていくのが楽しく愛おしかったのですが、不本意で理不尽な状況の中、時に過激?にお互いを懸命に必死に想う2人を見守り続けながら読みきった気分でした。 

読み返してそっか、と思ったのですが、7巻冒頭時点の二人の関係性の説明(正義視点)は「数年前に遺産相続がらみでひと悶着あり、その一件のおかげで、彼と俺の関係はただの『バイトと上司』から一歩前進した気がする」というものです(p.27)。
先に言ってしまいますが、これが「友人関係」「好きな人」、それに加えて「専属秘書」と、そう進んでいくわけですね。

そして第二部のキーパーソンの一人、ヴィンスの登場!
宝石商シリーズ、優しくないふりをして優しさをどうにも捨てられない、あるいは優しさをそのまま優しさとして差し出せない二人目……という印象でした(もう一人はジェフです)。
彼がリチャードに縁があったと分かった最後の場面、7巻時点で彼が正義に告げるのは概ね「忠告」でした。

「あの人間を嫌いになるのって、ものすごく難しいと思いますが、そのほうが将来的にあなたのためになります。好きになるよりは、嫌ったほうが安全な人間です」(p.244)

ヴィンスが忠告するのはリチャードのため、そして正義のため、でした。
10巻まで読むとここに「ヴィンス自身のため」というのが加わってもいいなと思うのですが、宝石商を読んでいると、優しさを自分自身のために発揮せずにいられない、優しくある方が自分のためにある、という「自分のための/誰かに対する優しさ」が時々描かれます。
エゴだとも言えるけど、私は「自分のため」という要素が強く描かれた場面だとしても、やっぱり優しい人だな、という印象を受けることが多く……。
なんか結局、そういう「自分のため」の優しさって、見返りを求めていないからかもしれません。ただ自分が自分であるために優しさを発揮せずにいられないのだから、優しくすること自体がリターンになっている、と言ってもいいのかも。
優しさを発揮することで在りたい自分を目指せるのであれば、それって優しさがアイデンティティみたいで、だからやっぱり「優しい人」って思うのかもしれないです。

それからもう1点、7巻を読み返していて気付いたことは、冒頭の正義が「俺、今……本当に誰かの役に立っているのか……?」と虚しさを抱えているのに対して(p.22)、最後のヴィンスの忠告の中で同じような「役に立てない」虚しさが描かれているということです。

「私は別にここにいる必要がないのだと、あれほど強く思い知ったのは初めてでした。これは個人的な体験に基づく助言ですが、自分自身の中で巨大な存在感を主張している誰かに対して、自分がほとんど何の益にもなっていないと気づく瞬間ほど、心がいたむことはありませんよ。(以下略)」(p.249)

もちろん、正義の焦燥感は「誰かの」役に立っているのか、というもので、ヴィンスの「宇宙に放り出されたような気分」は「自分自身の中で巨大な存在感を主張して」いたリチャードに必要とされていなかった、という違いはありますが、必要とされないこと、自分の存在意義が分からなくなって痛烈な虚無感をおぼえるという点は共通しています。
また先の巻から引用しますが、デボラさんが自分やリチャードを「利他の精神のほうに衝き動かされがちな人間」と言っていて(10巻 p.217)、それに通ずる部分が正義とヴィンスは似ていると思うのです。ただその優しさや助け方が違うだけで。
リチャードとの関係性を巡る2人のやり取りは第二部を通して続いているので、また各巻の中で触れようと思います。

7巻は第二部の導入という感もあり、新たな登場人物や新しい側面が多く出てきた巻でしたが、その中でも「変わらない」色々な要素が嬉しく、変わりゆく正義とリチャードが楽しい、そんな一冊でした。 

8巻 夏の庭と黄金の愛 〜違う方法で世界を眺めてくれる友人関係〜

続いて8巻!
第二部の7〜10巻のうち、個人的にはこの8巻が一番好きかもしれないです。 一番好きな場面があるので!
カトリーヌさんが楽しすぎたし、語学欲も刺激された1冊でした。

下村晴良くんがいよいよ安定して登場するようになって何となく嬉しいです。
私自身が就活前に休学した身なので何となくシンパシーが湧きます。まあ私はモラトリアム1年延長、の期間だったし、海外に行ったのも英語圏に半年だったのでスケールが全然違うけど……。
最後、万葉集の引用がなされたあとに「日本人であっても、イェイツやキーツの詩を口ずさむ人は珍しくないでしょう」(p.314)と言っていましたが、休学中に半年滞在したのがイェイツの国(アイルランド)で、その国の文学を専攻している教授に卒論でお世話になったので(テーマにしたのはリチャードの国の作家作品でしたが)、縁がある言葉が出てくるのは本当に嬉しい。

下村くんの言葉では以下が印象的でした。

「アイデンティティの内圧の源、ってことかなあ。俺は一体何人なんだって気持ちも、うまく日本語で言えなくなると、自分の存在の枠がガタガタになる感じがして途方に暮れるんだ。でもそういう時に、お前と一緒に馬鹿やってる写真があったら、絶対笑いたくなるだろ。だから写真が欲しかった」(p.69)

第二部では言語や言葉に関する考え方もたくさん出てきますね。
私個人の考えとして「言葉は思考の道具」ではなく「言葉は思考の道筋」で、自分の中にある言葉の上でしか思考は進められない、自分の操れる言葉の範囲が自分の思考のフィールドの範囲だと思っているので、この言葉は強く印象に残りました。
そしてその中で写真っていう非言語のものが拠り所になるから、というのも説得力がある。
一部のバレエの場面でも言葉にできない美しさが触れられていましたが、宝石商では説得力を持って心に刻み込みこまれるような言葉と、視覚などの感覚に訴える言葉にならないものと、認識の種類の異なる力・強さが描かれていて、バランスが好きだなあと思います。

8巻では、作品を通してずっと描かれてきた「あらゆる偏見を持たない」という項目が、偏見を「向けられる」側の問題としてここで出てくるのも印象深かったです。
そのことにどれだけリチャードが憤るのかということも。
第二部は世界のあちこちを巡ることになりますが、特に8、9巻は立ち位置が変わることで見られ方が変わること/立ち位置が変わっても変わらないことの描き方が印象的でした。
下働きだと思われていたこの場面は前者ですね。
世界を回る中で、決して均質ではない世界とその場その場でどう向き合うか、ということの難しさも描かれていたように思います。

そして「立ち位置」の変わり方で言うと、正義が「どこにいるか」という問題に対面している一方で、リチャードは「誰といるか」という問題に対面しています。正義といるときの自分、カトリーヌさんといるときの自分……。

読み返してて初読ではさらっと流していたことに愕然とした場面が、二人の間で再開したときは「あなたに会えて嬉しい」と交わすことがお約束になっていること、それを返されずにリチャードが拗ねる場面でした。

「俺もすごく嬉しいよ。言うまでもなさすぎて、言ってなかっただけだ。今日も世界一きれいだな」(p.94)

「それだけ聞くと、リチャードはふっと微笑み」ということなので、その微笑みはきっといつものリチャードだったんだろうなと思いますが。でもこのあと、スーパーに車で出かける正義とカトリーヌさんの場面で「まったくもう、あの子は幾つになっても子どもで困っちゃうわ」と言われていたので苦笑してしまいます(p.94)。
家族といる自分と、その人といれば在りたい自分でいられるっていう人といる自分、私だったら全然違くて、家族といるときはあまり本意に振る舞えなかったりするので、この二者を行き来させられるのは大変で少し不本意だろうなあ。

業者に対してリチャードが怒った場面について言及しましたが、ブチ切れるシーンはその件関連で対カトリーヌさんでも見られて、二人の関係を「お友達には見えない」「王さまとしもべ」「料理人やドライバー」と言われて「竜の逆鱗レベル」でキレたリチャードを、今度は正義が止めに入ります。
業者に間違えられたときには正義は「誰の問題なんだ」(p.156)と戸惑っていましたが、確かにこちらでは自分事として割り込める。
そして冷静に穏やかに修正する正義と、憤怒と歓喜を猛スピードで行き来して冷静さを失うリチャード。笑
「あなたが欲しいのは、あなたの美しさに見とれながら、頷いて賞賛してくれるサンチョ・パンサなのよ」(p.169)という言葉は、この帰宅前にリチャードが正義に告げた、以下の場面の言葉とちょうど対比になりますね。

「私があなたに求めているのは、私と同じ高さに立って、私とは違う方法で世界を眺めてくれる友人関係です」(p.163)

そう! 8巻で一番好きだったのは、冒頭で書いた通り、オリーブ畑沿いの道を、リチャードは自転車を押しながら二人で歩き、そこでこの台詞を告げる場面でした!

文庫でちょうどこの行でこのページが終わっているの、偶然でしょうけど絶妙すぎませんか?
「友人」! と思った次のページで私よりも正義が茫然としていて(当然だけど)、やっぱそりゃそうだよね! となったものです。
そのあと挙動不審になる二人の愛おしさったらないですね。

少し場面が飛びますが、カトリーヌさんが「永遠にあの子を『美しい』と言って」と約束を求めたシーンで、正義は以下のように考えています。

 冷静に考える。
 俺がリチャードに、美しいと言う時のことを。
(中略)今日もきれいだなと思うし、明日もきれいだろうと当たり前に思っている。それがどういう状態なのか具体的にイメージしているわけではない。だがあいつが傍にいる時に感じさせてくれる、世界ってこんなにいいものだったのかという感覚が、俺の思う『美しい』だ。音楽や絵画や宝石に、思いがけず触れた時に感じるような。(p.301)

つまり、正義はあれだけの言葉でリチャード自身を美しいと形容していながらも、彼の思う『美しい』は、 リチャードといるときに感じることができる世界の美しさというわけです。
そのときに見ていた世界、物理的な景色を残そうとしてパノラマ撮影をしていたのも、だから頷けるというか、何となくそういう気持ちは自分も分かるなと思いました。

そのソリティアの前の晩、ゲームが終わり明日には帰ろうという二人の会話の中でも、正義はその美しさに触れています。

 エトランジェ。
 異邦人。
 そこにいなくてもいい人。
 自分自身をそういうふうに感じ、どう行動すべきかと考える時、俺の頭の中に北極星のように輝くのはリチャードの姿だ。必要はないだろうしできるとも思わない。でもレールのない道を歩き始めた今、その圧倒的な美しさに何度も救われている。
 俺もいつかそんなふうになれるだろうか。(p.292)

「北極星」「レールのない道」という言葉から、その美しさが道標のようになっていることが窺えます。
この世界には美しいものがあると知っている。レールのない道を進んでも、きっとまた美しいものに出会えるだろう。
だからこの世界で生きていける、そう思えること。
第二部は「あるべき場所」というのがテーマのひとつだと思っていますが、こんな感覚を抱いている時点で、正義の「あるべき場所」はもうリチャードと言って差し支えないですね。

さて、それに連なってカトリーヌさんの言う美しさにまつわる言葉も引用しておきます。
1つ目は彼女が正義に上の約束を迫る前に言ったこと。
美しさには大きく分けて二つ意味があると。

一つは関心や好意を得ようとしたり、美術品を評価したりする、口当たりのよい甘いお菓子のような『美しい』。
もう一つは自分の大切な相手を気遣おうとする、客観的な美の真贋とは無関係な衷心から出てくる『美しい』。
(p.297−298 要約)

印象深いのは、彼女の「美しい」には、ただ外見の美の真贋を問う言葉としての意味が含まれていないことです。次の台詞を踏まえるとそれも納得できるような気がします。

「結局のところ、顔ってそんなに大切なものじゃないのよ。その人が何を考えて、どういう行動をしているのかに比べれば。ふふ、私の好きな言葉よ」(p.145)

こうして言葉を並べてみると、カトリーヌさんの言う「美しい」は、まるで「愛している」みたいですね。
美しさの意味の二つも、愛のあり方の二つとして捉えても違和感がない気がします。
「永遠にあの子を『美しい』と言って」という息子を思う言葉としては独特すぎる、だけどこんな言葉が本音ではないはずがないと思わされるような言葉も、「美しい」を「愛している」に置き換えれば、「永遠にあの子に愛していると言って」となります。
その愛を取り上げることを決してしないで、と。
先ほどの正義がリチャードに対して言う「美しい」はリチャードに向き合っているというよりは一緒に世界に向き合っているイメージになりますが、カトリーヌさんにとっての「美しさ」は相手に向き合っているイメージを抱きます。
定義が違うだけなのでどちらがいいとかは特に考えてないですが、サンテクジュペリの言葉を思い出します(愛とは見つめることではなく同じ方向を見ること、っていう)。

そしてまた助ける役としてヴィンスの登場。
かつてリチャードのそばにいた・現在進行形でそばにいる二人の噛み合わなさ。
「自分の人生を浪費して、他人の人生を翻弄するのって、楽しいですか。俺は楽しくないです!」とぶつける正義はやっぱりまっすぐで、「気は晴れるかな」と零したヴィンスの、何か取り返しのないようなやるせなさ(p.205)。
あんたそんなんじゃ幸せになれないでしょうとお互い怒っているような感じもして、もどかしさがありました。
最後、助けられた正義は「もっとあなたと話がしたい。あなたが何を考えているのか知りたいんです」と伝え、リチャードに悪態をつきながら不健康を叱るヴィンスに自分を重ねます(p.241)。
その「話」は9巻の方で描かれますが、正義とヴィンスがお互いを見過ごせないのは、(リチャードのそばにいたという共通点だけでなく)お互いに似通っている部分があるからこそなのではと感じて、ヴィンスから正義に対する感情は同族嫌悪のようなものが含まれているんじゃないかなとも思います。
だけどその見過ごせなさは、正義からリチャード、そしてヴィンスからリチャードに向けられているものとも似ている気がして、もう、本当にみんな似た優しさを抱えていてもどかしいですね。

佳境のパーティーは美しかったし、でもそのあとのソリティアをしながらの会話はどこか鋭さがあって、8巻はこういう、全体的に穏やかで時間がゆっくり流れているような雰囲気と、真に迫ってくるようなラディカルなシーンとが行き来していた印象です。8巻に限らないかもしれませんが。
あとvから始まるものがviolinだったの、初読で完全にvin(フランス語でワイン)かなと思ってたので勝手に恥ずかしかったです。笑

ところで日本語ではカトリーヌさんはリチャードのことを「あの子」と言っていますが、恐らく英語で話されているこの会話、カトリーヌさんはどんな代名詞でリチャードを呼ぶんでしょうね。英語だとただhimになりがちなところ。 言語が増えるにつれてそのあたりも気になってきて、そうして思いを馳せていると語学欲が高まってソワソワします。

とにかく最後にママンと呼べてよかった!
リチャードが顔に負い目を感じているのを知っています、と告げたこと、彼女の好きな言葉を知っていたこと、もう本当に、9年間会っていなかったという二人が前に進めてよかった。

何だかんだ似たもの親子である二人と正義、三人の組み合わせが楽しすぎてずっと見ていたかったなあ。リチャードはすごくいやそうな顔をしそうだけど。
ブイヤベース作ったところの場面が大好きです。
あとひろみ継続で、も好きでした。たまーにお母さんと呼ぶの、成功するといいなあ。

9巻 邂逅の珊瑚 〜私が私でいることで、救われる人がいるのかもしれない〜

さて、折り返して9巻!
正義が移動しまくって、色んな人と会いまくった1冊、という印象です。
友達になったんだな、と実感させられるような、ますます対等になっていく二人がやっぱり楽しかったです。

冒頭、デボラについて。第二部はプロローグがリチャードのこれまでが時系列で繋げられていますね。
印象的なのは「全てのものは、あるべきところへ還ってゆく」、そして「ここではないどこかで何かが私を救ってくれるのを待っていた」(p.7)という言葉。 
自分のホームと言える場所がもうどこか分からない、しかし自らホームと呼べる場所を築いていくことはできない、そんな切実な所在なさが窺えます。

そして本文は正義が「ホーム」である日本に帰国してゼミのメンバーとの飲み会に参加する場面から。
ここの場面のキツさ、胸に来ました。こんな風にあからさまにアウェーにされた経験はないですが、休学して海外に滞在したりゲストハウスで働いたりしてたんだ、と言ったときの「自分とは違う人間」にされてしまう感じ、勝手に高いところに置かれる感じを少し思い出してしまいました。
時折言われたのが「世界が違うわ〜」とかそういう言葉で、それってもう、言葉通りというか、完全にエトランジェ扱いなんですよね。
7巻に比べて圧倒的に即座にリチャードに電話した正義の行動は、それだけ困惑していたことにもなりますが、グッフォーユー、と言われるべきでしょう。

リチャードの言葉は流石の説得力がありますね。
この場面は全ての言葉や考え方が好きで引用する範囲を決められないのでいっそ引用はしませんが、ここは何度読み返しても、エトランジェ、と言い聞かせるように告げたその声が優しすぎて胸に来ます。(聞いたことはないんですけど……)

作品の場面は続いてヴィンスへの訪問、マリアンさんとの邂逅に移ります。ようやくヴィンスが現在のヴィンスに変わっていった経緯が分かってくる章。
ここで印象的だったのは「どこか遠くへ行きたい」という言葉で、これって冒頭の「ここではないどこか」に救いを求めていたリチャードと、内訳は違うにしても少し重なります。それを裏付けるように、これは正義の言葉ですが、「みんなここではないどこかを目指している」という言葉が出てくる(p.73−74)。

それにしても「生きている世界が違った」から結婚なんて思いもよらなかったと伝えたマリアンさんの最後の長い伝言、あまりにヴィンスに寄り添った、彼のためだけの「愛している」で、本当に素敵だったなあ。
彼女自身も文字通り「エトランジェ」だったマリアンさんが、彼女にとって「エトランジェ」だったヴィンスのそばを「あなたがいるところなら」と自分の『あるべき場所』だと信じ、私があなたの『あるべき場所』になるから、と訴えかける言葉、本当に何というか、尊かったです……。

そんなマリアンさんとの切実でも暖かさのある時間のあとに、家柄の経緯的にも「あるべきところ」が定まっていなかったようなヴィンスの過去を示されるのがまたギャップで辛かった……。
淡々と話されたヴィンスとリチャードとの関係性も、正義と少しでも似た立場だったからこその対比が分かりやすくて、分かりやすくてキツいというか。

「私の知っているあいつは、あなたの知っているリチャードほど、いいやつじゃなかった。いつも微笑んでいて、美しくて、完璧で、弱みなんか見せなかった。人間じゃないみたいだった」(p.119)

この「人間じゃないみたいだった」で思い出したのが、正義が6巻でリチャードのことを「天使」や「魔法使い」みたいなやつ、と言っていたことでした。

正義がリチャードを同じ人間じゃないと感じていたのは、この時期の正義の自己評価があまりに低かったっていう相対的な問題もありますし、アクアマリンのエピソードで谷本さんのことを天使みたいだと言ったときに正義は「誰にでも必要な」「心の底からいつも『好きだ』って気持ちが湧き出てくるような」(3巻 p.236)と形容していて、同じようなところにリチャードもいるとのことなのでだいぶニュアンスは違いますが。

と、話が逸れるのでそれは置いておいて、正義がヴィンスの言葉に真っ向否定できるのは、リチャードがずっと対等な友人関係を築きたいと思いながら接してきたことの成果でもあると思います。
リチャードが誰かと対等な関係を築くことが難しかったことが後で本人の口から語られますが、「人間じゃないみたいだった」と過去形で語ったヴィンスが今後リチャードとどういう関係を築くことになるのか。正義といるリチャードに対してどんな風に思っているのか。
まだ答えは出てませんよ、と訴える正義の気持ちのもどかしさが伝わってくるのも切なかったなあ。

そして9巻は本当に色んなひとに会う巻で、ここでモニカとの出会い! 本来の明るいモニカが彼女自身に馴染んでいること、本当に幸せだなあ〜
そしてお人好しが「リチャードよりひどいかも」と、リチャードを優しい人間だと知っている人がいることの安心感。

そのあとシャウルさんと話す機会を持ち、リチャードとヴィンスの過去、そしてシャウルさん自身の過去の話を知る。
「……どこにいても、生きるのってけっこう、難しいんですね」という言葉が印象的でした(p.151)。
そして「怒ることで生きることができる」の話も。
続いてなされた「美」を信仰するという話については、この作品全体で貫かれている価値観なんじゃないかなと思わされる考え方がたくさん出てきました。

世界の美しさを、自分の方法で見出し続けること。(p.172)

こういう堅実で努力を要する前向きさが大好きだなと思います。

ところで美への信仰は、リチャードを信仰することも同一視されてしまうのか、と少し考えたんですが、私の解釈としては正義はリチャード自身を信仰しているのではなく、彼ら二人は同じように美を信仰している者同士、という認識です。

 どこにいても、生きるのはけっこう難しい。
 でも難しいからといって捨てたものじゃないと、美しいものが静かに支えてくれるから。(p.173)

リチャードはその「静かに支えてくれる」「美しいもの」でもあるのでしょうが、リチャードだって、正義のことをきっとそう思っているでしょうし、お互いがその「美しいもの」を見出すために必要な友人なので、同じ眼差しを持っている者同士と捉える方がいいなと思います。

つまり、「捨てられないもの」が同じであること。
同じ世界に生きて隣で同じ世界を眺め、その世界の美しさを諦めないこと。そういう、世界へ向ける眼差しを共有すること。
あなたと出逢えたおかげで、あなたがいるおかげで、この世界も諦めたものではないと思えること。
その「捨てられないもの」「諦められないもの」を持ち続けるために、お互いそばにありたい、という関係性だと捉えています。

さて、エトランジェを「宝石の城」と正義は形容して、桃源郷とも言いましたが、シャウルさんの「隠遁生活」という言葉と合わせて、リチャードが彼自身を守るために、彼が生きるために必要な場所だった、という印象を持たされます。
でも、ここで6巻の谷本さんがエトランジェを訪問したときのことを思い出したいです。
「ここは自分のことを『エトランジェ』だと思っている人たちに、とっても優しくしてくれるお店なんですね」(p.166)と言われて虚をつかれたような表情を一瞬だけ見せたリチャードは、自分を守るための場所として作り上げたエトランジェがそんな風に(しかも初対面の誰かに)言われることは予想もしてなかったんじゃないかと思います。

そういった巡り合わせがあって、岡山での彼女の言葉に繋がっている気もして、本当に本当にこの作品で描かれる救いの循環が大好きです。
再び日本へ帰国し、谷本さんに出会う場面。6巻のリチャードの言葉、「変化することを恐れるな」がここにきて「変化しないことを恐れるなという言葉と、根を同じくするものだろう」と解釈し直されるのもとてもよかった……(p.185)。

そして、9巻で一番好きかもしれなかった言葉が以下の引用です。

 「私が私でいることで、ひょっとしたら救われる人もいるのかもしれないって、初めて思えたんだ」 (p.189)

それを心にもって生きていくことの芯の強さ、この言葉が「あなたがあなたでいることで」という風にも聞こえてきて、胸に響きすぎました。
この言葉は6巻で正義が父親を理由に自分のことを否定していたとき、リチャードが「あなたと同じ環境を生き抜いてきた子どもたち全てへの侮辱です」と叱ったときの言葉と通ずるものがあると思います。
自分の抱える要素を否定すると、同じ要素を持った他の誰かのことも否定しかねないこと。
裏を返せば、自分の抱える要素を肯定することは、同じ要素を持った誰かを肯定することになるのかもしれない。

正義がリチャードの美しさをもって北極星みたいだと、レールのない道を進む救いになると考えたみたいにーー、私にとって、自分がエトランジェだと感じたときに思い出したい、思い出すであろう言葉がこの作品にはたくさんあって、間違いなくそのひとつになったなと思います。
谷本さんと正義、二人の新しい友情も見えてきて、あまりに素晴らしいもので本当によかったなあ。

このあと、正義は「俺の行くべき場所は、もう決まっている。」と出発するんですよね(p.196)。
やっぱり「行くべき場所」「あるべき場所」はテーマの1つで、それがリチャードなんだなあ。

そして終盤の情けないリチャードとそれが嬉しいクッション志望の正義!笑
「元気が、出てしまう」「今日の私はもう少しへこたれていたいのです」(p.261−217)のリチャードのかわいさったら。。。

だけどそのあとの、なぜ俺を雇ったのかという質問に続いたヴィンスとリチャードとの話は、なかなか重いものでした。 「何故なら人間として扱われないことに慣れていたから」といった言葉がさらっと出てくることはとても悲しい(p.227)。
だから「友達が欲しかった」と、リチャードの口から正義へ伝えられたこと、これを伝えられる友人関係……と感動しちゃいましたね(p.230)。

それからリチャードの結婚観も見えてきて興味深かったというか、納得が深かったというか。
「あまりにも大切で、一生傍にいてほしいと思ったので」(p.232−233)。
それが「最初の友人」で今リチャードと正義が友達なら、リチャードはそれに近い感情を正義に抱いていることにもなるのでは……? と思ってまもなく、それに近い感情を半ば無自覚に抱いている正義の方が泣いちゃうし、「あなたが取り乱さなかったらとしたら、私が取り乱していたと思いますので」とか言うし(p.241)。

あなたをどのように大切にすればよいですか考えています、と、相手も自分を大切に思ってくれている人に伝えられるのは本当に贅沢で有り難いことですね。一緒に考えましょうと伝えてくれることも。

色んなところを巡って、変わらないものや変わったもの、新しいものを見つけて、最終的にリチャードのところに帰ってくる、という構成が9巻はとても好きでした。

10巻 久遠の琥珀 〜あなたは私の一部だ。私があなたの一部であるように〜

そしていよいよ第2部完結の10巻!
リチャードは正義の好きな人、ジェフが結んでいた約束、彼らの“あるべき場所”……。盛りだくさんの1冊でした、本当に。。。

まずプロローグ、幼少期に始まっていたリチャードの回顧が正義との出会いに行き着きます。
もう終わり方を知っているので、 「生きた宝石のような心根を持つ人間の『あるべき場所』になれる者は、どれほど幸せ者だろうかと。」(p.7) という独白がその通りになること、本当ににこにこしてしまう……。

さて、本編の始まりは9巻の続きとしてでしたが、プロローグが正義の味方として現れた正義との出会いを思い返すものだったところから、オクタヴィアが正義の味方を憎んでいる、という対照的な導入でもありました。

先に言うと10巻はメインの二人以外だと何よりジェフ!!! という感じだったのですが、 この感想のために読み返していたら、30ページで正義がニューヨーカー風にヘイ大丈夫ですかって聞いたとき、「たじろぐほど優しい声」「ニューヨークと繋がってたんだっけ?」って返すことに気付いて。。。 これ布石か。。。

二人の優しさと強さに触れながら目的地に到着して、そこで始まった謎解き。
「わがころもでに雪はふりつつ」は笑いましたが、宝石の問題を担当した正義が次々正解していくところ、彼の宝石商としての成長がうかがえて、単純に物語を楽しみつつも少し感動してしまいました。
そもそも正義が語り手なので、正義自身のすごさに気付くきっかけとなる出来事がないと、私たち読者は彼の人徳の高さは分かってもスペックの高さを知る機会がないですよね……。

そしてオクタヴィアの求めた「ハッピーエンド」。「そこまでできたら、もう死んでもいい」と思えるもの。そしてリチャードたちにはそれだけのものを手にしてもらわないといけない、と(p.84−85)。
正義の求めるものは、要約ですが「可能な限り一番近くにいさせてもらうこと。その友人関係をこれからも続けていくこと」でした。
こうして見ると、「終わらせること」「続けていくこと」と本当に反対のものを望んでいるんですね。
ここは「この世界に諦めをつけること」「この世界を諦めないこと」と言い換えられると思います。
そして真正面からどうにか足掻く正義に対して、ゲームという媒介をもってオクタヴィアと繋がっていたヴィンスは、なんかやっぱり、自分なりの役割を探して優しさを発揮せずにはいられない人なんだろうなあ。

そしてヘンリーが現れ、ここから怒涛の収束…!
ヘンリー本当にかっこいいですね。開き直りや自己正当化と言われることも呑み込んで、ここから現状を良くしていこうとする覚悟……。
ヘンリーからジェフにかけられた言葉のうち印象的だったのは、 「お前はまた何かを選ばされたのだね」(p.134) という言葉でした。
「選ばされた」、という言葉選び。
君が望んでそうしたわけではない、君も負わされた側だという認識を端的に伝える言葉……。
ローレントの「あなた方は私たちのことをもの言う人形程度にしか思ってないやもしれませんが」(p.141)は、リチャードのことをスペアと言っておいて何だという話ですよ……正論のフリして自分ではなく相手に歪みがあるのだと言うような言葉、本当にむかつくなあ! まあそれ以上に憤っている人たちがいるので私の怒りは落ち着いていくのですが……。
ジェフがどれだけのものを背負っていたのか知らされて、もう……。あれこれ言葉にするのは野暮なので言わないけど、幸せになってくれないと困る、という気分です。

ステージクリアしたあとのオクタヴィアとヴィンスのやりとりも本当に好きです。
「龍の季節」で自分は「まっすぐ」ではないと言っていた彼だったけど、自分の役割を探して優しさを発揮したい、というところはきっと彼自身の性質で、「まっすぐ」ではないにしても正義の味方みたいに誰かを救うことができて、恐らくそうしてオクタヴィアを救うこと自体がヴィンス自身を救うことにもなった。
ところで正義の味方になろうとしていた、というヴィンスにオクタヴィアが「義務感?」と問うたときの答え、「俺がそうしたいと思ってるだけ」(p.190)って、「パーフェクトに自己満足の問題」と似ている気がするんですがどうでしょう。
そのあたり、やっぱり絶対に通ずるものがある。。。

さて、実は「その後の日々」の章が始まる時点で63%とかそんなものなのですね。今Kindle版で見たら。。。
印象的なシグネットリング受け取りの場面を経て、正義はヨアキムさんと出会います。 ジェフリーとしていたという「互いを絶対に幸せにしない」約束。
不思議な約束ではありますが、相手に手を差し伸べないという約束、ジェフリーの状況を考えたら「相手に幸せにしてもらうことを求めない」という戒めのようにも思えます。
何より、事前にそういう約束で縛っておく必要性を感じるほど大切になってしまう予感があったのかと思うと、2人で幸せになることを望めるようになって本当に本当によかったなと思います。

そしてデボラさんとの待ち合わせへ。
正義から語られるリチャードは彼女にとって、「まるで私の知らない人みたいに元気で、堂々としていて、とても格好いい」。あいつはもとから格好いいですよね? と確認した正義に「あなたは瓶の中のお酒の種類や味わいより、入っている瓶そのものを気にするの?」と返したあたりは、ああ本当にリチャードとお付き合いをしていた人だ、と思わされるような(p.212)。
その後、諦めなくてよいのかと問うことをやめられない正義は、質問を重ねるごとに多分、デボラさんとリチャードの仲の良さや通じ合う部分を思い知って、だから質問をやめることができなかったのかなあ。
デボラさんは「そういうタイミング」と言って、「力いっぱいあなたに与えようとしているリチャードを奪う」ことになると言いました(p.216−217)。
そしてその「タイミング」が自分にとってもよかった、あなたがいて「くれた」から自分の決断の明るい側面を信じられると。 もう…リチャードの盟友であることの説得力。。。

5、6巻の感想を書いたときに、「救い」があったときに少し複雑になってしまう、と以下のようなことを書きました。

揺るがない説得力のある価値観に出会うと、それが素晴らしいと思いつつ、それを身につけざるを得なかった背景に対してはそんな悲しい経緯はないに越したことはなかった、とも思うので複雑な気持ちになります。。。
救いとは素晴らしいもので、だけど必要となる理由があって生じるので、その理由は存在しない方がよかった、だけどこの救いがあるからこそ、今後の人生のある場面で別の救いが不必要になるのかもしれないし、……みたいな。

今回正義が感じている引け目も同じような複雑さがあるなと感じます。
正義とリチャードが出会えてよかったと思うけれど、その背景たるリチャードとデボラさんの別れは喜べるようなものではないから。
そんな正義に「絶対に、大丈夫」と言ったデボラさん、何となく宝石商で、こういう場面で「絶対に」と使われるのは珍しい気がして印象的でした。正義がリチャードを美しくないと思う瞬間は絶対に来ない、とかまあそんな感じのは度々ある気がしますけど、誰かの背中を押すときの「絶対」って、珍しいような。そんなことないかな。

このあとリチャードが来ますが、正義はそこで以下の言葉を吐露します。

「本当に……俺がやってきたことは、正しかったのかな。俺は……ただ……自分の欲望をさ、身勝手に取り繕って、お前のため、お前のためって言うのが、うまくなっただけじゃないのかなあ。もしそうだったら俺は」
 自分のことが許せなくなりそうだ。(p.228)

好きって気持ちは完璧に自己満足、と言っていた正義の迷い。
リチャードが自分を選ぶということは、選んだということは、誰かを選ばないということだから。
ちなみにめちゃくちゃ殴りたい気持ちを「お前の声を聞くと安心するから」で抑えられてムッとするリチャードはかわいいなって思いました。

正義が言った「目を閉じている時にも、お前はきれいだなって思うんだよ」と、見えるっていうかわかるって言えばいいのかな、と言ったところ(p.233)は、英語だったら両方seeだから確かにその感覚はリチャードにとって理解しやすそうだな、と勝手に思っています。
そして、それは状態を述べる言葉なのかもしれませんね、という言葉と一緒に告げられた、「あなたが私にとって尊いのと同じように」(p.235)。
正義がとにかく自己満足、自分のためでしかない、という考えに陥っているところで、それは自分側からしたって一緒だということ。しかもそれを悔いてはいないということ。

「正義、わかっていますか。あなたは私の一部だ。私があなたの一部であるように」(p.237)

この言葉、10巻の中でもめちゃくちゃ好きなフレーズです……。一方的ではなく双方向的な関係性であること、自分が相手に関わるだけ、相手に自分も関わり合っているということ。
ベン図で2つの集合が重なっているとき、それぞれにとっての共通部分の面積が違うことって有り得ないもんな、とかそういうイメージを浮かべました。もちろん人間関係はそんな記号的に表せるものではないですが。

そうして正義が色々と吐露した後の大問題の場面、小指へのキス!
リチャードもするのかよ! って本気でびっくりしたけど、でもこうして感想をまとめてきて改めて読み返すと、まあ主従みたいに一方的にキスされるのはリチャードからしたら気に食わないだろうなと……。
いや、まあ納得はするけれども、でもやっぱり何度読んでも衝撃的っていうか、恥ずかしくてじっくり読めないシーンですここは。笑

そこからのパーティーのシーンは大好きだなあ!
私はやっぱりカトリーヌさんの憎めなさが相当好きです。「いろいろありました」に「それはそうよ。だって生きているんだもの」って返すような軽快な明朗さも(p.252)。
リチャードとヴィンスが話せてよかったなあと思うし、下村はいいやつだし、まあさんも何だかんだすごく気にかけてるし、命令口調のリチャードの大人げなさも好き。笑
お前以外の誰かをこんな風に『好き』とは思わない、と言われて安心するかわいさも、あなたがいないと寂しいと言えるようになった素直さも!(p.277−278)
何ていうか、幼い頃ジェフに見せてたスーパー甘え上手、正義のド直球に慣れたのもあって復活してきてない…? って思うんですけど……。

そして「好きな人」という現状維持。6巻のextra caseの「好きな人」ってリチャードのことかよ!!!
いやでも、好きな人っていいなあ。 自分にとっての好きな人であって、相手にとってどう思われてるかっていうところを含まない言葉なのも正義らしいし、それでも許可を取るのが正義らしいなとも思います。

そして冒頭の「あるべきところ」の回収と、流れ星。
めちゃくちゃ素直になって、「頼りなさい」「連絡しなさい」「会ってほしい」だとかの行動レベルでの要望は伝えられるようになったり、「あなたを尊いと思う」「宝物です」と自分の意識を伝えられるようになったりはしても、相手の意識レベルでこう思ってくれればいいのに、とは伝えなかったリチャードの、本当の願い、みたいなものだったのではと思います。

生きた宝石のような心根を持つ人間の『あるべき場所』になれる者は、どれほど幸せ者だろうかと。

服の裾を引っ張って、もう少しここにいなさいって言うの、本当に……かわいい人間……。

最後にエピローグ!
専属秘書にしてくれというお願い。そう来たか! という感じ。
だけどまあ下村くんが「弁解の余地なし」と言ったように、理由の説得力がすごい。笑
「お前の傍にいたい」というドストレートなお願い、でも正義がリチャードにそういうお願いができるようになったのは本当に尊いことだ。。。

美しさとは悲しさであり、だけどきっと希望だと思う

第二部では何度か「美しさ」と「悲しさ」が重ねられることがあって、本当は以下の部分は10巻の中で書いてたんですが、ここだけ7巻から通して引用しているので、最後に持ってくることにしました。
「美しさとは悲しさ」というフレーズ、結構散りばめられているのもあってスッと入ってはこなかったので最後まで読んでから読み返す中で追って紐解く必要があったのですが、このフレーズと同時に出てきたのが「ただそこにいるだけで」という言葉です。
とりあえず関連するところを引用していきます。

美しさは悲しさなんだ。(中略)結局のところ、全てのものは、あるべきところへ還ってゆくものだからね。(7巻 p.7)
「(略)とても美しいものは、時々は恐ろしいものにもなるし、身を苛むような苦しみを連れてくることもある。そして何より大事なことはね」
 美しさというものは自分で持っていられないのだと。
 なぜなら美というものは誰かに観測され、『美しい』と賞賛されることでしか、そこに存在し得ないものであるからと。(8巻 p.7)
誰も宝石に、何かの役に立つことを期待しない。労働力になることを期待しない。(中略)そこで輝いているだけで、宝石には価値がある。
 美しいものがどこか、いつも悲しく見えるのは、そういう理由なのだろうか。
 生きにくいと思いつつも、この世界の重圧に耐えて生きている人間のように。(9巻 二カ国目 香港+ p.175−176)
「……うん。お前と、ジェフリーさんと、ヘンリーさんは、みんな優しい人だよな」
 それぞれ違うのに、何故かみんな、とても優しい。
 形の違うクッキーなのに、同じ生地からつくられたように、どれもほっこりとあたたかい味わいがある。だが同じだけ寂しい味がする。優しさというものは寂しさと隣り合わせなのかもしれない。(10巻 一日目 p.40)
 宝石は、きれいだ。
 そして俺は、今の自分に、宝石をきれいだと思う心が残されていることに感謝した。(中略)とろけるような輝きの中に、俺は優しさの影を見つけた。その奥にある寂しさも。
 石は、きれいだ。
 そこにいるだけでいいと、そう思わせてくれる。
 そこにいるだけで、自分には何がしかの意味があるのだと。(10巻 その後の日々 p.224)

7巻プロローグのおばあさんの言葉は、リチャードの日本人のガバネスとの関係を「美しい関係」と言い、でも「いつか遠くに行ってしまうから」注意すること、と告げた言葉に繋がるものでした。美しいものの「あるべきところ」が自分のところだと言っているような響きはなく、「ここではない」「あるべきところ」に還ってゆくものだから(悲しい)、というニュアンスでしょう。
美しさというのは自分で持っていられない、という言葉も意味を同じくするものです。まるで「美しさ」の「あるべき場所」は常に自分のところではないみたいな言い方。
また、「そこにいる」という言葉が何箇所かに出てきますが、「ここにはいない」ことを示しているとも考えられます。つまり他者である。
「宝石に役に立つことを期待しない」というのは、誰かに寄与することを望まない、という言い換えができるかもしれません。関与しない。第三者のままである。
優しさと寂しさは隣り合わせなのかも、と思った正義に向かってリチャードは「優しさは強さの裏返し」と告げ、正義は「強くて美しくて優しいってことか」と返しますが、「強さ」も「優しさ」も基本的には他者に対して発揮する・必要とされるものでしょう。

だけど、その悲しさや寂しさを孕んだ美しさが、「そこにいるだけで、自分には何がしかの意味があるのだと」思わせてくれる。
私は5、6巻の感想記事のタイトルを「君が美しいから彼が美しい」としていました。美しさとは、美しいと感じることのできる感性ありきだと書かれていたからーーまさに「宝石をきれいだと思う心」「誰かの観測」ありきということですね。

そう、でもだからこそ、他者であることの寂しさは、生きていく上での希望と共存するものなのだと思います。
なぜなら、その美しさが他者であるからこそ相対することができて、そして相対したときに美しさや優しさを感じたら、それらを見出せた自分の眼差しを肯定することができるから。

そしてその他者が、いつしか自己と切り離せないものになっていくこと。
「あなたは私の一部だ。私があなたの一部であるように」
第二部は「誰もがここではないどこかを目指して」いて、たくさん移動して、ホームが移ろって、色々なもどかしい関係性・距離感が描かれていました。
だからこのお互いがお互いを構成している、という確認の言葉がすごく大切に響いたのだと思います。

美しい他者が、自分の「あるべきところ」「還ってゆくところ」になっていく過程、美しい他者のそうした場所に、自分自身がなっていく過程。
その過程がすごく丁寧に書かれているのがこの作品の大好きなところですし、それは努力を要することだと書いているのも大好きです。

「(略)何故なら言葉があればこそ、私たちは世界中に、心を伝えてゆくことができるから」
 心を伝える。今、デボラさんが、俺にしてくれているように。
 なんだか、それは。
「……生きている限り、みんながやらなくちゃいけない、宿題みたいなものですね」
「宿題?」
「宿題……課題、いや、諦めないことそのもの、みたいな」
 誰かに自分の心を伝えるのを、諦めない。
 誰かにとっての宝石を、石ではなく宝石だと理解するようつとめるように。
 そうつとめ続けること。
 俺がもにゃもにゃそんなことを言うと、デボラさんは頷いてくれた。
「そうですね。生きている限りはみんな、そういう宿題を持っているのかもしれません。一人で生きてゆくには、この世界は広すぎますし、寂しすぎますから」(p.219)

第二部では「諦めないこと」という言葉も随所で出てきたように思います。「続けること」「まだ終わっていない」とかも。
そう思うと諦めかけていた人たちがたくさんいたことにも気付くから、これから色んなことが始まるような終わり方が、本当にハッピーエンドだったなと思います。

   *

はあ、長々と書いてしまった……。引用もたくさんしてしまいましたが、2万字近くあるみたいです。
いやもう、本当に、大満足の第二部完結でした。

第二部完結ってことで第三部があるのかな……完結とは言っていないことの救い……。本当にこれからどういう展開になってくんだろう……。
まあどんな二人になってるにせよ、二人がお互いを大切に想いあってることは絶対間違いないと思うので、本当に本当に楽しみです。

とりあえずやっとこの記事を書き上げたので11巻を楽しみたいと思います。やったー!
マグナ・キヴィタスも2冊最近買ったのでこれから読むところです。
感想はまた、まずはツイッター経由でふせったーに投げる予定です。
ツイート頻度にムラがありますがよろしければ…以下のアカウントです。↓

それでは、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

引用

辻村七子(2016)『宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン』集英社
辻村七子(2018)『宝石商リチャード氏の謎鑑定 転生のタンザナイト』集英社
辻村七子(2018)『宝石商リチャード氏の謎鑑定 紅宝石の女王と裏切りの海』集英社
辻村七子(2018)『宝石商リチャード氏の謎鑑定 夏の庭と黄金の愛』集英社
辻村七子(2019)『宝石商リチャード氏の謎鑑定 邂逅の珊瑚』集英社
辻村七子(2020)『宝石商リチャード氏の謎鑑定 久遠の琥珀』集英社

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