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仕事に関係ないことがつらすぎて2年10か月で辞めました(90年代の昔話)

女性管理職比率が低すぎるというニュースで思い出した昔話にしばしお付き合いください。

就職して男尊女卑、今で言うとジェンダーバイアスにあいました。
嫌な思い出ですが、こうやって書いてみると、三流ドラマのようなお話で笑ってしまいます。

私の就職はバブル真っ只中で、都市銀行(今でいうメガバンク)でも人数は少ないものの女性総合職の採用が始まっていました。私の入った銀行では関西採用の総合職女子は私一人でした。

配属先はとても小さい支店。一般職から総合職への転換試験に落ちた「お局様」のいる支店には配属できない、ごめんねと人事の担当者には言われました。

窓口の女性が制服だとはもちろん知っていましたが、自分が制服を着るとは思ってもいませんでした。中学校でしか着なかった制服を、社会人になって着ることになるとは。しかもピンク色。

お酌の仕方も、タバコを吸う人に灰皿を用意することも知らなかった私は、ことあるごとに女らしさが足りない、短大出の窓口の先輩を見習えと言われる日々をすごすことになりました。
支店の3階にある食堂は小さくて、一人になれる場所ではありません。NHKの連ドラも観ないし女性週刊誌のゴシップ話も興味ない私には、昼休みの雑談の輪が苦痛でした。

お客様が拒否反応を起こすから外回りに出せないと言われ、定型ローン商品ばかり担当していたため、研修で同期が集まった時、支店長決裁の稟議の話は羨ましいばかりで、B/SもP/Lもろくに触らせてもらえていないことが恥ずかしくて。研修の講義を受けても、自分の仕事には関係がないのに、なぜ私はここにいるのだろうという気持ちがつきまとい、必要とされていない寂しさと同時に、誰か他の人の人生を眺めているような非現実感を感じるようになりました。

相変わらず実務では一般職女子の仕事が中心で、でも研修は総合職の研修しか行かせてもらえない(頼んだけどだめだった)。事務手続きや機械の操作がどうしてもわからない。
本部に電話して聞くしかないのですが、標準語でののしられるのがとても辛くて(関西から出たことがない人間にとって冷淡にあしらわれる標準語は恐ろしくこわかった)、泣きたいけれどどこにも味方がいない。
感情を抑えて遅刻しない程度の時間に出社するようになっていきました。

3年目のある朝、涙が止まらなくなり、そのまま仕事を3日休みました。家族に励まされて何とか木曜日に出社したら、「副支店長が『あいつは妊娠したから休んでるんじゃないか』と言ってた」と聞き、こんな奴に評価されない限り私はずっとここから出られないのだと、絶望するとともに完全に気持ちを支えてきた糸が切れてしまいました。

相談のつもりで辞めたほうがいいでしょうかと上司に言ったところ、「辞めると言ったらその月のうちに辞めないといけない」と、さっさと手続きが進められあっという間にその月末で追い出され、2年10か月で私の銀行員生活はあっけなく終わりました。今思うと上司たちは辞めると言い出すのを待っていたのかもしれません。

新卒で他の職業についていたら。
専業主婦を23年したことよりも、新卒で選んだ職業を、私は後悔しています。

今はここまでのことはないと信じますが、日本で就職するなら、女性は仕事内容や待遇よりも、職場環境や組織風土を重視して就職先を選ぶべきです。
現場で直接日々を共にする上司や同僚が味方になってくれない場所で戦っても生き残れないからです。

腐ったトロピカルフルーツ。
辞めた後、自虐的に私が日記に書いた言葉です。
女性を男性と同じ待遇で雇え、と言われたから雇ってみた。女性の活躍、とか広報誌にも載せて。けれど組織として活かせず、10年も経つとほぼみんな辞めてしまった。
まるで、栄養があるから体にいいと言われて珍しいトロピカルフルーツを買ってみたら、インスタ映えしたけれど誰も調理方法を知らない。結局食べずに腐らせた、みたいな。

後日談。
私が辞めた後の4月、関西にいた女性総合職が一斉に東京へ異動になりました。全員が、支店勤務から調査部門等への内勤になったそうです。

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