短編「運のいい男」

 「それにしてもあんたは随分な変わり者だな。俺なんかにあんな大金払うなんて」
 男は黒塗りのワゴン車の2列目、真ん中の席で大きく足を広げながら助手席の男に話しかけていた。
 「いえいえ。こちらも永山様のような方の助けになることができて光栄でございます」
 「そうかい」
 永山と呼ばれた男は首を横にねじり、窓へと顔を向けた。
 永山という男は生まれてから自らをつくづく運の良い男だと感じていた。
 他人のように汗水を垂らし努力せずとも大概のことは人並み以上にできた。さらにはそれを隠すのが非常に巧く、自ら嫌味な存在にならぬよう他と同じように勉学などに励んだ。
 また、家庭も非常に安定しており幼い頃から不自由を感じたことはなかった。それを隠すために常に金欠であるかのようにふるまった。彼は自分なりの処世術をうまく使いこなし人間関係もすこぶる良好であった。
 東京の有名私立大学を卒業後、大手メーカーに就職した。それまでの彼は「善良」という言葉が良く似合う人物で、大学時代はボランティア活動のリーダーを務めたこともあった。
 社会人3年目の秋。無断欠勤が続き、音信不通となったことから解雇通告を受けた。その頃の彼は人生における転機を迎えており、社会人としての義務や規範などといったものにさほどの興味も持ち合わせていなかった。
 そのとき彼の興味の範疇にあったのは「人の死顔」であった。
 きっかけとなったのは祖母の死だった。夏前から体調が思わしくないと連絡を受けていた彼は暇を見つけて祖母の見舞いに訪れていた。祖母は会うたびに痩せ細り、ついには息をすることも苦しそうだった。
 身内同士はその様に痛ましさを覚えていたようだったが、彼の胸の内には不思議と高揚感が湧いていた。心中では不謹慎なことを、と感じながらもその高鳴りのために何度も何度も祖母の下へ通った。
 祖母はそれがうれしかったのか彼の前では気丈にふるまっていたが、彼はそれがおもしろくなく感じていた。自身が築いてきた「良心」はその感情を否定し続けたが、ついにその感情を知った日にはそんなものはどこかに放ってしまった。
 それは、祖母の死に際。日曜で親族皆が祖母のベッドを囲んでいた。こと切れる前に一瞬目を開けたような気がしたがその後すぐに大きく息を吸い、往生した。
 各々が涙を流す中で、彼は得も言われぬ幸福感を感じていた。まるで眠っているかのような、それでいて一目で息をしていないことがわかるその「顔」に彼は魅了された。彼はその興味を誰にも悟らせないよう、出棺までの間その息をじっとひそめていた。
 8月のお盆明けに会社に戻った彼は上司に休みの礼を伝えながら、どうしたら多くの「死顔」を見物できるものかの考えを巡らせていた。
 まず初めに目を付けたのは死にたがっている人間だった。ネットに転がっている自殺サークルなるものに「自分も同席させてほしい」と申し出た。結果はほとんどが「お断り」だった。中には殺人狂なのではないかと疑いをかけてくる人間もいた。半ばあたりでもないが彼は自らの手を汚してまでこの「欲望」を満たすことはないと考えていた。正直に「死に顔がみたい」と告白したこともあったが、受け入れられはしなかった。
 彼はそもそもこのような応募に本気で取り組む人間がいるのかすら疑問に感じ、半ば諦めていたころ、ある女子高生がチャットで話しかけてきた。彼の提案をどこかの掲示板で見かけたという少女は「私の死が誰かの役に立てれば」などと頓狂な文句で近づいてきた。これは彼にとっては千載一遇のチャンスではあったが、同時に大きな不安もあった。
 一つは彼女が本当に死ぬ気なのかどうか、さらにもう一つは自殺の現場に居合わせることのリスクに対してだった。
 彼は後にこの件に関して「実に運が良かった」と語っている。
 少女は待ち合わせの場所・時間にきっちりと訪れた。本当に女子高生が来ると思っていなかった彼は少したじろぎ「本当に自殺する気なのか」と問いかけた。少女は遺書となるメールを両親にその場で送信し、スマホをその場で投げ捨てた。「ご迷惑はかけません」と彼に言い、うっそうと茂る草村をずんずん進んでいった。本当に東京なのかと疑うほど人気のない場所についた。
 彼女はカバンからロープと簡易的な椅子を出した。こなれた手つきで気に縄を括り付けその先の輪に首を通した。「いつも、ここで諦めちゃうんですけどね」と苦笑いした彼女はなぜ自殺するのか見当がつかないほど今どきかわいい女の子で、彼は止めるか、止めまいか考えた。
 その直後、少女は勢いよく足場になっていた椅子を蹴り出し、縄に全体重がぶら下がった。
 すぐに少女は後悔したのか下で見守る彼に助けを求めるような顔つきになった。
 しかしもう既に彼の「欲望」はそんな少女の後悔の感情にすら興奮を覚えるほど昂っていた。
 少女は苦しさにおびえ、もがき、最後には真下にいる彼を睨みつけた。すぐに上を向いた眼球と共に少女は絶命した。彼は可憐な少女の最期の表情を一瞬でも見逃すまいと体が揺れる方向へ体を運んでいた。
 少女の「死に顔」が彼にとっての理想となった。
 その後彼は急いできた道を駆け戻ったが、抜けた先で写真を撮り損ねたことに気が付いた。しかし、戻ることには抵抗があった。
 ここでも彼の運の良さは発揮されていた。もしこの時戻っていたらちょうど山で猿退治をしていた猟師に見つかって通報されていただろうから。
 その後自殺掲示板に限界を感じた彼は、その「欲望」を抑えつけることが難しくなっていった。無断欠勤が続いたのはこのころからだった。
 彼は様々な死に方をとにかく大勢の人間で行った。同時期に大きな地震が起こり、被害者の発見が遅れたことも運が良かった。
 撲殺なのにも関わらず、余震で物が落ちたことによる事故にされたのも運が良かった。
 練炭で殺したのも心中で片付いてしまったし、突き落としはただの飛び降り自殺になった。
 実際に彼が殺したのは20人以上にも及んでいたにも関わらず、そのほとんどが事故、自殺で処理されたのは偶然にしてはできすぎだった。
 「本当に運がいい。あんなにいろんな顔を見られたのに、蓋を開ければ2人の殺人と1人の自殺ほう助で無期懲役なんて。実に運がいい」
 彼は黒のワゴン車にふんぞり返りながら、声高らかにそういった。
 そこにはもう「善良」な人間の面影はなかった。
 「それにしても、本当に運がいい。あの大震災のあと、税収が落ち込んだ政府が通したこの法案。あんたから聞いてびっくりしたよ」
 「ええ。私も永山様のような方が第一号に選ばれたのはとても幸運だと思っております」
 「嫌味だな。まあ、いいさ。今日は記念日だからな」
 彼は首を鳴らしながら、助手席に座る男が初めて彼を訪問してきた日のことを思い出していた。
 「…よく分からないんだが、そんなバカな話あるのか?」
 「ええ。政府は大震災にて落ち込んだ税収を何とか回収しようと様々な法案を作成しました。その中で、無期懲役以下の刑罰の方を対象に服役中の受刑者を免罪金の支払いによって釈放するという制度を策定いたしました」
 「この国もおしまいだな。で、俺の釈放にいくら支払われるんだ」
 「3億です」
 彼は内心驚きながらも、そんなものかと考えてもいた。彼の刑期は無期懲役。この先何年いるかもわからなかった牢獄からたった3年で抜け出せてしまったのだ。しかも他人の3億という金で。
 黒いワゴンに揺られている彼はこの後自分がどうなるのか、という不安がチラチラ見え隠れしていた。
 「俺にそんな大枚はたいて、あんたほんとに変な人なんだな」
 誰もこの独り言には答えなかった。
 車は高速を降りて、廃工場に止まった。
 「永山様、降りてください」
 車を降り、伸びをすると男は廃工場を指さし「あちらへ」と誘導した。ドライバーは車から降りると彼を睨みつけながら後ろを歩いていた。
 工場には何人かが集まっていて、全員が今にも彼に飛びかかりそうな雰囲気を出していた。助手席の男は俺の前に立つと、こう話し出した。
 「永山様。免罪金を出資したのは私ではなく、こちらにいらっしゃる皆さまになります。私は仲介人という立場をとらせていただき、こういった職業を営んでおります」
 助手席の男は名刺を差し出してきた。職業欄には復讐プランナーというおどろおどろしい肩書が書かれていた。
 「あなた様の判決に不満を持っていらっしゃるこちらの方々からのご依頼で、あなたに復讐する機会を設けさせていただきました」
 そのあと、男はつらつらと自らがこの復讐をさせるまでにした業務報告を皆に聞かせだした。
 当の復讐される本人は「ああ、今日はなんて運の悪い日だ」などと考えており、話をろくすっぽ聞いていなかった。放心状態のまま首に縄をかけられ、ドライバーの男が固く縄を俺の首にあてがった。
 「お前。さっき記念日だと言っていたがあれは何のことだ」
 首が締まって苦しかったが、ああと息を吐いてこういった。
 「初めて俺が他人の、あの女子高生の死に顔を見た日なんだよ。あれだけは、どうしても自慢したくてさ、結局あれは自殺ほう助って言われて。勝手に死んだのにな。いやあ、でも最高な死に顔だったなあ」
 首を絞める縄が強くなる。
 「俺はあの娘の父親だ。おまえがあの時止めていれば…」
 勝手に自殺したんだろ。と言いかけたが、もう首が締まって声を出す気力もなかった。
 縄は鉄骨に括り付けられており、身を投げ出せばすぐに首が締まるだろう。
 全員が彼を持ち上げ、助手席の男は下でニコニコ笑っている。
 彼の身が放られ、宙づりとなる。
 彼は宙づりで苦しみながらも目線であるものを捉えていた。
その先には捨てられていた大きな鏡。
 まさに死にゆく自分の顔を目の端に捉えながら「なんて俺は運がいいんだ」と心の底から思っていた。


 

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