大切なあなたに 『アクタージュ act-age』SS

突然、どこか暗闇に落ちてしまった。
彼女は急に訪れた静寂に混乱した。
「どこかしら、ここ?」
彼女は不意に訪れた暗闇に、そっとため息をついた。
落ちた暗闇の先は深く、しかし体はフワフワと浮いていた。
しばらくすると、ゆっくりと足元から下へ下へと降りていった。
フワっと地面に着地した彼女は、暗闇に囲まれた自らの足元を探るようにその脚を伸ばした。
「なにかのドッキリとか?」
彼女の頭の中では弟と妹がドッキリ番組などでお決まりのパネルを持って、彼女を驚かせようとしているイメージが浮かんでいた。
それにしても、広い空間だ。
目では見えないが、ずっと遠くまでこの暗闇が続いているような感覚がある。
ここは冷房が効いているのか、肌で感じる温度は先ほどまでいた場所よりも快適だった。肌に残っている夏の暑さが妙に懐かしい。
足元に不安を感じながらも彼女は歩き出した。もし、これがドッキリであれば何か仕掛けがあるはず。
そう考えながら歩き出すと、不思議なことに彼女の視界が徐々にだが明るくなっていった。
一歩踏み出すごとに視界は開け、数十メートルも進むと、あたりが見渡せるほど明るくなっていた。
「・・・っ」
彼女は息を呑んだ。
ひらけた視界の先には薄黄色の空間が果てしなく続いていた。空を見上げたが、周りと同じく薄黄色の空に透明なもやがかかっているようで、空の果ては見えなかった。
彼女は自分がなにか夢でも見ているような気分になっていた。
「なにこれ…」
彼女の頭は、すでにこれが人為的なものでないことを悟っていた。
彼女自身はこの状況に関して自問自答を繰り返す。
「幻覚?にしては意識もはっきりしてるし、、、やっぱりドッキリ?」
こめかみに手を当てて、ムムム、と頭を悩ませる。
「「お姉さん」」
そう、声が聞こえた。
彼女はハッと頭をあげて目の前を見た。
そこは、先ほどと変わらない広大な空間が広がるだけ。
「「こっち」」
また、声が聞こえる。
彼女はキョロキョロと辺りを見回して、声の主を探す。
そうしていると、急に服の裾を引っ張られた。
引っ張られた方に体を向けると、外国人の風貌をした二人が手を繋いで立っていた。
「やっと気づいた」
「やっぱり僕らも薄れてきてるのかな?」
「でも、声はしっかり聞こえてたよ?」
二人は流暢な日本語で何かを話し合っていた。
彼女は彼らの容姿やその派手な髪色を見ながら、目を丸くしていた。
「かわいい…」
彼女はそういって、水色の髪をもつ少女へ無意識に触れようとした。
水色の髪の少女はすぐにそれに気づき、「ダメ!!」と大きく彼女を拒絶した。
彼女はすぐに手を引っ込めた。
「ごめんなさい。変なつもりはなくて」
「こちらこそ大きな声を出してごめんなさい…。でも、私に触っちゃダメです」
彼女には少女の言っていることがよく理解できず、手を繋ぐ少年と交互に視線をウロウロさせた。
少女は軽くお辞儀をして、しっかりと目を合わせた。
「私はエルレイン・フィガレット。エルーって呼んでください」
「オレはキリ・ルチル。キリでいいよ」
少年はそう言って、彼女へ手を伸ばしてきた。
彼女は戸惑い、少女に目配せをした。少女はゆっくり頷くと、「彼には触っても大丈夫」と笑顔を向けた。
落ち着きのある少女の笑顔を見て、自分より年下だと思っていた少女が急に大人びて見えた。
彼女はキリと握手をして自らも名前を名乗った。
「私は夜凪景。よろしく。あの、いろいろ聞きたいことがあるのだけれど…」
「まあ、そうですよね」
「まあ、立ち話もなんだし座って話そうぜ」
「ええ…」
夜凪は何もない平坦な地に腰を下ろそうとした。
しかし、目の前の二人は座る素振りを見せず、目を瞑っている。
「ヨナギさんはコーヒーと紅茶どっちが好き?」
「え?えっと、お茶…?」
二人は閉じた目をそのままに、手を前に出した。
すると、何もなかったはずの空間がぼやっと歪んで、じわじわと何かが目の前に現れ出した。
中腰のままその光景を見ていた夜凪は、唖然とした様子でその光景を眺めていた。
ぼやけていた空間はやがて一つのおしゃれな丸机と人数分の椅子を生み出し、さらにその上に紅茶二つとコーヒーが一つ現れた。
「よし、できた!さ、座って」
キリとエルーは早速椅子に腰掛けると夜凪にもそうするように促した。
「キリは絵とかすごい上手で、こういうのもすごく得意なんですよ」
「お前一人だけコーヒーって同い年くらいなんだから、カッコつけるなよ」
「う、うるさいな!」
夜凪は一人状況についていけず、この異様な状況で普通に振る舞う二人を呆然と眺めた。
「何今の?魔法?手品なら、生で初めて見たわ…」
二人は夜凪のことを忘れたように何かを言い合っていた。最初こそキリを睨めつけていたエルーも会話を交わしていくうちに徐々に笑顔になっていき、繋いだ手も決して離すことはなかった。
「本当に仲が良いのね…」
微笑みながら、二人を見つめるとすぐに恥ずかしさを表に出したが、その表情は徐々に微笑みへ変わっていった。
その様子を見たキリも恥ずかしそうに何もない空中を見上げ、頬をかいた。
すると、気恥ずかしさを紛らわすためか、空いている左手で膝を打つと、夜凪に向き直り真剣な面持ちで話し始めた。
「一番聞きたいのはきっと、『ここがどこで、なんなのか?』ってことだと思う。ただ、それを話す前にオレらのことを少し話すよ」
すぐに本題へ入るかと思った夜凪は強張った肩から少し力を抜いた。
「『ここがどこか』っていうことに直接ではないけど、必然的な要因なんだ」
そう言ってキリは話し始めた。
彼らの住む世界では『トロイ』という不治の病が流行し、エルーはその病を癒す力を持つ『シスター』という役職にあること。
何もしなければ二十歳になる前に死んでしまう宿命をもった彼女が、ある日偶然キリと出会ったことでその命を救われたこと。
彼女の命をつなぐ条件は『互いにずっと触れている』こと。エルーはガゼルという暗殺者集団から命を狙われているということ…
「なんだか、映画のようなお話ね…」
キリとエルーは顔を見合わせ、ゆっくりと夜凪に話しかけた。
「最初は混乱するかもしれないけど、落ち着いて聞いてね。今話したことが私たちの物語のあらすじ」
夜凪はエルー言葉に違和感を感じながらも静かにそれを聞いていた。
「私たちは、『ダブルアーツ』という漫画の中の登場人物。ここは漫画のキャラクターたちがやってくる異空間なんですよ」


夜凪の頭上に多くの「?」が飛び交った。
エルーの言っている意味が全く分からず、ただその言葉をおうむ返しするだけしかできなかった。
「え?漫画?キャラクター?『ダブルアーツ』って、、、ごめんなさい、いままでの話は作り話だったってこと?」
「いや、まあ最初から理解しろと言うのが無理な話なんです…。私たちも初めてここに来た時混乱しましたし…。自分たちの人生、これまで経験してきたことや、この病気のことが人の創造した物語の一部だなんて信じられませんでしたから」
「最初来た時は何がなんだか分からなかったけどさ、ムヒョとロージーって奴にいろいろ説明されたんだよ。オレらよりちょっと先にこの世界に来たらしいんだけど」
「二人とも元気かな…また会いたいな…」
「え?どこか行っちゃったの?」
「ああ、この世界、たまに人がいなくなるんだよ」
「え?」
『人がいなくなる』その物騒な言葉に夜凪は少し青ざめた。
「キリ、変な言い方しないでくださいよ」
「いや、でも実際にさ…」
キリを戒めるように言ったエルーはすぐに夜凪に向き合った。
「怖がらせてごめんなさい…。人が消えるのはホント、、、なんだけどムヒョさんとロージーさんは多分ちょっと特殊なんです…」
エルーは少し俯いて、意を決したように顔をあげて話し始めた。
「話は前後しますけど、ヨナギさん、あなたが漫画のキャラクターだっていうことは納得できました?」
「いえ。全く…」
「まあ、そうですよね…うん。…ちょっと待ってくださいね」
そう言うとエルーは目を閉じて集中し始めた。
すると、彼らが座っていたテーブルの前に小さなブラウン管テレビが現れた。
「できた…よし…」
そうしてエルーは手に持ったリモコンを握りしめた。
「ちょっと待って。それも、あなたたちの、その、能力なの?」
夜凪が来た時から彼らが当たり前のように起こる、『なにもないところからものが出てくる』現象。
その夜凪の問いにキリはしれっと答えた。
「いや、ここだとこの力は誰でも使える。知っているものだったらなんでも出せるよ」
「まあ、これもムヒョさんたちに教わったんですけどね…」
「俺たちの世界にこんなテレビないしな」
「へえ…」
そう言って、夜凪は目を閉じてあるものを思い浮かべた。
しかし、一向にそれは現れなかった。
「もしかしてヨナギさん、人を思い浮かべました?」
「…ええ」
「残念だけど、人は呼び出せないんですよ…。ここの線引きはとても曖昧で、知っているものでも空想上のものや、生物は生み出せないんです。多分私たちが空想上のものだから、なのかもですけど」
「なるほど…じゃあ」
と言って、夜凪は再び目を閉じた。
目を開けた時、夜凪の手にはプラスチックのカップに入った飲み物が握られていた。
「できたわ」
「なにそれ?」
「コーヒーフラペチーノよ」
「…ヨナギさん、コーヒー飲めたの?」
エルーを横目にキリは呆れ顔だった。
「見栄なんかはるから…」
エルーは顔を赤らめて下をむいた。
「いや、でもこれとっても甘いの!」
そう言って、夜凪はエルーの口にストローを強引に突っ込んだ。
エルーがそれを、ちゅうと吸うと、ものすごい勢いで飲み始めた。
「なにこれ!めちゃくちゃおいしい!」
幸せそうに顔を綻ばせるエルーを見て、夜凪はホッと胸を撫で下ろした。
「ごめんなさい、話は逸れたけど…」
キリとエルーは交互にそれを飲み合いっこしていたが、夜凪の一言で机に置いていたリモコンを差し出した。
「チャンネルは合わせてあるから、スイッチを付ければ始まります。このやり方があっているかはわからないけれど…」
そう言って渡されたリモコンを受け取り、夜凪は電源を入れた。

映し出されたのはとあるニュース番組。

週刊少年ジャンプという漫画雑誌に連載されている漫画の原作者が逮捕された、というニュースが流れる。
「あ!私だわ!」
画面に映し出された漫画の表紙インサートに自分の顔を見つけた夜凪は目を丸くして、エルーとキリの方を見た。
二人は複雑そうに彼女の顔を見ていた。
テレビでは、その後も起きた出来事が淡々と語られ、ニュースの最後、出版社の声明が画面に映し出されたところでテレビの画面が消えた。
テレビ自体も口が開いた風船のようにみるみるしぼんでいき、床と同化して、やがて消えた。
「ごめんなさい。こんなやり方やっぱり間違ってた…ゆっくり説明していけばよかった」
そういって落ち込むエルーを見れば、悪意を持ってあの映像を見せた訳ではないことはわかった。
キリは仕切り直すように夜凪へと向き合った。
「オレたちの世界はさ、『トロイ』のせいで大勢人が死んじまって…。みんな明日生きるか、死ぬかを考えていきてたんだよ。こっちの世界に来てから、それが全部誰かが作った物語だって聞かされてさ、まあ、そんなのうまく飲み込めかったよ」
「・・・ムヒョさんはすぐに馴染んだらしいけどね」
そう言って、エルーとキリは笑った。
「ロージーは俺たちが来た時もめちゃくちゃ慌ててたな。まあ、ムヒョはよくマンガとか読んでたらしいし、特に抵抗もなかったのかも」
「それにしても、自分たちがいた世界がニセモノだって知ったら普通混乱しますけどね…」
二人が楽しそうに話す、ムヒョとロージーという人たちを、夜凪は知らない。
夜凪は一人で今の状況を飲み込むしかなかった。
だんだん頭の中がクリアになっていく。
彼女にも不思議だったが、彼らが嘘をついていないこと、今見たニュースが事実だという考えが、この何もない世界で唯一確信的なものであるように感じた。
そこで、疑問が頭に浮かぶ。
「ねえ、漫画のキャラクターが落ちてくる場所だったら、もっとたくさん人がいるはずじゃないの?」
その問いは二人も予想していたようで、この場所についての説明も含めて話してくれた。
「ここにくるのは、恐らくだけど正しく終われなかった、分かりやすい言い方をすれば成仏できなかった漫画のキャラクターが降りてくる場所なんじゃないかって思っています。さっき、キリが話していた「人が消える」って話なんですが、ムヒョさん曰くその作品のことを考えている人の想いが関係してるんじゃないかって」
「ムヒョとロージーはなんか幽霊が見えるらしくてさ、悪さした霊とかをを成仏させたりって仕事をしてたらしいんだ。その中で、人の想いとか感情がどんなものを生むのかも知ってたんだろうな。だから直感的にそう感じたんじゃないかって」
「じゃあ、その二人が消えてしまったのって…」
暗い顔をした夜凪を見て、慌ててエルーがフォローした。
「あ、彼らは多分違うの!ここってさっきみたいにテレビとかニュースが見れるんですけど、最近二人が出てた漫画がアニメになって、それで漫画の続編が作られることになったらしくて」
「ロージー、テレビで何回も自分たちが出てるアニメ見てたよな」
キリがそういうと、二人は笑った。その笑顔のまま夜凪に顔をむけ、また話し出した。
「それで、二人はここからいなくなったんです。多分、もうここには来ないんじゃないかな?」
エルーは嬉しそうにそう言うと、静かに微笑んだ。
「最近はいろんな形で、そういうのも増えてきたらしいしな」
「インターネット?とかいろんなもので、人の考えや想いが作っている人たちに伝わりやすくなったからじゃないかな…だから、、、夜凪さんの漫画もきっとすぐに…!」
エルーは笑顔を夜凪に向けたが、その視線の先で夜凪は真剣な目をして黙っていた。
「どうかした?」
「…それは、だめよ」
「え?」
思いもよらなかった夜凪の言葉にエルーは固まってしまった。
夜凪は真っ直ぐにエルーの目を見つめた。
「さっきのニュース、私たちを生み出してくれた作者さんはやってはいけないことをしたの。その罪が消えることはないし、それで傷ついた人がいるなら、尚更よ」
夜凪は先ほど流れたニュースの中で、SNSに書かれた原作ファンの人たちの想いもしっかりと見ていた。
その上で、自分の想いをエルーとキリに伝えた。
「私がある舞台に立った時に『何をもって役者とするのか』という話をしてくれた人がいたの。その人はそれを『役者を名乗る覚悟』だと言っていた。それはただ『自分が役者である』と名乗るということじゃなくて、それについてくる様々な責任を負うことだと思うの。私たちはプロで、お客さんのために、ひいては社会に対しての責任が伴っている。傷つけた人がいるなら尚更、その責任は自分自身だけのものじゃないのよ」
エルーは少し俯きがちに黙った。
「ごめんなさい、今のはエルーさんに向けての言葉じゃないの。だから、もう下を向かないで」
「ありがとう、今日の私ほんとだめだ…余計なことばっかり」
そんなエルーを見て、夜凪は微笑んだ。
「いいえ。ここに来て一番初めに出会ったのがあなたたちでよかった」
エルーは流した涙を拭って前を向いた。
「犯した罪は消えないけれど、正しく償うことはできる。そこに待っていてくれる人がいるならば、その時こそもう一度歩き始めるチャンスなのよ」
キリはエルーの手を握ったまま、何か懐かしむように夜凪を見つめた。
「なんか、ムヒョと同じようなこといってるな」
「え?」
「ムヒョの大事なやつもさ、大きな罪を犯して、生きてきちんとそれを償っているらしい。そして、監獄に入る前にそいつがいったんだと、『本当に人に要るのは、好きな人達なんだ』って」
その言葉にエルーも微笑んだ。
「そうですね。私たちを想ってくれる人たちがいるから、こうしてヨナギさんにも出会えたんですし」
三人は微笑み合い、また椅子に座ってゆっくりと時を過ごしていた。
エルーはコーヒーフラペチーノの2杯目をゆっくり啜っていた。
「そんなのばっか飲んでると太るぞ」
「い、いいじゃないですか!その分動きます!」
「それは俺もついてかなきゃいけないんだろ」
「うっ!」
そう言いながらもストローを口から離さないエルーをにこにこして夜凪は見つめていた。
「そういえばヨナギさん」
「景でいいわよ」
「あ、えっと、じゃあ、ケイさんはこの世界からでたら何がしたいですか?」
「うーん…お仕事しなくちゃ。皐月ちゃんの出番もちゃんと見守りたいし。まあ、あと妹と弟にも他にも…」
エルーはその夜凪の様子を見て、親しみを覚えながらも不安そうに尋ねた。
「でも、もしここからでれて、もしもですけど、この記憶が残っていたとしたら、その世界が作り物だってわかりながら過ごさなくちゃいけないかもしれないんですよ。それって怖くないですか?」
夜凪は少し黙って宙を見つめていたが、すぐ二人に向き直った。
「大丈夫よ。私は女優だもの」
その返答を聞いた二人は大きな笑顔を浮かべていた。
薄黄色の空は彼女が来た時よりも明るく、遠くまで広がっていた。



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