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疫病と治癒の神様 オムルー(オバルアエー)Omulu,Obaluaiê

 「ブラジル版アマビエ」こと、疫病と治癒の神様オムルーのお話から始まったこのnoteブログでは、アフリカのヨルバ由来のブラジルの信仰「カンドンブレー」の神様を7柱ご紹介してきました。20ほどのメインとなる神様にはまだまだたどり着けませんが、今日は8月16日が祝祭の日となっているオムルーを祝して、オムルーの別のお話をご紹介しようと思います。

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イラスト©︎クルプシ

ところで、この納豆の妖精のようなオムルーには他にも「オバルアエー」「シャパナン」「サパター」などの名前があります。私は、オムルーは背中が曲がっているので、オバルアエーが老いたのがオムルーだと聞きましたが、これからご紹介するお話では逆にオムルーは少年で、オバルアエーは青年です。(オムルーはオバルアエーに「なり」ます)また、今回のお話しではオムルーに藁をかぶせてあげるのはオグンですが、前回のお話ではお母さんのナナーが藁をかぶせてあげています。このように「?あれ、さっきと違う…」という話はいくつもあり、神々には数え切れないほどの段階と状態、種類がありやや混乱します。ちなみにシャパナンという名前は暑い季節や太陽が焦げるような時には発音もしてはいけないそうです。今のような伝染病と熱中症が一緒にやってきているような時は禁句ですね。

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こちらはオバルアエ

今回はオムルーのお供えものがなぜポップコーンなのかというところを、風と嵐・戦いの女性神ヤンサンの登場をまじえながら、読んでいきましょう。前回のオムルーのお話はこちら

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ヘジナウド・プランヂ「オリシャー神話」より

オムルーは伝染病のひとびとを治し、オバルアエーと呼ばれた


オムルーが12歳くらいの少年だった頃、オムルーは独り立ちして自分の人生を歩もうと、家を出ていきました。
町から町へ、村から村へ、何かできることはないかと、仕事を探して回りました。
ですが、オムルーには何も成すことができませんでした。誰も、できることも仕事も、与えてはくれませんでした。オムルーは物乞いをせねばならなくなりました。
でもこの少年に、誰も、食べるものも、飲むものも、何も与えてはくれませんでした。
ただ、ついてきた犬が一匹だけ。
オムルーとその犬は森に入っていきました。
蛇と暮らす生活、オムルーは、くだもの、葉っぱ、根菜など、森がくれる恵みを受けました。ですが、森の植物の刺はオムルーを傷つけ、蚊にも喰われてしまいます。
ただただ、犬だけが、傷を舐めることでオムルーを癒すことができました。

ある日、オムルーが眠っていると、声が聞こえてきました。
「準備は整った。起きなさい。民を治癒するのです」
オムルーは、傷が全て痕に変わって、熱もなければ痛みもなくなっていることに気づきました。
オムルーは、森で学んだ薬草や、水を入れる「アトー」と呼ばれるひょうたんを集め揃えて、至上神オロルンに感謝して、森を後にしました。

そのころ、地には伝染病がはびこっていました。
どこを見ても人が死んでいました。
どの村でも、ひとびとの遺体を埋葬していました。

オムルーの両親がババラウォ(神職の預言者)のところへ行くと、ババラウォいわく、オムルーは生きていて、伝染病の治療法をもたらすだろうと予言しました。


オムルーが行くところはどこでも、名声がついてまわりました。みな、オムルーを待ち望んでいます。なぜなら彼は治し癒すことができるから。
かつて水すら与えなかったものたちは、オムルーに治癒の力を乞うたのです。

オムルーはみんなのことを治し、伝染病から遠ざけてあげました。ドラセナ・ペレグンという葉っぱと、エフン、オスン、ウアギという白、赤、青の粉で点描したひょうたんを手にもって現れ、疫病から護ってくれると言われるようになりました。シャシャラーというほうきで病気を家の外へ掃き出し、災いが家族のほかの誰かに及ばないようにと治していきました。そのヤシの藁でできた魔法のほうき、治癒の道具で、家を、集落を、きれいにしていってくれたのです。

自分の家に戻ってきた時、オムルーは自分の両親も治してあげました。そしてみんな幸せになりました。みんなオムルー、治癒の神さまを歌い称えました。そして、みなオムルーをオバルアエーと呼ぶようになりました。みな、地の神様、オバルアエーを賞賛したのです。


ヤンサンによってポップコーンになったオバルアエーの傷あと


自分の生まれた集落に戻ってきたオバルアエーは、すべてのオリシャー(神々)たちが集うお祝いの祭りが開かれているのをみかけました。でも、オバルアエーはその見た目のおぞましさゆえに、お祭りの中に入っていくことはできませんでした。窓の外からじっと、のぞいていました。

オグンはそのオバルアエーのつらさに気づいて、藁でできた服でオバルアエーを包んで、頭から姿が見えないようにしてあげ、お祭りに参加して楽しめるようにと招いてあげました。

とても恥ずかしかったけれど、オバルアエーはお祭りの中へ入っていきました。でも誰も彼に近づこうとはしません。戦いの女性神ヤンサンはじっとその様子を見て、その悲しい状況を汲み取って、憐れに思いました。

ヤンサンはオバルアエーがその場のできるだけ真ん中にやってくるのを待っていました。

シレーが盛り上がってきます。オリシャーたちはエケージ(お付きの人)たちと嬉しそうに踊っています。風と嵐の神さまヤンサンはオバルアエーの近くへやってきて、息をひとふき吹きかけて、そのおそろしい姿を隠しているデンデ椰子の葉・マリオーでできた服をめくりあげました。

ヤンサンの魔法の風は、藁に隠れていたオバルアエーの傷を高く吹き飛ばし、ポップコーンに変えて、ポップコーンの雨を降らせ、その場を真っ白にしました。

オバルアエー、病の神様は、美しく魅力的な青年に姿を変えました。オバルアエーとヤンサン・イギバレーは大切な友達になり、ともに霊魂の世界を治める神として、人間を死に至らせることも、それをやめさせることもできる唯一の力を分け合うことになったのです。



"""""   おわり

カトリック教とカンドンブレーのシンクレチズモ(宗教混合)では、オムルーは聖ホッキ、オバルアエーは聖ラーザロに当たると言われます。お話の中でオムルーは犬を連れていますが、ラーザロ聖人にも同様の「犬が傷を舐めて治した」というエピソードがあります。

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私がお世話になっていたブラジルのおうちは、地区にラーザロ聖人とホッキ聖人(英語圏だと聖ロック?)の教会がありました。どちらも治癒と疫病にゆかりのある聖人です。ミサが終わって教会の外へ出ると、バイアーナがポップコーンでお清めをしてくれます。この教会の向かいには、奴隷としてアフリカから連れてこられ、航海で病気になったり、傷ついた人々が集められた収容所がありました。1700年代に建てられたその収容所はその後病院となり、ハンセン病の患者が隔離され、カヌードスの乱(1895〜97年)で負傷した兵士なども運ばれ、もう治ることのない人々が見捨てられ、死を待つ場所として恐れられていました。

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お清めのポップコーン。これをシャワーのように全身にかけてくれます。

アフリカから連れてこられた人たちは、この教会にオムルーの姿を見、彼らのやり方でアフリカの神々を称えました。この紹介しているお話には弾圧や歴史の姿が共に刻まれています。

うだるような暑い夏、そういえばブラジルのおうちにはクーラーがなかったなあと思い出します。40度を越える日もありましたが、扇風機と窓を抜ける風で暮らしていました。せめて、日本にもヤンサンの風が起こるといいのですが…

感染症や猛暑で体調を崩された方々にお見舞い申し上げるとともに、ブラジルと日本それぞれの社会が自然界と共生し、人々も自然も健やかでありますように。

ご紹介したブラジルの神々Tシャツを作りました。もともと、オムルーのTシャツを着ようと始めましたが、オリシャーの曼荼羅Tシャツがとても人気でしたので、本当に枚数が少なくて申し訳ないのですが、少しだけプリントしました。

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