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#6 サプライズ・ディナー

 彩世はリビングでソファに座り、携帯で女の子たちにメールを送っていると、インターフォンが鳴った。彩世はソファから立ち上がり、インターフォンの映像を確認した。映像には学生服を着た剛が写っている。彩世は玄関のドアを開けて、剛を中に招き入れた。
「家の鍵を渡してあるんだから、好きな時に入ってきてもいいんだぞ?」と彩世は言った。
「そうかもしれないですけど、急に入ったらビックリさせてしまうと思ったので」
彩世は剛が片手に買い物袋を提げていることに気づいた。
「それは何だ?」
「夕ご飯の食材です。こないだ、あんまり手作りのご飯、食べている感じがしなかったので」と剛は恥ずかしそうに答えた。
「え?作ってくれるの?というか、お前、料理できるんだっけ?」
「兄さんや知多みたいには作れないですけど、パスタを茹でる程度なら」
剛は買い物袋の中を広げて彩世に見せた。買い物袋の中には、レトルトのミートソースのパックと乾燥パスタ、レタスとミニトマトが入っていた。彩世は剛の頭を軽くなでた。
「お前が作ってくれるなら、なんでも嬉しい」
剛は彩世に続き、リビングに繋がる廊下を抜けて、キッチンに向かった。
「俺もなんか手伝おうか?」と彩世が剛に聞いた。
「大丈夫ですよ。ソファに座っていてください」
「そうか?じゃあ、任せるよ」と言い、ソファに座った。
しばらくすると、剛は彩世に声をかけた。
「彩世さん、大きい鍋ってどこにありますか?」
彩世は剛に呼ばれて、キッチンに向かった。彩世がキッチンに入ってみると、あちこちのドアや引き出しが開いており、まな板の上には綺麗に包丁でカットされたレタスが置いてあった。
「…剛。レタスは包丁で切るんじゃなくて、手でちぎるんだよ」
「え?そうなんですか?」
「俺も一緒に手伝うよ」と言い、彩世は流しの上にある戸棚の奥にあった鍋を引っ張り出して、水を入れ始めた。
「あ、彩世さん、俺がやりますから」
「いいよ。剛はサラダを作って」
「わかりました」
剛はサラダを作り、彩世は冷蔵庫からベーコンとしめじを取り出して包丁で切り始めた。
「…手慣れてますね」
「飯は割と作るんだよ。コンビニとか外食だと太っちゃうだろ?」
「そうなんですね。じゃあ、こないだのは…」
「ああ、ご飯は食べるけど、基本的に一人で食べるから、皆で手を合わせて食べる機会がないなと思って」
「そういうことだったんですね」
彩世は剛と会話しながら、フライパンにオリーブオイルとチューブのニンニクを入れてベーコンとしめじを炒めている。
「なんか…俺、すっごい恥ずかしいんですけど」と剛がその場にしゃがみこんだ。
「誤解するような発言して、ごめんな。お願いだから、手を止めずにサラダは作ってな」
「あ、すみません」と剛は立ち上がり、レタスとミニトマトをサラダボウルに入れて盛り付けた。
彩世は鍋に塩とパスタを入れた。
「剛。時間を計ってくれる?4分経ったら教えて」
「はい。わかりました」
剛は携帯の時計機能で時間を計り始めた。
彩世はその間にミートソースのパックの封を開けてフライパンに入れ、ベーコンとしめじにソースを絡める。剛の携帯がピピピッと鳴り、彩世はパスタを一本掴み、口の中に入れて茹で加減を確認してから、ざるにパスタを開けて、水気を切った後フライパンに入れて、ソースと絡めた。剛は彩世の一連の流れをぼーっと眺めている。
「お皿を出してくれるか?」と彩世に声をかけられ、はっとして、食器棚からパスタ皿を二つ取り出し、キッチン台に置く。彩世はパスタ皿にパスタを盛り付けて、剛に手渡した。
剛がテーブルにお皿を持っていく時には彩世は2人分のウーロン茶が入ったグラスとフォークを持ってやってきた。
「…すみません。俺、ほとんど、役に立ってないですね」
「サラダは作ってくれただろ?ありがとな」と言い、剛の頭をなでる。
彩世と剛はソファに並んで座り、手を合わせて、「いただきます」と言った。
剛はミートソースパスタを口に入れた。
「うん。美味しい!」と剛が言う。
「そうか。良かった」と彩世が微笑みながら言う。
二人はサラダとミートソースパスタを食べて、剛は2人分の食器をキッチンに持っていく。
「あ、食器洗いは俺、得意なので、任せてください」と剛が彩世を見て言った。
「じゃあ、お願いするわ」と言い、彩世はテーブルの上にあるタバコとライターを取り、ベランダに出て、タバコに火を付けた。彩世はベランダから見える西新宿の高層ビル群の明かりを眺めた。しばらくすると、剛もベランダに顔を出した。
「うわぁ。綺麗ですね。新宿を制覇したって感じがしますね」
「そうか?」と彩世は目の前にある新宿アイランドタワーに目線を向けた。
「あのビルの方が全然高いけど」と言った。更に右手にある東京都庁を指で指し示した。
「あれなんか、四十階を超えてるからな」
「そうですけど、普通はなかなかこんなところに住めないですよ」と剛が言った。
「まぁ、確かにまっとうな仕事なら難しいだろうな。そういえば、お前、大学はどこを受けるんだ?」
「うーん…まだ決めてないです」
「そうか」
「家から通えるところで探している感じですけど。こないだ、兄さんに言われて、進路を迷ってるんですよね。彩世さんは迷わなかったんですか?」
「俺は…他の選択肢を考えたことがなかったからな。物心ついた時にはホストやるって思っていた」
そこでふいに彩世が笑い出した。
「…?何がおかしいんですか」
「小学校の時の卒業文集で将来、なりたいものを書かされただろ?」
「そういえば、ありましたね」
「俺…その文集で、新宿ナンバー1のホストになる!って書いたんだよ。そしたら、先生が彩乃に電話して急遽、三者面談になったんだ」
「へぇ~確かに先生はビックリしてしまうでしょうね」
「先生が彩乃に『お子さんが卒業文集にこのように書かれているんですが…』と言って、卒業文集を見せたら、彩乃、何て言ったと思う?」
「う~ん、見当がつかないです」
「『私が彩世を新宿ナンバー1のホストにさせます』って言うから、先生、黙ってしまったんだよな。あれはウケたな」
「流石、彩乃さんですね」
「なんか、やりたいことあるのか?」
「それが…何もないから、困ってるんですよ」
「ふぅん。アメリカだと、高校に専門のキャリアカウンセラーが居て、職業相談ができるみたいだけどな」
「たかだか17年しか生きていないのに、その先の30年とかの人生を選択するなんて、できなくないですか?」
「世の中の大半がサラリーマンで、基本的に一つの会社を60歳まで勤めるって言う考えだからな。…そんなの、気にしなきゃいいんじゃないの?」
「え?」
「まずは始めてみて合わなければ、止めてもいいんじゃないか?って俺は思うけどね。悩む時間がもったいないし、やってみなきゃ分からないだろ」
「…そうですね。まずはやりたいことを見つけないとですね。もう少し、考えてみます」
「そこら辺は若者同士で話してみても良いと思うけど」
「彩世さんも俺と年は3つしか違わないでしょ?何、大人ぶってるんですか?」
「20歳は全然違うでしょ。お酒が飲める。タバコが吸える。それに選挙も行ける」
「確かに」と剛は言った。
「少し悩みは解決したか?」と彩世はタバコを吸い殻ケースに入れながら剛に聞いた。
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、もう夜も遅いから、家まで送ってやるよ」
彩世はベランダから部屋に戻った。剛はまだベランダに居て部屋に入ろうとしない。彩世は不思議に思い、窓越しに剛に声をかけた。
「今日、泊まっていったら、迷惑ですか?」と剛が言う。
「…いや、俺は良いけど、ちゃんと家には連絡しろよ」
「今日は二人とも夜勤だから、家に帰ってこないんで、大丈夫ですよ」
「わかった。じゃあ、着替えとか用意するから、そこら辺に適当にくつろいで」
彩世はバスルームに行き、お風呂の給湯器のスイッチを入れた後、ウォーキングクローゼットに向かい、剛が着られそうな服を探し、剛に着替えを手渡した。彩世はバスルームに行き、お風呂が沸いていることを確認すると、剛に先にお風呂に入るように言った。
「一緒に入りますか?」と剛が聞いてきた。
「…馬鹿言うな。ほら、タオル」と彩世は剛にタオルを差し出す。
剛は不服そうな顔をして、タオルを受け取り、バスルームへと向かった。彩世はソファに横になり、携帯を触り始める。『剛のあの表情はなんだ?だいたい、いつも俺から言うと、断るくせに…』と思った。彩世はそこで違和感を覚えた。いつもの俺なら、お風呂に一緒に入るか?と言ってるハズだよな。剛の奴、それでわざと俺に声をかけたのか?と彩世は思った。彩世はその足でバスルームに向かい、ドアを開けて、シャワーを浴びている剛に後ろから抱きついた。
「彩世さん⁉服…濡れてしまいますよ」
剛が声をかけた時点で、既に彩世の服はびしょびしょで彩世の肌に服が張り付いた状態だった。
「いいよ。しばらく、このままで居させて」と彩世は言った。
彩世は自分の胸から剛の背中越しの体温を感じ取れるように、剛を抱きしめる力を強めた。彩世は目を閉じ、剛の体温や肌の感触、剛が彩世に少し寄りかかってくる重さを感じ、自分の心の奥底がじわじわと温かになる心地を感じた。彩世はしばらくすると、剛から離れ、バスルームから出ていった。剛は、力が向けたように、そのままバスルームの床にしゃがみこんだ。彩世は濡れた服を脱ぎ、洗濯機の中に入れ、洗濯機のスイッチを入れ、戸棚からバスタオルを出して髪や体を拭きながら、リビングに向かった。タオルを腰に巻いて、リビングにあるソファに寝転び、再びメールを打ち始めた。


   彩世は目を覚ましソファから起き上がった。自分の体に毛布がかかっていることに気づく。テーブルに置いてあった携帯を取り出して画面を見ると、3時23分となっている。彩世は寝ぼけながらも、バスルームで剛に抱きついたことを思い出し、自分の奇行にハハッと軽く笑った。自分自身で何をやっているんだと自省する。相まって、諭に「肉体的にも精神的にも愛してやる」と言われたことを思い出し、頬に口付けられ「好きになったかも」と言われたこと、諭の腕を掴んだ感触等が次々と頭の中で駆け巡る。彩世にとって、これまで通り、剛と過ごすということが最も最適な答えだと分かっているものの、諭の存在が彩世の心をかき乱しつつあることを感じていた。これ以上、諭と関わらない方が良いと自分自身に言い聞かせた。彩世はソファから立ち上がり、バスタオルを腰に巻くとバスルームに向かった。バスルームには先ほど、自分が洗濯機に放り込んだ服がハンガーにかけられていた。彩世はバスルームにある洗濯物をハンガーごと洗面所に移動させた後、自分の部屋に向かい、ドアを静かに少し開けた。薄暗がりの中で、剛が彩世のベッドで寝ているのを確認し、ドアをそっと閉めた。そして、バスルームに戻り、熱いシャワーを浴びた。


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