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普通ではない道を歩む勇気

人生は環境で決まる、といいます。普通から外れる勇気を持たない限り、誰かによって決められた"普通"の人生から抜け出すのはなかなか難しい。

それでも、自分にその意思があるのならばいつだって"普通"を外れたって良いのだ、とわたしは言いたいです。


私はいわゆる地方の田舎で生まれ、車で1時間くらいの都市で安定した職業につき、30までに結婚してダラダラ主婦として暮らすのかなと最初は思っていました。

しかしながら、周りと比べるとそこそこ勉強が出来たのでそのまま頑張ったら旧帝大という未知の世界に来てしまいました。

受験に失敗してあまりの悔しさに浪人もしました。

そして現在、何を血迷ったか研究にのめりこんでしまい、博士として勤労学生をしています。


ここまでで、田舎出身だった私にとって、"普通"ではない選択肢は4つあります。

まず、浪人したこと。同じ高校の同期で浪人した人は3人だけでした。浪人は負け組で、人生取り返しのつかないことであると当時は思っていました。実際はそんなことなかったし、むしろここで出会えた浪人仲間に今まで考えもしなかったあらゆることを学びました。

次に、旧帝大に行ったこと。私の高校で近場の国公立と私立をすっ飛ばして旧帝大に行った人はほとんどいません。また、同じ大学に私の高校や地元から来た人をまったく知りません。誰も知らない土地に来ることそのものが当時は"普通"ではありませんでした。

次に、学部卒だけでなく修士の学位を得たこと。昔は大学院に進む、などという考えはまったくないどころかそもそも大学院自体の存在を知りませんでした。地元に帰れば「お前いつまで学生やってるの?」が普通の台詞です。

さらに現在、大学院で博士課程に進んでいること。地元に友達そんなにいませんが、同じ小中高の方たちは結婚ラッシュだそうです。「お前は女性の身で働きもせず結婚もせず何をやってるんだ」状態です。

しかしながら、今のヘンテコな自分になかなか満足していますし、後悔もないです。

浪人することを家族は心底応援してくれましたし、旧帝大に行くことも浪人仲間に「お前ならできるよ!」と励まされましたし、修士に行くこともこの大学では一般的でしたし、博士に行くときも近くに同じような先輩がいたのでその背中を見て頑張ろうと思えました。

もちろん地元との価値観のギャップに戸惑うことも最初はありましたが、それはそれ。多様性を受け入れると世界が少し楽しく思えるものです。


"普通"を思い出したのは少し前です。

姉が「仕事を辞める」と言ってきたときのこと。海外旅行好きな姉が相談してきたことは「この期にいっそ留学して英語の勉強したい」とのことでした。

私は「お金があるならいいんじゃない?行っておいでよ」と軽く応えました。姉は私の言葉に驚きつつもまだまだ不安そうにしていました。

私個人としては、周りに短期留学した子はザラにいるし、長期で留学した子もチラホラいるから「やりたいならやればいいんじゃないの」という軽い気持ちで返したのですが

姉曰く、「私の周りでそんなこと言ってくれる子全然いなかった」とのことで。

そういえば地元では留学どころか海外旅行さえ行く人ほとんどいなかったなと思い出しました。たしかにそれは未知の世界すぎて不安だろうと姉の気持ちが少し分かってきました。

でもそんな"普通"じゃないから、なんて理由で諦めて欲しくなかったので私は意見を変えず、姉の背中を押し続けました。

結果として姉も"普通"とは外れた人間になりましたが、今は楽しそうに人生を歩んでいます。


"普通"から外れた道を歩むことは案外と悪くないです。でも、あとちょっとの勇気が出ないのなら、自分から見て"普通"じゃない人に相談してみると、背中を押してもらえるかも知れません。

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